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吉田祐也、インスタで現役続行を表明「どのような状況でも諦めず、最後まで戦い抜く覚悟です」

吉田祐也、インスタで現役続行を表明「どのような状況でも諦めず、最後まで戦い抜く覚悟です」

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン

男子マラソンの吉田祐也(29)=GMOインターネットグループ=が10月19日、自身のインスタグラムで現役続行を表明した。9月26日の愛知・名古屋アジア大会は11位。レース後には2024年12月から脚の力が抜ける症状に悩んできたと明かし、去就の報告を後日に持ち越していた。投稿では2027年1月のニューイヤー駅伝への思いもつづっている。

アジア大会から23日、インスタグラムでつづった決意

投稿の締めくくりは、こうだった。「一度は引退を考え、ご心配もおかけしましたが、どのような状況でも諦めず、最後まで戦い抜く覚悟です」。

吉田はまず、アジア大会での声援に礼を述べ、大会後はしばらく休養を取って「心身ともに自分自身と向き合う時間を過ごしました」と報告した。そのうえで自らに向けた言葉は厳しい。大会に向けて準備を重ねる一方、「脚の力が抜ける症状を心のどこかで言い訳にしていた自分が、何よりも悔しく、情けなく感じました」と書いている。

それでも、支えてくれた人への感謝や競技への思いを見つめ直すうちに気持ちが固まった。「自分自身が『すべてやり切った』と胸を張って言えるよう、もう一度競技と向き合うことを決意しました」。思うように走れない時期も、決断する場面でも、GMOインターネットグループのチームメンバーや監督、関係者、そして青山学院大学の原晋監督が親身に相談に乗ってくれたという。

今後については「チームの一員としてもニューイヤー駅伝で目標達成に貢献するとともに、自分自身の可能性にも最後まで向き合っていたいと思います」と記した。

なぜ引退が頭をよぎったのか

発端は、日本歴代上位の記録を出した直後にあった。

吉田は2024年12月の福岡国際マラソンを2時間5分16秒で制した。当時の日本歴代3位で、10月19日時点の報道では日本歴代4位にあたる。ところが、このレースの後から左脚の力が抜ける症状が出るようになった。長距離ランナーの間で「ぬけぬけ病」とも呼ばれる症状で、吉田によれば、最初は1週間のうち週末だけ調子が悪い程度だったものが、抜ける期間が少しずつ長くなっていったという。

2025年9月15日の東京世界選手権では、中盤以降に後れを取り、2時間16分58秒の34位に終わった。このときは症状を公にしていない。アジア大会後の取材で、吉田は「勝負の世界では、言い訳になってしまうので、言わなかった」と明かしている。

2026年2月の別府大分毎日マラソンでは、青山学院大の後輩・黒田朝日との競り合いを制し、2時間6分59秒で日本選手トップの2位に入った。2028年ロサンゼルス五輪の代表選考会、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)の出場権もこのレースでつかんだ。結果だけを見れば復調だが、不調はその後も続いた。特にアジア大会前の半年間は、思うように練習を積めず、脚の状態を見ながらメニューを組む日々だったという。

迎えた9月26日のアジア大会男子マラソン(パロマ瑞穂スタジアム発着)。吉田は16〜17キロ付近のペースアップに付いていけず先頭集団から離れ、2時間18分33秒で11位となった。金メダルは2時間10分49秒の山下一貴(29)=三菱重工=で、吉田は約8分遅れだった。

ゴール後、吉田は涙を流しながら「結果が悔しいという思いはほとんどなくて、充実した思いで42キロ走らせてもらった。感謝の一言です」と語った。「体というより精神的に苦しい時期が続いた。競技を続行できないんじゃないかとずっと思っていた」とも口にしている。レース前にはインスタグラムに「これまでとは少し異なる想いを持ってスタートラインに立つことになりそうです」と投稿しており、その真意を問われると「また後ほど皆さんにご報告できれば」と答えるにとどめた。

その「報告」が、10月19日の現役続行表明だった。

一度は競技を離れるはずだった選手

吉田が引退と向き合うのは、これが初めてではない。

青山学院大4年時、初めて出場した2020年の箱根駅伝で4区を走り、当時の区間新記録で総合優勝に貢献した。もっとも、卒業後は競技を続けず一般企業に就職することが決まっていた。区切りのレースとして出た2020年2月の別府大分毎日マラソンで、初マラソンながら2時間8分30秒の3位(日本選手トップ)。この走りをきっかけに進路を変え、GMOインターネットグループで競技を続ける道を選んだ。

その年の12月には福岡国際マラソンを2時間7分5秒で制した。2024年の同大会で4年ぶり2度目の優勝を果たすと、2025年の東京世界選手権で初の日本代表に。2026年は日本陸上競技連盟が発表したMGCシリーズ2025-26の男子王者となり、アジア大会の代表にも選ばれた。2大会連続で日の丸を背負ったことになる。

原監督は大学時代の吉田を「青学大史上、一番、練習した男」と評している。卒業後も指導を続け、アジア大会の当日にはXで「アジア48億人の11位だからたいしたものなんだよ」「オンリーワンの11位。まずはゆっくり休みましょう」と教え子をねぎらった。休養の期間を経て、吉田が相談相手として名前を挙げたのも、その恩師だった。

吉田祐也の主なマラソン成績

年月大会記録順位
2020年2月別府大分毎日マラソン(初マラソン)2時間8分30秒3位(日本選手トップ)
2020年12月福岡国際マラソン2時間7分5秒優勝
2024年12月福岡国際マラソン2時間5分16秒(自己ベスト)優勝
2025年9月東京世界選手権2時間16分58秒34位
2026年2月別府大分毎日マラソン2時間6分59秒2位(日本選手トップ)
2026年9月愛知・名古屋アジア大会2時間18分33秒11位

ニューイヤー駅伝、そして2027年10月のMGCへ

次の目標として投稿に書かれたのは、2027年1月1日のニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝)だ。GMOインターネットグループには、別府大分で競り合った黒田朝日も加わっている。投稿どおり、まずはチームの一員としてこの駅伝での目標達成を目指す。

その先には、2027年10月3日に名古屋市で行われるMGCが待つ。上位に入れば2028年ロサンゼルス五輪の代表が決まるレースで、吉田はすでに出場権を持つ。10月18日のアムステルダムマラソンでは、池田耀平(28)=花王=が吉田の自己ベストと同じ2時間5分16秒で走り、MGCの出場権を手にした。選考会に向けた争いは、すでに動き始めている。

関連記事:池田耀平、アムステルダムマラソン2時間5分16秒で9位 MGC出場権獲得、花王所属の経歴

脚の症状がどこまで回復しているのか、本人もチームも具体的には明らかにしていない。次に出るレースも、10月20日時点で公表されていない。

一度は競技を離れるつもりだった大学4年の冬から6年。自分で「すべてやり切った」と言えるまで走ると決めた29歳は、ふたたびスタートラインに戻る。

[文/構成 by スポーツライター 南條楓]

寄稿者

南條楓
学生時代に陸上の中距離を続けていたこともあり、記録で勝負が決まる競技に惹かれてスポーツを書くWebライターに。執筆歴は8年。陸上や水泳、体操、フィギュアスケートなど、記録と採点が結果を左右する競技を中心に、国際大会の速報から選手の歩みをたどる記事まで担当してきた。タイムや得点の意味、予選から決勝までの流れを、初めて観る人にも伝わる言葉で書くことを大切にしている。

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