佐野海舟、ブラジル戦で代表初ゴール 岡山・津山出身からマインツまでの経歴を整理

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日本代表MF佐野海舟(25)=マインツ=が、北中米ワールドカップの決勝トーナメント1回戦ブラジル戦で代表初ゴールを決めた。前半29分、中盤でボールを奪うと自ら持ち上がり、右足のミドルシュートをゴール左隅へ突き刺した。名前は「さの かいしゅう」と読む。岡山県津山市で育ち、町田・鹿島を経てドイツへ渡った25歳の歩みを整理する。
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ボール奪取から右足一閃、王国から奪った先制点
日本時間6月30日未明、米ヒューストン。日本はFIFAランキング6位のブラジルと、ベスト16進出をかけた一戦に臨んだ。
試合が動いたのは前半29分だった。佐野が中盤で相手のパスを読み切り、足を伸ばしてインターセプト。そのまま中央を持ち上がると、ペナルティーエリア手前から右足を振り抜いた。コースを狙ったミドルシュートはゴール左隅へ吸い込まれ、王国を相手に先制点が生まれた。
国際Aマッチではこれが初ゴールだ。スポーツ報知は「日本のW杯史上、最もダイナミックかつ圧巻の先制点」と伝えた。
だが、試合は1-2で逆転負け。佐野は試合後、「チームの結果が自分の得点よりすべて。悔しい」と振り返った。自らの得点よりも、敗退の悔しさをにじませた。
「海舟」は「かいしゅう」、津山が生んだボランチ
佐野海舟と書いて「さの かいしゅう」と読む。幕末の勝海舟と同じ字だ。
2000年12月30日、岡山県津山市に生まれた。ポジションは中盤の底、いわゆるボランチで、相手の攻撃の芽を摘むボール奪取を持ち味にする。身長176センチ、利き足は右だ。
弟の佐野航大もプロサッカー選手で、オランダ・エールディビジのNECナイメヘンに所属する。兄弟そろって日本代表に名を連ねた、サッカー一家の長男である。
津山から米子北、町田・鹿島を経てマインツへ
サッカーを始めたのは地元・津山だった。中学年代を地域のクラブで過ごすと、鳥取の名門・米子北高校へ進む。1年からレギュラーをつかみ、全国高校サッカー選手権や総体の舞台を踏んだ。
高校卒業後の2019年、当時J2のFC町田ゼルビアに加入した。攻守に走り回る中盤として頭角を現す。2023年にはJ1の鹿島アントラーズへ移り、リーグ屈指のボランチへと成長した。
そして2024年7月、ブンデスリーガの1.FSVマインツ05へ完全移籍。海を渡ってわずか1年あまりで、世界の大舞台に立つまでになった。
武器はボール奪取、名波コーチとの猛特訓
佐野の持ち味は、相手から自由を奪う守備にある。間合いを一気に詰めてボールをかすめ取るインターセプトは、ブンデスリーガでも通用した。
一方で、得点力は伸ばすべき課題だった。日本代表では名波浩コーチとシュートの猛特訓を重ね、武器を増やそうと取り組んできた。ブラジル戦の一撃は、その積み重ねが大舞台で実を結んだ瞬間だった。
奪って、運んで、決める。守備の選手という枠を一歩越える得点だった。
逆転負けの先に、攻守で戦える選手へ
日本はその後、後半11分にカゼミロのヘディングで追いつかれ、アディショナルタイムにマルチネリへ決勝点を許した。佐野の先制点は実らず、ベスト16進出はならなかった。
それでも、世界ランキング6位の強豪を最後まで苦しめた事実は残る。試合後、佐野は次を見ていた。「攻撃も守備もできる選手にならなきゃいけない」。悔しさをにじませながら、課題を口にした。
ボール奪取で世界に名を知らしめ、そこに得点という新しい武器が加わろうとしている。津山から世界へ。佐野の歩みは、まだ途中だ。
[文/構成 by スポーツライター 久遠(KUON)]





































































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