藤田亨さんが死去 ブラザー・コーンの元相方、白血病で闘病 「グループ あ」でデビュー

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
バブルガム・ブラザーズのブラザー・コーン(70)が10月16日、自身のインスタグラムで、かつてのコンビ相手で放送作家・テレビプロデューサーの藤田亨さんが亡くなったと報告した。2人は「あのねのね」の弟子として「グループ あ」の名でデビューした間柄だった。藤田さんはがんを経験した後に白血病を発症し、骨髄移植を受けていた。亡くなった日と年齢は明らかにされていない。
↓ 詳細が気になる方は、このまま下へ ↓
ブラザー・コーンがインスタグラムで報告
「俺の兄弟、藤田亨があの世へ旅立ちました」。ブラザー・コーンは10月16日の投稿をこの一文で始め、藤田さんと並んで写る2ショット写真を添えた。
投稿では2人の歩みを短くたどっている。若い頃にあのねのねの弟子となり、「グループ あ」というコンビ名でデビューしてバラエティー番組などに出演したこと。その後、ブラザー・コーンは音楽の道へ、藤田さんは日本テレビの報道プロデューサーや不動産業の道へ進んだこと。ブラザー・コーンはこの分かれ道を「芸能界でも表側と裏側に分かれ」と表現した。藤田さんの歩みについては「日テレの報道プロデューサー他、不動産業等の道へ進み大成功を納めた」とつづっている。
亡くなった日付、年齢、葬儀の日程について、投稿や報道で発表されたものは10月17日時点で見当たらない。所属事務所や遺族からの発表も確認できていない。死去の報告は、ブラザー・コーン本人の投稿で伝えられた。報道では、藤田さんは放送作家でテレビプロデューサーと紹介されている。
あのねのねの弟子から「グループ あ」へ
2人の出発点は、清水国明と原田伸郎によるフォークデュオ「あのねのね」の周辺にあった。藤田さんは青山学院大学経済学部の在学中に、あのねのねの清水国明に誘われて事務所に入った。その後はタレント、放送作家、スポーツキャスターを経験している。
ブラザー・コーンも学生時代、あのねのねの事務所に身を置いていた。2017年7月21日に出演したTOKYO MX「バラいろダンディ」では、水道橋博士に話を向けられ、学生時代にみのもんたのラジオ番組へレギュラー出演していた頃、太田プロのマネジャーからたけし軍団の結成前に誘いを受けたと明かしている。それでも「あのねのね事務所の金魚の糞みたいにくっついていた」ため、断ったのだという。
投稿によると、2人は「グループ あ」としてバラエティー番組などに出演していた。ただ、デビューの正確な年や、コンビとして活動した期間は、投稿の中で示されていない。
その後、ブラザー・コーンはBro.TOMとバブルガム・ブラザーズを組み、1985年にアルバム「SOUL SPIRIT Part II」でデビューする。「WON’T BE LONG」のヒットで知られるデュオは、2025年にデビュー40周年を迎えた。一方の藤田さんは、テレビの裏側に回った。
日本テレビの報道番組を3000本以上
藤田さんが腰を据えたのは報道の世界だった。放送作家として、またプロデューサーとして、夕方のニュース番組を中心にドキュメンタリー、調査報道番組、報道特番などを数多く手がけた。日本テレビの報道番組を中心に、2023年の著書刊行時点で3000本以上を手がけていた。
著書の紹介によると、日本テレビの「真相報道バンキシャ!」で企画構成を担い、平日夕方のニュース番組「news every.」では特集プロデューサーを務めていた。いずれも著書を出した2023年時点の肩書だ。テレビの外では、2012年から2015年まで青山学院大学経営学部の非常勤講師として企画作りを教える授業を受け持ち、学生の授業アンケートで高い評価を得て、4年続けて学長表彰を受けている。
培った技術は本にもまとめた。2017年9月に著書「伝わるコトバ」の作り方(ロングセラーズ)を出版し、2023年10月には内容を新たにした新書「伝わる言葉」のつくり方 プロが使う秘密の法則を出している。30年以上の経験から培った、相手に伝わる言葉のつくり方を説く内容だ。
銀座のバー、そして白血病
別々の道に進んでからも、2人の縁は切れなかった。投稿によると、2人は銀座で一緒にバーを始め、「何年も順調な毎日が続いていた」という。
ただ、その後は病気との闘いが続く。ブラザー・コーンは「お互い癌という病魔に襲われ辛い時もあったがなんとか銀座で9年近く店は今でも続けられている」とつづった。藤田さんがどのがんを患ったのかは明かされていない。
そこへ、別の病気が藤田さんを襲った。ブラザー・コーンの言葉では「又亨に病魔が襲いかかった」。今度は白血病だった。白血病は血液をつくる細胞ががん化する病気で、治療の一つに、提供者から健康な造血幹細胞を受け取る骨髄移植がある。
藤田さんは骨髄移植を受け、移植は成功していた。ブラザー・コーンは回復を祝う準備を考えていたという。「俺は盛大な復帰パーティーをして亨を迎えてやろうと思ってたその矢先に訃報が入った。すでに遅かった」。移植後の経過や、亡くなるまでの詳しい病状は公表されていない。
ブラザー・コーン自身も病気と向き合ってきた。40代で腎不全を患い、人工透析を経て妻から腎臓の提供を受けた。50代では前立腺がんも経験している。2023年8月にはステージ2の乳がんを公表し、2024年1月の手術を経て、同年3月に復帰ライブを開いた。がんを知る2人が、同じ店を守り続けていたことになる。
耳に残るハーモニカの音色
投稿の後半は、藤田さんに語りかける言葉で埋まっている。「まだお互いに叶えていない夢もいくつかあったのに悲し過ぎる」と悔しさをにじませ、「亨がいつも歌いながら吹くハープ(ハモニカ)の音色が耳から離れない」と、藤田さんの姿を思い返した。
結びは、旅立った相棒への呼びかけだった。
「亨、俺はもう少しこちらで頑張るから亨はきっと今、病気の辛さと痛みからやっと逃れて楽になってると思うから俺がそちらに逝くまでゆっくり休んで俺達を見守っててくれよ。なんかとっても寂しくて悲しいけど、しばらくはお別れだね。お疲れ様でした。そして本当にありがとう 合掌」
表舞台と裏方。2人は別々の道を選んだが、銀座の店で再び肩を並べ、その店は9年近く続いてきた。復帰パーティーで迎えるはずだった「兄弟」を、ブラザー・コーンは投稿で見送った。
[文/構成 by MediaDogs編集部]














































































コメントはこちら