諸橋愛さん、頸髄損傷による多臓器不全で死去 49歳の競輪S級1班、12日に奈良で落車

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
競輪選手の諸橋愛(もろはし・めぐむ)さんが9月21日午前2時14分、頸髄損傷による多臓器不全のため亡くなった。49歳だった。9月12日に奈良競輪場のS級準決勝で落車し、奈良市内の病院で手当てを受けていた。競輪とオートレースを統括するJKAが9月22日に発表した。
搬送から9日、49歳のS級1班が帰らぬ人に
諸橋さんは新潟県出身、日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)79期。登録地は新潟で、2026年はS級1班に在籍していた。1977年7月21日生まれ。脚質は追込で、ラインの後ろから仕掛けて前を差し切る組み立てを得意にする選手だった。
落車したのは9月12日、奈良競輪場で行われたGIII「京都向日町競輪開設76周年記念 平安賞in奈良」の3日目、S級準決勝。JKAの発表では、最終2センター付近でアクシデントに巻き込まれて落車した。諸橋さんはそのまま奈良市内の病院へ救急搬送された。
治療は9日間に及んだ。しかし容体は戻らず、多臓器不全により9月21日未明に息を引き取る。訃報が公表されたのは翌22日の昼前だった。
最終2センターで落車、事故の原因は公表されていない
落車に至る経緯について、JKAは「アクシデントに巻き込まれて落車」とだけ説明している。報道によれば、諸橋さんは11Rに5番車で出走し、最終2センターで内に進路を取ったところで他の選手と絡んで落車した。走路補助員がその場で応急処置にあたり、そのうえで奈良市内の病院へ運ばれている。ただし、事故の原因や審議の結果は公表されていない。
平安賞in奈良は、改修工事中の京都向日町競輪場に代わり、奈良競輪場で9月10日から13日まで開かれたGIII。向日町の開設76周年を記念する開催だった。3日目の準決勝は、翌13日の決勝に進む顔ぶれを決める一戦にあたる。
開催は予定どおり13日の決勝まで続いた。諸橋さんが搬送された時点で容体の詳細は公表されておらず、訃報が伝わったのは開催が終わってから9日後だった。
40歳で手にした特別競輪のタイトル
デビューは1997年4月13日、地元の弥彦競輪場。以来29年にわたって走り続け、通算435勝、優勝52回を数える。2003年7月にS級1班へ上がってからは、20年以上にわたってトップクラスに身を置き続けた。
転機は40歳の秋に訪れる。2017年9月、武雄で行われた第33回共同通信社杯(GII)を制し、特別競輪の初タイトルを手にした。デビューから21年目での初制覇だった。この年の賞金ランキング上位に入り、年末には輪界最高峰のKEIRINグランプリ2017に初出場する。
翌2018年は、競輪で9人しか名乗れないS級S班として1年を過ごす。52回の優勝の内訳には、記念競輪にあたるGIIIのタイトルが8つ含まれる。各地の記念競輪で優勝戦のゴール線を先頭で駆け抜けてきた選手だった。
| 年 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1977年7月21日 | 新潟県に生まれる |
| 1997年4月13日 | 弥彦競輪場でデビュー(79期) |
| 2003年7月 | S級1班に昇級 |
| 2017年9月 | 共同通信社杯(GII・武雄)優勝、特別競輪初制覇 |
| 2017年12月 | KEIRINグランプリ2017に初出場 |
| 2018年 | S級S班に在籍 |
| 2026年 | S級1班として全日本選抜・日本選手権・高松宮記念杯・オールスターに出走 |
| 2026年9月12日 | 平安賞in奈良の準決勝で落車、奈良市内の病院へ搬送 |
| 2026年9月21日 | 頸髄損傷による多臓器不全のため死去(49歳) |
2026年に入ってからも、2月の読売新聞社杯全日本選抜、5月の日本選手権、6月の高松宮記念杯、8月のオールスターと、GIの舞台に立ち続けていた。49歳でなお第一線にいた選手だった。
JKA会長「誠に痛恨の極み」、同期の中村浩士さんは沈痛な面持ちで語った
JKAの木戸寛会長は訃報に合わせてコメントを出した。
「諸橋愛選手が9月12日に落車事故に遭われ、昨日未明に逝去されましたことは、誠に痛恨の極みであります。(中略)競輪界では、本年7月の事故を受け、競走においての安全対策を検討・実施している最中、立て続けに大きな事故が起きてしまったことを極めて重く受け止めております」
木戸会長は、諸橋さんが1997年に弥彦でデビューし、2017年の共同通信社杯を制するなど長年にわたって競輪界の第一線で活躍してきたことにも触れ、競走における安全対策の検討と実施をより一層加速させ、公正安全の確保に努めると表明した。
同じ79期の中村浩士さん(48)=千葉=は9月22日、出場中の立川競輪で7R終了後に取材に応じた。「メグちゃんとは同期同級生として関東と南関で、この業界を盛り上げるために頑張ってきた。いたたまれないし、気持ちの整理がつかない」。中村さんは沈痛な面持ちでそう話した。最後に会ったのは8月上旬、競輪専門チャンネルの企画で佐々木則幸さんを交えて対談したときで、収録のあとにまた一緒に飲みたいと言って別れたという。追込選手としての諸橋さんを「一枚も二枚も上」と評し、リスペクトしていたと語った。
中村さんは千葉支部長も務める。「ただ勝てばいいというわけではなく、まず参加選手全員が無事に家に帰ることが大事」とも話した。
2カ月で2人、安全対策はなお検討の途上にある
競輪界にとって、レース中の事故による死亡は2カ月で2件目になる。7月18日、松阪競輪場のF1最終日S級決勝で伏見俊昭さんが落車して外柵に激突し、翌19日午前10時15分に頸髄損傷のため亡くなった。50歳だった。伏見さんは2001年のKEIRINグランプリを初出場初優勝で飾り、2004年アテネ五輪の男子チームスプリントで銀メダルを獲得した選手だった。
関連記事:アテネ五輪銀メダリスト・伏見俊昭さん死去、50歳 松阪競輪のレース中に落車し外柵に激突
伏見さんも諸橋さんも、S級S班に名を連ねた経験を持つ。競輪の頂点を知る2人が、同じ年の夏から秋にかけて相次いで命を落とした。
レース中の事故による選手の死亡は、過去に51件あったとされる。直近20年に限れば、2008年9月の一宮競輪場で内田慶さん(享年27)、2012年7月の小田原競輪場で坂本照雄さん(享年40)が亡くなっており、伏見さん、諸橋さんと続いて4件目になる。9人が高速で隊列を組み、身体を接して位置を争う競技の危うさが、あらためて突きつけられた。
木戸会長が述べたとおり、7月の事故を受けた安全対策の検討はすでに始まっていた。その途中で次の事故が起きている。ヘルメットやプロテクターの仕様、落車時の外柵の構造、レース中の危険走行の判定基準など、どこにどう手を入れるのかは今後の課題として残る。具体的な内容や時期について、JKAは現時点で示していない。
通夜・告別式の日程は公表されていない。静岡競輪場は9月23日から29日まで、メインスタンド1階に献花台を設ける。時間は午前10時から午後4時まで。
[文/構成 by スポーツライター 久遠(KUON)]






































































コメントはこちら