旧宮家・久邇邦昭さん死去、97歳 上皇さまのいとこ、18歳で皇籍離脱し伊勢神宮大宮司を務めた経歴と久邇家の系譜

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旧宮家の久邇邦昭(くに・くにあき)さんが2026年11月6日午前10時2分、肺炎のため亡くなった。97歳だった。上皇さまのいとこにあたり、1947年に18歳で皇籍を離脱。戦後は海運会社の勤務を経て、伊勢神宮の大宮司を務めた。
上皇さまのいとこ、久邇邦昭さんが97歳で死去
TBS NEWS DIGによると、久邇さんは6日午前10時2分、肺炎のため死去した。葬儀は皇族の墓所として知られる東京都文京区の豊島岡墓地で営まれる予定で、喪主は長男の久邇朝尊(あさたか)さんが務めるという。
父の久邇宮朝融王の妹が、昭和天皇の后となった香淳皇后だ。香淳皇后の子である上皇さまとは、いとこの間柄になる。皇籍を離れたあとは伊勢神宮の大宮司のほか、民間団体「日本会議」の顧問なども務めた。
15歳下の弟、久邇朝宏さん(82)はJNNの取材に応じ、兄との思い出をこう語った。
「とてもいい兄で、子供時代に近くを散歩したのがいい思い出になっております。今まで色々ありがとうとしか言えないです」
皇族として生まれ、海軍兵学校で終戦を迎えた
久邇さんは1929年(昭和4年)3月、久邇宮朝融王と知子女王の間に東京で生まれた。生まれた時の身分は皇族で、学習院で学ぶ皇族の少年として育つ。
1935年に学習院初等科へ入学し、終戦の年の1945年には海軍兵学校に77期生として入校した。在学中に終戦を迎え、少年時代はそのまま戦争の時代と重なる。2024年に月刊誌「文藝春秋」へ寄せた手記では、父の妹が香淳皇后になった縁から昭和天皇を「義理の叔父様」と呼び、懐かしさと敬意をつづっている。
転機は終戦から2年余りたった1947年に訪れる。同年10月13日、初めて開かれた皇室会議で、昭和天皇の弟にあたる秩父宮・高松宮・三笠宮の3宮家を除く11宮家51人の皇籍離脱が決まり、翌14日に全員が一般の国民となった。久邇宮家もこの11宮家の一つで、久邇さんは18歳だった。
海運会社の勤務を経て伊勢神宮の大宮司へ
皇籍を離れた若者が選んだのは、会社員の道だった。2015年に出版した著書「少年皇族の見た戦争 宮家に生まれ一市民として生きた我が生涯」(PHP研究所)の著者紹介によると、1952年に学習院大学を卒業して飯野海運に入社。1964年に川崎汽船へ移り、太洋州総支配人や取締役欧州アフリカ総支配人などを務め、のちに川崎航空サービスの代表取締役に就いた。
海運の仕事を長く続けたあと、1990年(平成2年)に伊勢神宮の大宮司に就任し、2001年(平成13年)まで神職を率いた。在任中の1993年には、20年に1度社殿を建て替える第61回式年遷宮があった。
退任後も神社界との関わりは続く。2024年の文藝春秋の手記は、神社本庁顧問の肩書で筆を執ったものだった。
皇族として過ごしたのは18歳まで。著書の副題にある「一市民として生きた」という言葉のとおり、その後の約79年を皇室の外で生きた。
久邇家の系譜 朝彦親王から4代、香淳皇后で天皇家とつながる
「久邇」は「くに」と読む。久邇宮家は1875年(明治8年)、伏見宮邦家親王の第4王子だった朝彦親王が宮号を受けて立てた宮家だ。朝彦親王は伊勢神宮の祭主を務め、1882年(明治15年)には神宮の林崎文庫に皇學館を設けるよう命じた。現在の皇學館大学(三重県伊勢市)の始まりにあたる。
2代目の邦彦王は朝彦親王の第3王子で、その長女の良子女王が1924年(大正13年)1月、皇太子だった昭和天皇と結婚し、のちの香淳皇后となった。3代目の朝融王は香淳皇后の兄で、邦昭さんの父にあたる。邦昭さんは4代目の当主だった。
| 代 | 人物 | 邦昭さんとの関係 |
|---|---|---|
| 初代 | 久邇宮朝彦親王 | 曽祖父。伊勢神宮の祭主を務めた |
| 2代 | 久邇宮邦彦王 | 祖父。香淳皇后の父 |
| 3代 | 久邇宮朝融王 | 父。香淳皇后の兄 |
| ― | 香淳皇后 | 叔母 |
| ― | 上皇さま | いとこ |
| 4代 | 久邇邦昭さん | 本人。伊勢神宮の大宮司を務めた |
伊勢とのつながりは明治から令和まで続く。曽祖父の朝彦親王が神宮の祭主を務め、邦昭さんが大宮司に就き、現在は長男の朝尊さんが大宮司を務める。
2025年には、皇學館大学の佐川記念神道博物館(伊勢市)で企画展「久邇家の至宝 昭和百年をむかえて」が12月20日まで開かれた。朝彦親王が使った粟田焼の急須や邦彦王の硯箱とともに、邦昭さん夫妻の結婚の記念品で、菊の紋の下にオシドリをあしらった扇形のボンボニエール(砂糖菓子の器)も並んだ。
久邇邦昭さんの歩みを年表で
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1875年 | 曽祖父の朝彦親王が久邇宮家を立てる |
| 1924年 | 叔母の良子女王 |
| 1929年 | 久邇宮朝融王の子として東京で誕生 |
| 1935年 | 学習院初等科に入学 |
| 1945年 | 海軍兵学校に77期生として入校し、 |
| 1947年 | 11宮家51人の一人として皇籍を離脱 |
| 1952年 | 学習院大学を卒業し、 |
| 1964年 | 川崎汽船に移る |
| 1990年 | 伊勢神宮の大宮司に就任 |
| 2015年 | 著書「少年皇族の見た戦争」を出版 |
| 2026年 | 肺炎のため死去、 |
旧11宮家をめぐる最近の動き
旧宮家は、皇族の数をどう確保するかという国の議論の中でも取り上げられてきた。2026年7月17日には、1947年に皇籍を離れた旧11宮家の子孫で、妻や子がいない15歳以上の男系男子を養子として皇族に迎えることを認める改正皇室典範が、参院本会議で与党などの賛成多数により可決、成立した。女性皇族が結婚後も皇族の身分を保てるようにする規定も盛り込まれ、7月24日の公布を経て、10月24日に施行された。
久邇家も、この旧11宮家の一つにあたる。昭和の初めに皇族として生まれ、戦後は一市民として企業と神宮の仕事に就いた邦昭さんは、97年の生涯を閉じた。
[文/構成 by ライター 凪]








































































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