柴田善臣が引退式「幸せな騎手人生でした」 横山典弘が花束、JRAアドバイザーへ

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9月に現役を退いた柴田善臣元騎手(60)の引退式が11月1日、東京競馬場のパドックで開かれた。全レース終了後も大勢のファンが残るなか、柴田は「幸せな騎手人生でした」とあいさつした。競馬学校の1年後輩にあたる横山典弘騎手らが花束を贈り、約50人の騎手が式を見守った。2027年3月からはJRAアドバイザーとして後進の指導にあたる。
天皇賞・秋の当日、パドックで開かれた引退式
式があったのは、G1天皇賞・秋が行われた11月1日。JRAは9月19日に引退式の実施を発表しており、第4回東京競馬第11日の16時45分頃から東京競馬場のパドックで始まると告知していた。式の様子はYouTubeの「JRA公式チャンネル」でライブ配信され、BSイレブンでも放送された。
最終レースが終わってもパドックを離れないファンの前に、柴田が姿を見せる。セレモニーでは現役時代のレース映像が流れ、柴田は若い頃の自分を見て笑いを誘った。苦しい時期もあったが楽しい騎手生活だったと話し、最後にファンへ向けて「幸せな騎手人生でした」と感謝を伝えた。
同じ日の天皇賞・秋は、4番人気のダノンデサイルが大外17番枠から勝ってG1・3勝目を挙げた。鞍上の戸崎圭太騎手は、その約1時間後に始まった柴田の引退式にも姿を見せた。
関連記事:ダノンデサイル、大外17番から天皇賞・秋制覇 G1で4戦続いた3着に終止符、戸崎圭太が語った勝因と次走の行方
11月1日という日付には縁もあった。柴田がオフサイドトラップで天皇賞・秋を制したのは、28年前の1998年11月1日だった。
横山典弘、戸崎圭太、師匠の中野隆良元調教師らが花束
花束を贈ったのは、デビュー時の師匠である中野隆良元調教師や、JRA競馬学校騎手課程の同期にあたる須貝尚介、武藤善則、岩戸孝樹の各調教師、そして現役の横山典弘騎手と戸崎圭太騎手らだった。
横山典弘(58)は競馬学校で柴田の1年後輩にあたる。代表してあいさつに立つと、年齢が1つしか違わないのに頼りになる先輩で、ずっと甘えてきたと明かした。アドバイザーに就く柴田に向けては、また自分を「教育してください」と呼びかけ、会場の笑いを誘った。
式の途中には、そろいのシャツを着た関東・関西の騎手仲間が登場した。戸崎が代表して、東西の騎手のサインを寄せ書きした大きなフラッグを手渡す。8歳と5歳の孫2人も花束を持って登場し、家族と並んで記念写真に収まった。退場の際には後輩騎手たちが花道をつくり、柴田を送り出した。
武豊騎手はこの日、京都競馬場で騎乗していたため出席できず、パドックの大型ビジョンでビデオメッセージを寄せた。競馬学校時代から柴田を見てきた武は、「常に憧れ」だった先輩だと話し、「大好きです」と思いを伝えている。
1985年デビュー、JRA通算2341勝の歩み
柴田は1966年7月30日生まれ、青森県出身。JRA競馬学校騎手課程の1期生として1985年3月1日に騎手免許を取得し、美浦の中野隆良厩舎からデビューした。同年3月9日に中山競馬場でイズミサンエイに乗って初騎乗し、4月7日に同じイズミサンエイで初勝利を挙げた。
重賞初制覇はデビュー4年目、1988年の中山牝馬ステークス(ソウシンホウジュ)。1993年にはヤマニンゼファーで安田記念を勝ってG1初勝利を飾ると、同じ年の天皇賞・秋も制した。2002年から2004年には3年連続で関東リーディングを獲得し、2004年には自己最多の年間145勝をマークしている。
G1は9勝。JRAが公表した勝ち鞍は次のとおりだ。
| 年 | レース | 騎乗馬 |
|---|---|---|
| 1993年 | 安田記念 | ヤマニンゼファー |
| 1993年 | 天皇賞(秋) | ヤマニンゼファー |
| 1996年 | NHKマイルカップ | タイキフォーチュン |
| 1998年 | 天皇賞(秋) | オフサイドトラップ |
| 2000年 | 高松宮記念 | キングヘイロー |
| 2006年 | 高松宮記念 | オレハマッテルゼ |
| 2010年 | 宝塚記念 | ナカヤマフェスタ |
| 2012年 | エリザベス女王杯 | レインボーダリア |
| 2014年 | 安田記念 | ジャスタウェイ |
2014年の安田記念を勝ったジャスタウェイは、競馬学校の同期・須貝尚介調教師の管理馬だった。引退式で須貝が花束を手渡した場面には、そうした40年来のつながりがある。
JRA通算成績は2万2311戦2341勝(平地2万2271戦2339勝、障害40戦2勝)。重賞は96勝を積み上げ、通算勝利数は歴代6位にあたる。2022年春にはJRAの現役騎手として初めて黄綬褒章を受章し、同年度のJRA賞特別賞にも選ばれた。
最年長勝利記録を更新し続けた晩年
キャリアの終盤は、けがとの闘いだった。2024年12月に左肩の腱板を断裂し、約9カ月の休養を経て59歳で復帰する。2026年1月31日にはリッツパーティーで勝ち、自身が持つJRA最年長勝利記録を59歳6カ月で塗り替えた。記録が動くたびに、東京競馬場のJRA広報室では年齢と日付を書き換えるホワイトボードが話題になったという。
だが、4月12日の福島競馬で騎乗したあとに右肩を痛める。この日の福島11レース・福島民報杯(ピースワンデュック、14着)が、結果としてJRAで2万2311回目、最後の騎乗になった。リハビリを続けながら7月30日に60歳の誕生日を迎えたものの、レースに戻ることはできなかった。JRAで初めてとなる還暦騎手の騎乗は、実現しないまま終わった。
JRAは9月15日、柴田から騎手免許の取消申請があり、9月18日付で免許を取り消すと発表した。1985年3月の免許取得から数えて、約41年半の騎手生活だった。
翌16日、柴田は茨城県の美浦トレーニングセンターで記者会見に臨んだ。決め手は右肩のけがだったという。利き腕の右肩が使えないまま乗ればほかの部分を痛めるおそれもあり、だらだら続けるより「キッパリ終わる方がいい」と考えたと説明した。最も力があった馬にはキングヘイローを挙げ、遅咲きで強くなった馬としてジャスタウェイの名前も出している。
競馬学校の3期生にあたる武豊は、引退発表の翌日に栗東トレーニングセンターで取材に応じた。もっと一緒に乗りたかったと残念がり、デビュー当時から憧れの先輩だったと話した。武より年上の現役騎手は、柴田の引退で横山典弘だけになった。
2027年3月からJRAアドバイザーに
JRAは引退発表の時点で、柴田が引退後にJRAのアドバイザーに就く予定だと明らかにしていた。複数の報道によると、就任は2027年3月からになる。
柴田は引退式で、これまで先輩から教わってきたことをもとに、今の時代に合ったやり方で後輩へ伝えていきたいと語った。騎手仲間をこれからも仲間だと思ってアドバイスしていく、とも話している。
横山典弘が「教育してください」と呼びかけたのも、柴田のアドバイザー就任を踏まえてのことだった。42年目のシーズン途中で鞭を置いた名手は、来春から立場を変えて騎手たちと向き合う。
[文/構成 by スポーツ担当ライター 疾風(HAYATE)]










































































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