MediaDogs

新着記事

島田麻央、年齢制限でミラノ五輪に出られなかったジュニア時代は「苦しい4年間だった」 GPデビュー戦V後の本音と次戦フィンランディア杯の日程

島田麻央、年齢制限でミラノ五輪に出られなかったジュニア時代は「苦しい4年間だった」 GPデビュー戦V後の本音と次戦フィンランディア杯の日程

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン

フィギュアスケート女子の島田麻央(18)=木下グループ=が、年齢制限でミラノ・コルティナ五輪に出られなかったジュニア時代を「すごく苦しい4年間だった」と明かした。13歳の時にルールが変わり、勝ち続けるうちに連勝が使命のようになっていった。五輪が近づくにつれ「やっぱり出たかったなって思いも、正直少しは出てきていました」とも打ち明けている。

「15歳でシニアに上がれると思っていた」13歳で変わったルール

ここでは、本人の言葉から「苦しかった4年間」の中身と、乗り越えた今の気持ちをたどる。後半では、次戦のフィンランディア杯(11月20日開幕)から12月の全日本選手権までの日程をまとめた。

始まりは2022年6月だった。国際スケート連盟(ISU)は6月7日、タイ・プーケットで開いた総会で、五輪や世界選手権などに出られる年齢を15歳から段階的に17歳へ引き上げる案を可決する。2022-23年シーズンは据え置き、翌シーズンに16歳、2024-25年シーズンから17歳とする内容で、年齢はシーズン前の7月1日の時点で数える。

2008年10月30日生まれの島田は、ミラノ・コルティナ五輪のシーズンが始まる2025年7月1日の時点で16歳。新しい基準に届くまで、わずか4カ月ほど足りなかった。旧ルールのままなら出場資格を満たしていた計算で、決定当時はまだ13歳だった。

「15歳でシニアに上がれると思っていた」。スケートカナダで優勝した後、島田は当時の思いをそう口にしている。

決まった直後は前を向けたという。11月2日に配信されたテレビ朝日系のインタビュー(スケートカナダ開幕前の取材)で、松岡修造氏に「(年齢制限の引き上げが決定した)その時は8年後の五輪を目指そうと思えたんですけど」と語っている。気持ちが揺れ始めるのは、もっと後のことだった。

勝っても消えなかった苦しさ、ジュニアの大会で39戦無敗

ジュニアにとどまった4シーズンで、島田は負けなかった。世界ジュニア選手権は2023年から4連覇。ジュニアの大会では39戦無敗を続け、国際大会の連勝はスケートカナダの優勝で21に伸びた。

数字だけ見れば順風満帆に映る。だが、本人の受け止めは違った。

報道によると、ジュニアで勝ち続けるうちに連勝が使命のようになり、負けられない重圧をずっと背負っていた。思うような結果を残せず、涙を流すこともあったという。松岡氏のインタビューでは、ジュニアで戦っていた頃に一番強かった思いを問われ、「あまり良い演技じゃない時でも、金メダルを取れた時が一番辛い」と答えた。金メダルを取れたならいいと思う人もいるだろうとしたうえで、「金メダルを取っていても苦しい時もあったので、その時が一番きつかったかなと思います」と続けている。

勝つことで終わらない苦しさだった。満足のいかない演技でも優勝すれば周囲は喜ぶ一方、本人の中には課題が残る。その繰り返しが4年続いた。

それでも、練習の手は緩めなかった。高校生になってからについて「試合の時に疲れていることもある。それでも最低限はできるように練習してきた」と話し、苦しい時期もフリーにはトリプルアクセルと4回転トーループを組み込み続けたと報じられている。4回転へのこだわりについては、松岡氏に「私が4回転を跳びたいと思い始めたのは、ロシアの選手とも戦えるように。自分のこだわりなのでやめたくないなって」と明かしていた。

2月、ホテルの一室で見たミラノ五輪

揺れが大きくなったのは、五輪の代表選考が近づいてからだ。

2025年12月の全日本選手権は、ミラノ・コルティナ五輪の代表最終選考会を兼ねていた。坂本花織が5連覇で3大会連続の代表に決まり、千葉百音と中井亜美が初代表に選ばれる。ジュニアで代表資格のなかった島田は、2年連続の2位だった。

この結果について、島田は松岡氏に「オリンピックがかかってるって思って、全日本に出たらどうなったか分からないですけど、2位だったっていうことで、オリンピックに行ける順位だったので、少し悔しい部分はあります」と打ち明けている。五輪が近づくにつれ、「どんどんミラノ五輪が近づいてくるにつれて、やっぱり出たかったなって思いも、正直少しは出てきていました」とも語った。

