小坪碧人、ソフトバンク6位で指名あいさつ 柳川高から直接の支配下指名は94年の川口憲史以来32年ぶり

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ソフトバンクからドラフト6位で指名された柳川高等学校(福岡県柳川市)の小坪碧人投手(18)が10月30日、同校で球団の指名あいさつを受けた。最速147キロの左腕で、ソフトバンクが支配下で指名した9人の中で高校生は小坪だけ。柳川高から高校生が直接、支配下で指名されるのは、1994年に近鉄から4位指名を受けた川口憲史以来32年ぶりとなった。
校長も同席した10月30日の指名あいさつ
指名あいさつは10月30日、柳川高等学校の校内で行われた。理事長を兼ねる古賀賢校長が同席し、球団からは福山龍太郎スカウトチーフらが訪れた。報道によると、場所は校長室ではなく「絶校長室」と呼ばれる部屋だった。
報道によると、古賀校長はスカウト陣を前に「柳川高校の生徒として恥ずかしくない子です。しゃべりもしっかりとしています」と小坪を売り込んだ。小坪は商業科総合ビジネスコースの3年生。同じ報道では、学校案内のパンフレットで同コースの紹介役として写真に載り、電卓3級の資格も持つと紹介された。
小坪は幼いころ、両親に連れられて当時のヤフオクドーム(現みずほPayPayドーム福岡)を訪れたことがきっかけで野球を始め、ホークスファンになった。報道によると、あいさつの席で球団の帽子をかぶせてもらった小坪は「小さいころかぶっていた帽子を、本物の帽子をかぶることができてうれしい」と喜び、王貞治球団会長兼特別チームアドバイザー、城島健司CBO、小久保裕紀監督のサインボールを手にした。
「32年ぶり」の条件は高卒の支配下指名
この「32年ぶり」には条件が付く。柳川高を卒業して大学や社会人を経由してから指名された選手、育成選手として指名された選手は含まない。高校から直接、支配下選手として指名された例に限った数字だ。
支配下選手は1球団70人までの枠に入る選手で、1軍の公式戦に出場できる。育成選手は3桁の背番号を付け、主に2軍以下の試合で力をつけながら支配下登録を目指す立場にある。同じドラフトの指名でも、スタート地点が違う。
日本野球機構(NPB)の各年の選択選手一覧などで、1994年以降に柳川高で学んだ選手が指名された主な例をたどると、次のようになる。
| 指名年 | 選手 | 球団・順位 | 指名時の所属 |
|---|---|---|---|
| 1994年 | 川口憲史 | 近鉄4位 | 柳川高 |
| 1999年 | 花田真人 | ヤクルト5位 | 中央大学 |
| 1999年 | 田中瑞季 | ダイエー5位 | 元住友金属 |
| 2002年 | 林威助 | 阪神7巡目 | 近畿大学 |
| 2003年 | 香月良太 | 近鉄自由獲得枠 | 東芝 |
| 2008年 | 香月良仁 | ロッテ6位 | 熊本ゴールデンラークス |
| 2014年 | 柿木映二 | ソフトバンク育成5位 | 柳川高 |
| 2026年 | 小坪碧人 | ソフトバンク6位 | 柳川高 |
2014年には、ソフトバンクが柳川高の柿木映二を育成選手として指名している。高校から直接プロの世界へ進んだ例はあるが、支配下の枠で名前が呼ばれたのは川口以来になる。
川口は福岡県八女市出身。内野手として入団し、1997年に外野手へ転向。1999年には日本代表としてインターコンチネンタルカップに出場。2001年には打率.316、21本塁打を記録して、近鉄にとって最後となったリーグ優勝に貢献した。2005年からは楽天でプレーし、2010年に現役を退いた。
柳川高は1980年に現校名へ改称するまで柳川商業高等学校の校名で、全国高校野球選手権大会などに繰り返し出場しながら、多くのプロ野球選手を送り出してきた。阪神で監督も務めた真弓明信、ダイエーとソフトバンクで打撃コーチを務めた立花義家らが卒業生に名を連ねる。ホークスとの縁も深い学校から、久しぶりに高校生が支配下で指名されたことになる。
「隠し玉」と評されたスライダー
小坪は2008年10月18日生まれで、福岡県久留米市出身。読みは「こつぼ・あおと」。小学3年生のときにサッカーから野球へ移った。憧れの投手は、元ソフトバンクの和田毅だ。
183センチの大型左腕は、柳川高に入学した当初は135キロ前後の球速だった。報道によると、トレーニングと食事で体重を15キロ増やし、2年生の冬に140キロ、3年生になって最速147キロまで伸ばした。持ち球は直球、カットボール、スライダーなど。
最後の夏は、7月13日の第108回全国高校野球選手権福岡大会3回戦で福岡工大城東に0―1で敗れ、甲子園には届かなかった。全国の舞台を経験していない投手を、球団はどう見ていたのか。
福山スカウトチーフは、世間から見れば「隠し玉」かもしれないと話し、打者の手元で曲がるスライダーを「特殊球」と評した。スライダーの精度とストライク率の高さを買っており、実力を確かめたうえで支配下で指名したと説明した。報道によると、タイプとしては元巨人の山口鉄也の名前も挙げた。山口は育成選手として巨人に入り、中継ぎの左腕として長く活躍した投手だ。福山スカウトチーフは「大きく育てたい」とも話した。
ソフトバンクは10月22日のドラフト会議で、支配下9人、育成15人の計24人を指名した。支配下は1位の鈴木泰成(青山学院大学)、2位の有馬伽久(立命館大学)をはじめ大学生が中心で、海外の大学からも2人を指名した。高校生の支配下指名は小坪だけだった。育成では敦賀気比高等学校の2人など高校生も名を連ねる。
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筑後から目指すドームのマウンド
ドラフト当日の10月22日、小坪は柳川高で開かれた会見で、小さいころから見てきた地元球団に指名された喜びを語り、在学中に150キロを投げたいと抱負を口にした。会見を終えると、グラウンドで待っていた同級生や後輩から祝福を受けている。
プロではまず体づくりから始まる。2軍の本拠地は筑後市のファーム施設、HAWKSベースボールパーク筑後にある。報道によると、久留米市の実家からは車で約20分で、小坪は「高校より近いですけど、ドームで投げたい」と話した。将来の目標には日本シリーズのマウンドを挙げた。
柳川高等学校は1941年(昭和16年)に開校した私立校で、柳川城の跡地に校舎を置く。10月16日には創立85周年の記念式典を柳川市内の「御花」で開いたばかりだった。式典は卒業生でミュージカル俳優の岡幸二郎の歌唱で始まり、元プロテニス選手の松岡修造も登壇している。2028年春には新校舎の完成も控える。節目の年の秋に、在校生の名前がドラフト会議で呼ばれた。学校は公式サイトで、ドラフト当日と指名あいさつの様子を続けて伝えている。
1994年の川口から2026年の小坪へ。柳川で高校生活を送った久留米市出身の左腕が、子どものころに訪れたドームのマウンドを目指して、筑後から歩みを始める。
[文/構成 by スポーツ担当ライター 高瀬翔吾]











































































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