福谷浩司、日本ハム退団をnoteで報告「8月に球団から来季の構想外を通達されました」

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日本ハムは10月20日、福谷浩司投手(35)の退団を発表した。同じ日の午後、福谷は自身のnoteに「ご報告」と題した文章を公開し、8月に球団から来季の構想外を告げられていたことを明かした。2024年オフに中日から国内FA権を行使して加入し、報道によると2年契約の最終年だった。今後については現役続行への意志を示している。
8月に通達、それでもシーズン最後まで日本ハムで
noteの公開は10月20日15時4分。冒頭は「報道にもある通り、来季の構想外となりました」という一文で始まる。
核心は中盤にある。「8月に球団から来季の構想外を通達されましたが、シーズン終了までファイターズの一員としてプレーすることを希望し、その願いを叶えていただきました」。8月の段階で来季の構想から外れることを知らされながら、福谷はチームに残ってシーズンを戦い切る道を選び、球団もそれを受け入れたのだ。
8月の通達から退団の発表までは、約2か月あった。
その間の心境についても、福谷は率直につづった。「ここで現役を引退すべきか、現役を続ける道を探すか、迷いを抱えながらプレーを続けてきましたが、僕の中にある『投げたい、試したい、成長したい』という意志は、今も変わらず強くあります」。引退か続行か、揺れながらマウンドに立っていたことがうかがえる。
球団は「退団」と発表、コメントには悔しさと感謝
球団の公式サイトが「退団のお知らせ」を掲載したのは10月20日15時2分で、noteの公開とほぼ同時刻だった。発表文は「福谷浩司投手(35)の退団が決まりました」という表現で、戦力外通告や来季の契約を結ばないといった言葉は使っていない。構想外の通達が8月だったという経緯は球団の発表文には書かれておらず、福谷本人のnoteで明らかになった。
球団を通じたコメントでは、まず悔しさを口にした。「ファイターズに移籍してからの2年間、チームの力になれたという実感は乏しく、非常に悔しいです。自分の力不足に、幾度となく罪悪感にさいなまれました」。
一方で、移籍の判断そのものは後悔していないと強調する。「『ファイターズに来なければよかった』と後悔したことは、この2年間で一度たりともありません。『ファイターズを選んで正解だった』と、胸を張って言うことができます」。ファンには「最後の最後まで温かいご声援を送ってくださったファンの皆様には、感謝の言葉しかありません」と感謝を伝えた。noteにも同じ趣旨の言葉が並んでいる。
日本ハムは前日の10月19日、松岡洸希投手(26)、梅林優貴選手(28)、明瀬諒介選手(21)の3人に来季の契約を結ばないと通達したと発表していた。福谷の退団発表は、その翌日だった。
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球団の公式Xにも退団の知らせが投稿され、ファンからは「急すぎる」と突然の発表に驚く反応が相次いだと報じられた。
日本ハムでの2年間は1軍26試合
福谷が中日からFA移籍を決めたのは2024年12月だった。12月24日に自身のSNSで日本ハムへの移籍を明かし、球団も同じ日に獲得を発表している。日本ハムにとっては2022年オフの伏見寅威、2023年オフの山﨑福也に続く3年連続のFA補強だった。
中日での最終年となった2024年は、先発とリリーフの両方を任されて8試合に登板し、3勝1敗、防御率3.72。その成績を手に、2025年1月6日の入団会見に臨み、背番号は41に決まった。移籍を決めた理由について、福谷は球団公式ホームページを通じて「1番の理由は、理解できなかったことです」と明かしている。最初にオファーを受けたときは「どうして?」と感じたものの、交渉の中で熱い思いを受け、周囲から自分の評価を聞けたことがうれしかったと説明した。
ただ、移籍後は1軍のマウンドに定着できなかった。日本野球機構(NPB)の記録によると、2年間の1軍成績は次のとおり。
| 年度 | 登板 | 勝敗 | ホールド | 投球回 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2025年 | 14 | 1勝1敗 | 2 | 14回1/3 | 3.77 |
| 2026年 | 12 | 0勝1敗 | 1 | 12回2/3 | 4.26 |
| 2年計 | 26 | 1勝2敗 | 3 | 27回 | 4.00 |
2年間で投げたイニングは合わせて27回。中日時代の2020年に先発で92回を投げたことを考えると、出番は限られていた。それでも本人はnoteで「この2年間、自分の中で成長を実感できた部分もあり、その実感が『投げたい』という意志を後押ししてくれているのかもしれません」と書いている。数字には表れない手応えを、本人は感じていた。
慶大理工学部からドラフト1位、中日で12年
福谷は1991年1月9日生まれ、愛知県出身の右腕だ。愛知県の横須賀高校から慶應義塾大学に進み、理工学部で電子工学を学びながら野球部で投げた。2012年のドラフト会議で中日から1位指名を受けて入団している。ドラフト当時、慶大野球部の江藤監督は福谷について「勉強が7、野球が3と言っていた」と明かしたと報じられた。学業と野球を両立させてプロの世界に入った、異色の経歴の持ち主だ。
飛躍は2年目の2014年に訪れる。リリーフとして72試合に登板し、2勝4敗11セーブ32ホールド、防御率1.81。一気にブルペンの中心に躍り出た。翌2015年に42試合、2016年に41試合と、3年続けて40試合以上に投げている。
その後は登板数が減ったものの、2020年は主に先発を任されて14試合で8勝2敗、防御率2.64と結果を残した。翌2021年は18試合に登板して5勝10敗、プロ14年間で唯一となる完投も記録した。中日では2013年から2024年まで12年間在籍し、通算278試合に登板した。
日本ハムでの2年を合わせたプロ14年間の1軍通算成績は、304試合で28勝35敗38セーブ、防御率4.04となった。
現役続行へ「可能性がある限り」
noteの終盤で、福谷は次の場所を探す考えを示した。「可能性がある限り、その湧き上がる気持ちをぶつけられる環境を求めていきたいと思っています。もし再びユニフォームを着て、マウンドに上がる機会があれば、ご声援をいただけると嬉しいです」。
移籍先の候補や具体的な予定について、本人は触れていない。プロ野球はクライマックスシリーズを終えて第2次戦力外通告の期間に入っており、10月22日にはドラフト会議が開かれる。各球団の来季に向けた編成が動くなか、14年間で304試合に投げた35歳の右腕が新たな環境を見つけられるかどうか。
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noteは「2年間、本当にありがとうございました。今後とも、引き続きよろしくお願いいたします」と結ばれ、署名には「北海道日本ハムファイターズ 福谷 浩司」と記されていた。
[文/構成 by スポーツライター 高瀬翔吾]









































































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