八木克勝、アジアパラ卓球で銀メダル 愛知県豊橋市出身、2018年から3大会連続のメダル

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愛知・名古屋アジアパラ競技大会の卓球男子シングルス(立位クラス7)で、愛知県豊橋市出身の八木克勝(36)=電通デジタル=が10月20日、銀メダルを手にした。決勝は東京、パリの両パラリンピックで金メダルを取った中国選手にゲームカウント1-3で敗れ、大会連覇には届かなかった。前回2023年の杭州大会の金に続くメダルで、2018年ジャカルタ大会の銅から数えるとシングルスで3大会続けて表彰台に立った。
決勝は1-3、連覇まであと一歩
10月18日に開幕し24日まで続く大会で、卓球はスカイホール豊田(愛知県豊田市)が会場となる。決勝は10月20日午後3時ごろに始まった。持ち味のフットワークを生かして得点を重ねる場面もあった。しかし、パラリンピック2大会連続の金メダリストは勢いが違う。相手の攻勢に押され、奪ったのは1ゲームにとどまった。
決勝までの道のりは順調だった。報道によると、決勝に進むまでの試合はすべてストレート勝ち。10月19日の準々決勝では北朝鮮のキム・ヨンロクを3-0で退け、前年の国際大会で敗れた相手に雪辱した。
この準々決勝のあと、八木は目に涙を浮かべ、「100%自分が主導権を握るんだ、という強い気持ちを一瞬も抜かなかった」と勝因を語っている。
決勝を終えると、相手について「そう簡単には勝たせてくれない相手だった」と認めた。それでも涙ながらに「メダルを取れてすごく幸せ」と喜びを口にした。
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ひじから先が短い腕を、足で補う卓球
八木は1990年6月17日、豊橋市で生まれた。先天性の両橈骨欠損症で、両腕はひじから先が短い。豊橋市立本郷中学校の卓球部で競技を始め、愛知県立豊橋商業高校、愛知大学へと進んだ。パラ卓球の存在を知ったのは高校3年生のとき。大学1年生から本格的に取り組んだ。
障害の程度で分かれるパラ卓球のクラスのうち、立って打つ選手は6〜10に分かれる。八木が戦うのはクラス7。腕の短さを強靭なフットワークで補い、全身でボールを追うスタイルを貫く。本人は「手が短いので、なんとかして足でボールを追っています!」と自らを紹介している。
2015年に日本代表入りしてから、国際舞台で結果を積み上げた。2018年のジャカルタ大会は男子シングルスと男子団体でともに3位。2021年の東京パラリンピックは男子シングルス9位だった。
転機は2023年秋の杭州大会。準決勝で東京パラリンピック王者の閻碩(中国)とぶつかった。第1ゲームは9-7から10-10に追いつかれたが、14-12で振り切る。続く2ゲームも11-9で取り、3-0で金星を挙げた。決勝でも、東京大会で黒星を喫した廖克力(中国)にストレート勝ち。アジアの頂点に立ち、パリパラリンピックの出場権を手にした。
2024年のパリ大会には世界ランキング2位で臨んだ。だが準々決勝でタイの選手に0-3(9-11、8-11、4-11)で敗れ、メダルには届かず5位。試合後は「ただただ悔しい。バックハンドのミスが多かった」と涙を流した。観客の前でプレーできたことは「本当に楽しかった」と語る一方、銅メダル以上を取れていれば「何かが変わったかもしれない」とも話していた。
競技の外でも道を切り開いてきた。2022年4月には卓球Tリーグの琉球アスティーダとマネジメント契約を結び、パラアスリートとして初めて国内最高峰リーグのチームに所属した。2024年5月からは電通デジタルに所属する。パリ大会の後には、会社の仕事を通じてパラスポーツを多くの人に知ってもらいたいという考えも明かしていた。
引退も考えた先にあった地元開催
杭州での優勝のあと、八木は一度、引退を意識したという。それでも、東京パラリンピックで9位に終わった悔しさは消えなかった。東京大会は原則無観客での開催。観客の前で戦える地元・愛知のアジアパラが、もう一度ラケットを握る理由になった。
用具とプレーの工夫も止めなかった。パリ大会のころには、バックハンドのラバーを粒高からアンチラバーへ替え、ラリーの途中でラケットを持ち替えて面を入れ替える「反転」にも挑んでいた。2025年の全日本パラ卓球選手権ではクラス7のシングルスを制し、2026年も国際大会のITTFワールドパラエリート台北でクラス7シングルス2位に入っている。
2026年7月ごろには、もともと使っていた「飛ばない」アンチラバーを、さらに弾まないタイプへ替えた。攻めを抑えて緩いボールを送り、相手の足を止めて苦しい展開に持ち込む。速いピッチで打ち合う海外勢のリズムを崩すための工夫だった。
所属は東京の企業だが、練習の拠点は今も豊橋市に置く。理由は、同学年で健常者の頼もしい練習相手がいるから。その相手は八木を「野性の日本代表」と呼ぶ。地元で積み重ねた打ち合いが、決勝の舞台につながった。
豊橋市が送り出した「ゆかりのアスリート」
大会は豊橋市にとっても身近な舞台だ。市内の体育館がゴールボールの会場になり、10月17日から日本代表を含む各国の熱戦が続く。豊橋市は八木を、愛知・名古屋2026アジアパラ競技大会の日本代表として市のホームページで紹介してきた。本郷中、豊橋商業高、愛知大学と、学生時代を過ごした学校の名前も並ぶ。
市内とのつながりは長い。2021年9月には東京パラリンピックを終えて豊橋市役所を訪れ、当時の浅井由崇市長に結果を報告した。その際は、健常者と障害者が区別なく暮らせる社会を理想に挙げ、自分が橋渡し役になりたいと話している。市長への表敬訪問のほか、卓球のトーク&レッスンや講習会といった地元での活動も重ねてきた。
日本代表として12年。生まれ育った愛知県で開かれた大会で、36歳のベテランは銀メダルを胸に掛けた。
11月には世界選手権
八木は11月、タイ・パタヤで予定される世界選手権にも臨む。
連覇こそ逃したものの、3大会続けてアジアのメダルを手にした実績は重い。決勝で敗れたパラリンピック王者との差をどう縮めるのか。地元の声援を受けた36歳の挑戦は、まだ続く。
[文/構成 by スポーツライター TAKU]












































































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