米沢友翔、能登半島地震で「珠洲に残る」と言った長男に両親は「大阪へ戻って野球をしなさい」 関西大を54年ぶり日本一に導いたドラ1候補の原点

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関西大学の左腕・米沢友翔(22)=関西大4年=が、10月22日のプロ野球ドラフト会議を前に1位候補として報じられている。石川県珠洲市で育ち、大学1年の正月に帰省先の故郷で能登半島地震に遭った。「珠洲に残る」と伝えた長男を、両親は「大阪へ戻って野球をしなさい」と送り出したという。関西大学の公式サイトに10月19日に載ったインタビューで本人が語った話をもとに、日本一のエースになるまでの歩みをたどる。
米沢友翔のプロフィール 出身・最速・成績
米沢は石川県珠洲市生まれの投手で、関西大学人間健康学部の4年生だ。珠洲市立緑丘中学校から金沢高校へ進み、2023年春に関西大学へ入学した。2026年9月にはプロ志望届を提出している。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 米沢友翔(よねざわ・ゆうと) |
| 生年月日 | 2004年6月1日 |
| 出身 | 石川県珠洲市 |
| 経歴 | 珠洲市立緑丘中学校 → 金沢高校 → 関西大学 |
| 投打 | 左投左打 |
| 身長・体重 | 180cm・81kg |
| 最速 | 149キロ |
| 球種 | 直球、スライダー、カーブ、チェンジアップ、スプリット |
| 2026年春の成績 | 関西学生リーグで4勝1敗、防御率1.31、55回で67奪三振。リーグ最優秀選手 |
| 主な実績 | 2026年全日本大学野球選手権で優勝、最高殊勲選手賞。大学日本代表 |
2026年春季リーグまでのリーグ戦通算は18試合で4勝2敗、69回2/3で82奪三振、防御率1.16。投球回を上回る三振を奪いながら、防御率は1点台前半に収まっていた。
野球を始めたのは父の影響 家の前でいつもキャッチボール
米沢は3兄弟の長男として珠洲市で育った。弟は大学の準硬式野球部、妹はテニス部に所属しており、きょうだいそろってスポーツを続けている。
野球との出会いは小学2年生のときだった。関西大学の公式記事で、本人は始めたきっかけをこう明かしている。
「野球をしていた父の影響もあって、小学2年生のときに先輩に誘われて始めました。」
家の前でいつもキャッチボールをしていたという。周りには巨人ファンが多く、家族や祖父も巨人ファンだった。
珠洲市立緑丘中学校では軟式野球部に入り、投手と外野手を兼ねてプレーした。左腕の投手として名前が知られるようになるのは、もう少し先の話になる。
金沢高校から関西大学へ 元阪神の選手だったコーチの縁
中学卒業後は地元を離れ、金沢高校へ進学した。本人によると、県大会の成績は3年春が準優勝、夏はエースとしてマウンドに立ちベスト16。高校の3年間について、本人は「結果だけで言えば、あまり良い思い出はないですね」と語っている。
関西大学への道を開いたのは、高校時代の人のつながりだった。指導を受けたコーチが元阪神タイガースの選手で、関西大学野球部のアドバイザースタッフを務める山口高志さんと縁があった。その縁で関西大学の練習に参加させてもらったことが、進学のきっかけになったという。
能登の町から大阪へ。大学生活は2023年4月に始まった。
大学1年の正月、帰省中の珠洲市で能登半島地震に遭う
大学1年の冬、米沢は正月を過ごすため珠洲市へ帰省していた。2024年1月1日、祖母も含めて家族全員が実家に集まっていたときに、能登半島地震が起きた。
関西大学の公式記事によると、山側にある実家は亀裂程度で済んだ一方、海側にある祖母の家は津波の被害を受けた。家族は無事だったが、その後しばらくは小学校の避難所で過ごしたという。
地震の後、米沢は両親に「大阪には帰りたくない。珠洲に残る」と伝えた。
両親から返ってきたのは「あなたは大阪へ戻って野球をしなさい」という言葉だった。米沢はこの一言に背中を押され、大阪へ戻る。
ただ、気持ちはすぐには切り替わらなかった。本人は公式記事でこう話している。
「大阪に戻ってからも、すぐに気持ちを切り替えるのは難しかったのですが、チームメイトや先輩方が支えてくれて、少しずつ前を向いて、また野球に向き合えるようになりました。」
左肘のけがで投げられない時期、手術を選ばずリハビリ
