エクアドルの教会でミサ中に大きな木製の十字架が落下、神父が死亡 グアヤキルで17日、ライブ配信中の事故

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エクアドルの港湾都市グアヤキルで10月17日、ミサの最中に祭壇の後ろの壁から大きな木製の十字架が落ち、パトリシオ・アルフレド・サンチェス・モリナリ神父が亡くなった。ミサはライブ配信中だった。グアヤキル大司教区は死去を確認したが、落下の原因は明らかにしていない。
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グアヤキルの教会で、祭壇の後ろの十字架が前へ倒れた
事故があったのは、グアヤキル市南部にあるカトリックの「ヌエストラ・セニョーラ・デル・ペルペトゥオ・ソコロ(絶えざる御助けの聖母)教会」だった。17日土曜の夜、主任司祭のサンチェス神父がミサを執り行っていたところ、祭壇の後ろの壁に掛けられていた木製の十字架が外れ、前へ倒れた。
十字架はキリスト像が付いた大型のもので、神父の頭部を直撃した。報道によると、神父は祭壇の後ろで信者の方を向いて立っており、背後の十字架が外れたことに気づけなかったという。十字架の大きさや重さは公表されていない。
参列していた信者たちはすぐに神父のもとへ駆け寄り、救助にあたった。大司教区によると、神父は十字架に打たれてから間もなく、医療関係者が着く前に亡くなった。
ミサはSNSでライブ配信中だった。配信には救急車を呼ぶよう求める女性の声が残り、その直後に映像は途切れたと報じられた。
サンチェス神父はどんな人だったのか
サンチェス神父は、カトリックの修道会「レデンプトール会(至聖贖罪主修道会)」の会員だった。1732年に聖アルフォンソ・リゴリが創設した修道会で、ペルペトゥオ・ソコロ教会もこの会とつながりが深い。
「絶えざる御助けの聖母」は、レデンプトール会とゆかりのある聖母の呼び名だ。1866年に教皇ピウス9世が、この名で知られる聖母の画像を同会に託した経緯があり、同会が関わる教会にはこの名を冠するところが多い。
神父はこれまでにロハ、ドゥラン、ビンセス、マンタで務め、グアヤキルが最後の任地だった。エクアドル中西部ロス・リオス県のビンセスでは、サン・ロレンソ教会で数年間主任司祭を務めている。訃報を受け、サン・ロレンソ教会はSNSに「神の愛といつくしみに希望を託して」と追悼の言葉を寄せている。
神父は1973年、エクアドル南部の都市クエンカで生まれた。所属するレデンプトール会によると、生年月日は1973年11月6日で、17日時点で52歳だった(53歳とする報道もある)。
大司教区の声明と追悼ミサ、クエンカでの葬儀
グアヤキル大司教区は、グアヤキル大司教のルイス・カブレラ・エレラ枢機卿の名で声明を出し、神父の死去を正式に確認した。声明は神父について次のように記す。
「父の家へと旅立ち、その御前と栄光にあずかることになりました。」
大司教区は、神父が所属したレデンプトール会の仲間や遺族、友人らに連帯と哀悼の意を伝え、神父の永遠の安息のために祈るよう呼びかけた。
翌18日の日曜の夜には、事故があったペルペトゥオ・ソコロ教会で神父をしのぶミサが開かれ、信者たちが祈りをささげた。
遺体はその後、出身地のクエンカへ移され、19日から市内のサンタ・アナ墓地で通夜が営まれた。クエンカ大司教区によると、葬儀ミサと埋葬は家族の希望で非公開とし、家族や友人など親しい人だけで、現地時間20日午後3時(日本時間21日午前5時)から行われる予定だ。
十字架はなぜ落ちたのか、原因はまだ分からない
なぜ十字架は壁から外れたのか。
20日時点で、この問いに答える公式の説明は出ていない。大司教区は「調査が続いている間は、この件について話すことはできない」として、原因には触れていない。十字架がなぜ外れたのかは当局が調べていると報じられているが、見解はまだ示されていない。神父が所属したレデンプトール会も声明で「説明が見つからない」と述べている。
事故は土曜夜のミサの最中、祭壇の後ろの壁に掛けられていた十字架が外れて起きた。一方で、十字架の大きさ、壁への取り付け方、いつ設置されたものかといった点は、どれも公表されていない。原因の説明が出てくるかどうかは、大司教区と現地当局の今後の発表次第となる。
ライブ配信の映像には、事故の瞬間が映っていたとされる。亡くなった神父の遺族や、その場にいた信者にとっては、身近な人を失った場面そのものだ。教会では日曜の夜、神父のために祈りがささげられた。
[文/構成 by 小川 そら]












































































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