林申雅、アジア大会1600mリレー金で地元・堺市長を表敬訪問「大きな声援に勇気をもらいました」 出身高校は大阪府立大塚高校

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愛知・名古屋アジア大会の陸上男子4×400mリレー(1600mリレー)で金メダルを手にした堺市出身の林申雅(22)=筑波大=が10月8日、堺市役所を訪れ、永藤英機市長に優勝を報告した。林は決勝で2走を務め、日本の12年ぶりの優勝に貢献している。報告の場では「大きな声援に勇気をもらいました」と語り、今後は個人種目でも世界で戦える選手を目指すと話した。
堺市役所で永藤英機市長に金メダルを報告
表敬訪問は10月8日午後1時30分から約20分間、堺市堺区南瓦町の堺市役所本館4階にある秘書課応接室であった。堺市は10月7日に訪問の予定を、10月9日に当日の内容を、それぞれ報道機関向けの資料で公表している。
迎えたのは永藤英機市長。資料には、関係者を交えた歓談の様子と、林と市長が並んだ記念撮影の写真が載る。堺市は林を「堺市出身の林申雅選手(筑波大学所属)」と紹介し、関係者も同席した。
アジア大会は9月19日から10月4日まで、愛知県と名古屋市を中心に開かれた。陸上競技の会場は名古屋市瑞穂区の名古屋市瑞穂公園陸上競技場。男子4×400mリレーは9月28日に予選、29日に決勝があり、日本は陸上競技の最終種目を金メダルで締めくくった。
「大きな声援に勇気をもらいました」 林と市長の言葉
林は市長を前に、大会の報告と今後の目標を語った。堺市が公表したコメントはこうだ。
「アジア競技大会で金メダルを獲得することができ、大変嬉しく思います。日本での開催ということもあり、大きな声援に勇気をもらいました。日頃から支えてくださる皆様への感謝を忘れず、今後は個人種目でも世界で戦える選手をめざし、努力を重ねたいと思います」
声援への感謝は、決勝直後から口にしていた。日本陸上競技連盟(日本陸連)がまとめたレース後のコメントで、林は前半からスピードに乗れたことについて「それはやはり大きな声援があったおかげ。本当に背中を押してもらった」と明かしている。自国開催の大会で受けた声援への思いは、9日後の地元への報告でも変わらなかった。
永藤市長は「金メダル獲得、誠におめでとうございます。大舞台で素晴らしい結果を収められたことを大変嬉しく思います」と祝福した。さらに「今回の活躍は、堺のこどもたちが夢や希望を持つ大きなきっかけになると思います」と続け、今後の活躍に期待を寄せている。
2走で200m付近から先頭に 12年ぶりの金
決勝のオーダーは1走から佐藤風雅(ミズノ)、林、今泉堅貴(内田洋行AC)、中島佑気ジョセフ(富士通)。日本は3分00秒75で先着し、2位カタールの3分00秒93を0秒18抑えた。3位はインドで3分01秒61だった。日本がこの種目で金メダルを手にするのは2014年の仁川大会以来、12年ぶりとなる。
レースが動いたのは2走だった。佐藤からバトンを受けた林は200m付近で先頭に立ち、そのまま今泉へつなぐ。今泉、中島も最後まで先頭を譲らなかった。
1走の佐藤は自分の区間に不満を残しつつ、「2~4走の選手が、先頭を維持し続けることができた」と語る。前日の予選で林は4走に回り、日本は3分03秒48の1組1着で決勝へ進んでいた。個人の400mを走った林の負担を軽くする狙いの配置で、林自身も決勝後に「予選で楽をさせてもらえた」と感謝している。
実は、林の体は万全ではなかった。
個人の男子400mは9月25日の予選を45秒57の3組2着で通過したが、26日の決勝は45秒77の6位。レース後、林は「今は悔しくて、全然考えることができない」と話し、日本インカレで右のふくらはぎに力が入らなくなり、そこから全然練習ができていなかったと打ち明けた。予選のリレーでは、ふくらはぎに負担をかけないよう「地面に足を置くだけのイメージ」で走ったという。
それでも決勝では前半から飛ばし、チームに先頭を渡した。レース後には「個人では不甲斐ない走りだったので、マイルだけは足を引っ張るわけにはいかないという気持ちで走った」とも話している。
堺市立三原台中学校から大阪府立大塚高等学校、筑波大学へ
林は2004年4月15日生まれ、大阪府出身。日本陸連の選手紹介によると、堺市立三原台中学校から大阪府立大塚高等学校へ進んだ。三原台中学校は堺市南区三原台にある市立中学校。大塚高等学校は松原市西大塚2丁目にある府立高校で、普通科のほかに体育科を置く。
大塚高校3年だった2022年には、とちぎ国体の少年男子A300mで決勝に進み、4位に入っている。筑波大学に進むと、1年生だった2023年の日本選手権で400mの7位に入り、その後も静岡国際などで上位に入る。4年生になった2026年、記録が一気に伸びた。5月のセイコーゴールデングランプリで45秒30の自己新を出して日本人2番手の5位に入ると、翌月には44秒台へ届いている。
その44秒98は、6月13日の第110回日本選手権の予選で出た。2000年に山村貴彦(日大)が作った学生記録45秒03を26年ぶりに更新し、学生として初、日本人で5人目の44秒台。日本歴代5位の記録でもある。この大会はアジア大会の代表選考会を兼ねており、会場は、のちにアジア大会の陸上競技会場にもなったパロマ瑞穂スタジアム(名古屋市瑞穂公園陸上競技場)だった。
2025年の東京世界選手権ではリレーの代表に選ばれたが、本番で走る機会はなかった。林は決勝後、「とても悔しい思いをした」と明かし、その悔しさを抱えて冬の練習に向き合ったことが金メダルにつながったと語った。2026年5月の世界リレーでは4×400mリレーの1走を務め、日本が2027年北京世界選手権の出場権を確保した予選のメンバーに入った。
地元出身の選手が、自国開催のアジア大会で金メダルを持ち帰った。三原台中学校の後輩や大塚高校の陸上部員にとっても、身近な先輩の快走だ。
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次の目標は個人種目で世界へ
市長への報告で林が掲げたのは「個人種目でも世界で戦える選手」になることだった。リレーの決勝後にも、個人種目は思うように戦えなかったとして、いったん休んでから映像で走りを確かめ、冬の課題をじっくり考えたいと語っている。
マイル侍の次の大舞台は、2027年の北京世界選手権だ。3走の今泉は決勝後、世界のメダル争いが2分55秒を切る水準にあると指摘し、そこへ近づく必要を口にした。
個人の400mで44秒台を持つ林にとって、リレーと個人の両方で世界と戦う1年が始まる。市長は激励の言葉を「今後の更なる活躍を期待しています」と結んでいる。
[文/構成 by スポーツライター 南條楓]










































































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