そして迎えた2026年2月。島田はホテルの一室で、テレビ越しに五輪の舞台を見つめていた。「やっぱりオリンピックはいいな。目の前で五輪ジャージを着て写真を撮っているところを見ると、やっぱりオリンピックの選考の対象になりたかったなって」。代表選手たちの姿に、出られなかった現実が重なった。

同学年の中井は2月19日の女子フリーを終え、合計219.16点で銅メダル。坂本が銀メダルに輝き、金メダルは米国のアリサ・リュウだった。中井のメダルは、日本のフィギュア選手として最年少の記録になった。

島田は落ち込んだまま終わらなかった。2月25日、京都府宇治市の木下アカデミー京都アイスアリーナでの練習公開では、「私も亜美ちゃんを追って頑張りたい」と刺激を受けた様子を見せている。次の五輪については「まずは(五輪に)出ることが目標。金を取れるようにというのは4年間考えてやっていきたい」と話し、その翌月、エストニア・タリンでの世界ジュニア選手権で4連覇を決めた。

GPデビュー戦Vの後に語った「今」

シニア1年目の秋、島田は9月のチャレンジャーシリーズ「木下グループ杯」でシニアの国際大会デビュー戦を勝つと、11月1日(現地時間)、カナダ・ケロウナでのGPシリーズ第2戦スケートカナダでも頂点に立った。ショートプログラム(SP)82.11点、フリー153.33点、合計235.44点はいずれも今季世界最高で、2位に14点以上の差をつけた。GPデビュー戦での優勝は、日本女子で紀平梨花、渡辺倫果、中井亜美に続く4人目となった。

関連記事:島田麻央、スケートカナダ優勝で合計235.44点 SP・フリー・合計とも今季世界最高

優勝した後、島田はジュニア時代を「苦しかった4年間だった。(ミラノ)五輪までは(前向きには)思えなかった」と表現した。続けて口にしたのは、その時間への見方の変化だ。

「それを乗り越えたからこそ、今はつらいことがあっても何も思わない。(ジュニアの)4年間を経験できたのは、今思えば良かった」

本番前の6分間練習では転倒もあった。それでも「絶対に立て直す」と気持ちを切り替えて演技に向かい、初めてのGPについて「シニアの大会でも、そしてこんなに緊張していても、いい演技ができたということは本当に自信につながった」と話した。

苦しさを抱えていた4年間を経て、今の気持ちは「スケートが好き」。10月30日に18歳の誕生日を迎え、ようやく年齢の壁が消えたシーズンで、島田はシニアの舞台を楽しめるようになっている。

次戦フィンランディア杯は11月20日から、全日本選手権までの日程

島田の次戦は、GPシリーズ第5戦のフィンランディア杯(フィンランド・ヘルシンキ)だ。GPファイナルにはシリーズ6大会の成績上位6人が進むため、2戦目の結果が年末の出場を左右する。年内の主な日程は次のとおり。

大会日程会場
GPシリーズ第5戦 フィンランディア杯11月20日〜22日ヘルシンキ(フィンランド)
GPファイナル12月10日〜13日重慶(中国)
全日本選手権12月25日〜27日東和薬品RACTABドーム(大阪府門真市)

大会側が公表している競技日程では、フィンランディア杯の女子SPは現地時間20日15時30分(日本時間22時30分)、女子フリーは21日14時(同21時)に始まる予定だ。日程は変更されることがある。全日本選手権の日程と会場は、チケットの販売サイトに掲載されている内容で、日本スケート連盟の大会要項は11月3日時点でまだ掲載されていない。

年が明けると、2027年2月9日から14日に四大陸選手権(カザフスタン・アスタナ)、3月15日から21日に世界選手権(フィンランド・タンペレ)が控える。どの大会に派遣されるかは、まだ決まっていない。

課題もはっきりしている。島田はスケートカナダの優勝後、「スピードや表現面をシニアらしく上げていきたい」と話し、4回転ルッツの習得にも意欲を見せた。フィンランディア杯に向けては「シニアらしく、さらにいい演技を目指したい」と意気込む。

次の冬季五輪は2030年、フランス・アルプスで開かれる。13歳の島田が「8年後」と見た舞台まで、あと3年あまり。ジュニアで勝ち続けた4年間とは違う、シニアでの道のりがここから始まる。

[文/構成 by ライター 凪]

寄稿者

凪
凪(なぎ)です。時事ニュースからスポーツ、社会の話題まで、その日いちばん気になる出来事を短く分かりやすく整理しています。Web記事を書き始めて7年。結果や数字は公式の発表で確かめてから書き、見出しだけで誤解されない記事を心がけています。好きなものは朝のコーヒーと、深夜のスポーツ中継。

コメントはこちら

*
*
* (公開されません)

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

エンタメ

More

スポーツ

More

ライフハック/実用

More

グルメ

More

社会/ニュース

More

ファッション/ビューティー

More
Return Top