野球に向き合い直した米沢を、今度はけがが待っていた。2年春のリーグ戦では中継ぎで5試合に登板したが、左肩に違和感を抱えたまま投げ続けていたという。本当に「投げられない」と感じたのは3年の春季リーグ戦だった。登板した試合で左肘を痛めた。
本人は手術をしない道を選び、トレーナーを信じてリハビリに取り組んだ。けがが完治したのは3年の秋ごろ。大学3年までの3年間、関西学生リーグでの勝ち星はなかった。
流れが変わったのは最終学年だ。
4年の春季リーグで先発に戻ると、大学初勝利を挙げる。このシーズンは8試合に登板して4勝1敗、防御率1.31、67奪三振の成績を残し、リーグ最優秀選手に選ばれた。関西大学はこのリーグ戦を制し、全日本大学野球選手権へ進んだ。
54年ぶりの日本一、4試合に先発して最高殊勲選手賞
2026年6月の第75回全日本大学野球選手権記念大会で、関西大学が戦った5試合のうち、米沢は初戦の北海学園大学戦から決勝の慶應義塾大学戦まで4試合に先発した。準決勝からの連投となった決勝では、5回を2安打無失点に抑えている。
関西大学は決勝で慶應義塾大学を2-1で破り、1972年以来54年ぶり3度目の日本一となった。米沢は大会を通じて4試合25回で26奪三振、防御率0.72を記録し、最高殊勲選手賞に選ばれた。
胴上げの瞬間について、本人は公式記事で「本当に胴上げされているのかな?」と思うほど記憶があいまいで、頭が回っていなかったと明かしている。
この大会をきっかけに、プロ側の見方も変わった。日刊ゲンダイの記事では、セ・リーグのスカウトが「最大の長所はコントロールが良いこと」と評価している。直球の平均球速は144〜145キロと上位候補としては速さで目立つタイプではないが、狙ったところへ投げ切る制球が強みとされた。
大学日本代表で知った世界との差
全国の頂点に立った後、米沢は侍ジャパン大学日本代表に選ばれ、2026年7月のワールド カレッジ ベースボール チャンピオンシップ(WCBC)で初代王者になったチームの一員になった。
同学年の選手たちと話せたことを収穫に挙げる一方で、課題も見えた。本人は「アメリカ遠征では、メジャー候補の選手たちのフィジカルとパワーが圧倒的で、直球では太刀打ちできず、もっと努力が必要だと感じました」と語っている。
日本一の左腕でも、まだ上がある。憧れの選手には、シカゴ・カブスの今永昇太を挙げている。
米沢友翔のドラフト評価 「1位で行きたい気持ちは強い」
ドラフトでの評価は高い。スポーツナビに掲載されたドラフト1位候補のランキングでは、最上位「SS」の横浜高校・織田翔希に次ぐ「S」ランクに、青山学院大学の鈴木泰成、渡部海の2人とともに入り、2026年の大学生でナンバーワンの即戦力投手と位置づけられた。
一方で、同じランキングでは秋季リーグの内容が低調だった点にも触れている。高校野球ドットコムも6月の時点で、春のリーグ戦と大学選手権で計1160球を投げた疲れを懸念点に挙げていた。
ドラフト会議を3日後に控えた10月19日、米沢は取材に応じた。北陸中日新聞の記事で、本人は胸の内をこう語っている。
「ワクワクするし、ドキドキもする。1位で行きたい気持ちは強い」
関西大学の公式記事では「もし自分を指名していただけるのなら、どの球団に行っても頑張りたいです」とも話した。
2026年のドラフト会議は、10月22日16時50分からグランドプリンスホテル新高輪 国際館パミールで始まる。高校野球ドットコムによると、12球団とも1位指名を公表しておらず、13年ぶりに「1位表明なし」のまま当日を迎えた。
「珠洲でのびのびと育った環境が、自分の原点」
地震、そして左肘のけが。本人は大学4年間を「震災や怪我など苦しい経験もありました」と表現しつつ、体も心も成長し、人として強くなったと感じているという。
その歩みの出発点について、米沢は関西大学の公式記事で故郷の名前を挙げた。
「珠洲でのびのびと育った環境が、自分の原点です。」
続けて「故郷のためにも、これからも頑張りたいです」と話している。
家の前のキャッチボールから始まり、両親のひと言で大阪へ戻った長男は、関西大学を54年ぶりの日本一に導くエースになった。ドラフト会議は22日16時50分に始まる。
[文/構成 by さとう つづり]












































































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