天龍源一郎の現在、76歳で書道に打ち込み初の書個展『龍墨』へ 11月14・15日に中目黒で

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
元プロレスラーの天龍源一郎(76)が、自身初の書個展『龍墨』(りゅうぼく)を11月14日と15日に東京・中目黒で開く。約1年間、書道教室で学んできた成果で、直筆の書作品約30点を展示・販売する。11月6日に配信されたインタビューで現在の体調を問われると「体調は年相応ですよ」と答え、首の手術の後遺症だろうという手のしびれが、書道を始めるきっかけになったと明かした。
初の書個展『龍墨』は11月14日・15日に中目黒で
書個展はプロレスデビュー50周年の記念企画として、天龍プロジェクトが10月5日に開催を発表した。会場は東京都目黒区中目黒2丁目で、東京メトロ日比谷線・東急東横線の中目黒駅から歩いて約8分。開場時間は14日(土)が正午から午後6時、15日(日)が午前11時30分から午後5時までとなる。
天龍プロジェクトの公式ショップでは、内容の異なる3種類の入場券を販売している。
| 入場券 | 価格 | 内容 |
|---|---|---|
| 来場記念品付き入場券 | 1,500円 | 入場とポストカード |
| 直筆書作品付き入場券 | 8,000円 | 入場とポストカードに加え、 |
| ご希望の直筆書作品・ | 15,000円 | 好きな1〜 |
希望の文字を書いてもらう入場券は、10月27日の時点で両日とも残り4枠となり、受け付けは10月31日で締め切られた。入場券は郵送で、別に送料210円がかかる。天龍本人が会場にいるのは各日とも短い時間に限られ、来場記念品付き入場券と直筆書作品付き入場券では面会や撮影は約束されていない。当日券の販売は後日案内する予定だ。
会場では作品のほかに、書を使った記念グッズも販売する。公式サイトが掲げたキャッチコピーは「人は何度でも咲ける。」だった。
書道を始めたきっかけは両手のしびれ
天龍の両手には今もしびれがあり、利き手の右手は特に強くしびれを感じているという。天龍はこれを「職業病みたい」と表現し、首の手術を受けてからの後遺症だろうと説明した。
書道を選んだ理由も、そのしびれにある。思うように手が動かない自分がいるので、書道をやれば少しは機敏に動くようになるのではないか、頭の体操にもなるのではないかと考えて始めたと話した。
始めてから変わったのは気持ちの面だった。感情に抑えが効くようになり、書き終えた後のすがすがしさを感じるようになったという。相撲とプロレスをやっていた頃は、やたらと腹が立っていたそうだ。
楽しさを感じるのは、うまい下手は別として、自分の書体がまとまったときだ。展示する言葉は、先生の手本などに並んだ文字の中から好きなものを選んだ。見た人がすぐに帰ってしまうようでは困るので、人前に出せる形にまとめることを基本にしたと明かした。
目標ははっきりしている。ライバルに挙げたのは、俳優で画家、書家としても活動する片岡鶴太郎だった。独特な字、「“天龍源一郎の書体”を書けるようになったら完成」と語り、両手が不自由になってから始めた自分でも個展までこられたのだから、誰にでもチャンスがあると呼びかけた。
小脳梗塞、頸髄損傷、心臓の手術 引退後の闘病
天龍は2015年に65歳で現役を退いた。引退後は小脳梗塞やうっ血性心不全などで入退院を繰り返している。
2022年には広い範囲の頸髄損傷で入院し、「環軸椎亜脱臼に伴う脊髄症・脊髄管狭窄症」と診断された。入院はおよそ10か月に及び、頸椎を固定する器具「ハローベスト」を約2か月着けて過ごした。2023年2月には敗血症性ショックで緊急手術を受け、同年8月には心室細動からくる心不全の疑いで心臓の手術も受けている。今は車いすで生活する。
それでも人前に出続けるのはなぜか。
答えはアントニオ猪木の姿にあった。長年プロレスを続けた猪木が晩年に車いすで世間と堂々と接する姿を見て、こういう生き方もあるのだと感銘を受けたと天龍は語る。11月1日に配信された別のインタビューでも「人前に出ることを恥ずかしいことじゃないんだなって思わせてくれたのは、猪木さんだよ」と話し、昔と変わった姿を見せたくない気持ちが強かったが、猪木の姿を見て考えが変わったと明かした。トークショーに来た人が何を感じて帰るのかが楽しみだという。
大相撲の前頭筆頭から「ミスタープロレス」へ
天龍は1950年2月2日、福井県勝山市生まれ。1963年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋に入門し、最高位は西前頭筆頭まで上がった。1976年に廃業して全日本プロレスへ入り、同年11月13日、米国テキサス州でのテッド・デビアス戦でデビュー。日本でのデビューは翌1977年6月だった。
全日本では1987年に阿修羅・原と「天龍同盟」を結成し、ジャンボ鶴田との「鶴龍対決」で名勝負を重ねた。1989年には鶴田を破って三冠ヘビー級王座を手にし、同じ年にはタッグ戦でジャイアント馬場からピンフォールを奪う。1990年にSWSへ移り、1992年にはWARを旗揚げした。1994年1月の東京ドーム大会でアントニオ猪木からもピンフォール勝ちし、馬場と猪木の両方からピンフォール勝ちした唯一の日本人レスラーになった。
最後のリングは2015年11月15日、両国国技館でのオカダ・カズチカ戦。約40年に及ぶレスラー生活に区切りをつけた。11月1日のインタビューでは、プロレスラーという職業を選んだことを後悔したことは「一回もないよ」と答え、天龍という名前を世間に通してくれたのはプロレスだと感謝を口にしている。
50周年記念期間は2027年6月30日まで続く
天龍プロジェクトは、2026年11月1日から2027年6月30日までを「天龍源一郎プロレスデビュー50周年記念期間」と定めた。公式YouTubeは本人の希望で「天龍源一郎 遺言チャンネル」と名前を改め、10月10日から配信を再開している。経験や次の世代へ伝えたい言葉を自分の声で残すための改称で、ロングインタビューや関係者との対談を届ける。
記念期間には、天龍ゆかりの品を出品するチャリティーオークションも動く。第1弾は10月12日に「福井県大雨災害支援チャリティーオークション」として始まり、11月1日には「龍魂継承」オークションの開催も告知された。12月6日には元「週刊プロレス」編集長のターザン山本とのトークバトルが東京都世田谷区で予定され、本会場が完売したため別室での生中継観覧席も追加された。
76歳の誕生日を翌日に控えた2月1日には、柔道の金メダルを持ちながらプロレスへ転向したウルフアロンにエールを送っていた。そのウルフアロンは11月6日、後楽園ホールで開かれた藤波辰爾のデビュー55周年大会で藤波と初めて対戦している。
関連記事:ドラディション、6日の後楽園で藤波辰爾デビュー55周年大会 ウルフアロンと初対決、立ち見席を追加販売
13歳で角界に入ってから間もなく63年、リングを降りてからも間もなく11年になる。天龍は筆を手に、新しい自分の字を探している。
[文/構成 by スポーツ担当ライター 久遠(KUON)]












































































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