元世界2階級王者ゾラニ・テテさん、自宅前で銃撃され38歳で死去 井上尚弥が追悼

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元世界2階級王者のゾラニ・テテさん(38)が21日夜、南アフリカの自宅前で銃撃され死亡した。同乗していた27歳の女性も撃たれ、病院で手当てを受ける。井上尚弥(33)は22日にXで「素晴らしいボクサーだった」と悼んだ。井上が優勝したWBSSで準決勝を辞退しており、2人の対戦は実現しないまま終わった。
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自宅の門が開くのを待つ間に撃たれた
南アフリカ東ケープ州ムダンツァネで21日午後6時半ごろ、元世界2階級王者のゾラニ・テテさん(38)が車の中で銃撃され、その場で亡くなった。警察によると、目出し帽をかぶった武装2人組が別の車から降り、テテさんに向けて発砲した。
テテさんはジムから自宅に戻り、門が開くのを待っていた。ゲイトン・マッケンジー・スポーツ芸術文化相は当夜に出した声明で「彼は自分の家の門の前に座り、門が開くのを待っていた。そこを狙われた」と明かしている。
同じ車にいた27歳の女性も複数発を受け、病院に運ばれた。南アフリカ警察が捜査を続けるが、22日の時点で逮捕者は出ていない。マッケンジー氏は犯人像や動機への言及を避け、「あの地域の誰かが、誰がやったのかを知っている」として情報提供を呼びかけた。
ムダンツァネは、南アフリカのボクシングの中心地として知られる街だ。マッケンジー氏は同じ声明で「ムダンツァネは、多くの国が100年かけても届かない数の世界王者を生んできた」と書き、テテさんを育てた元IBF世界スーパーバンタム級王者ブヤニ・ブングも名前を挙げた。少年時代のテテさんは制服の下にボクシングの道具を隠して学校へ通い、ブングに憧れていたという。
井上尚弥が投稿した3行と、1枚の2ショット
4団体統一スーパーバンタム級王者の井上尚弥(33)は22日午後4時半ごろ、自身のXにテテさんとの2ショット写真を添えて、短い言葉を並べた。
ゾラニテテは素晴らしいボクサーだった。
— 井上尚弥 Naoya Inoue (@naoyainoue_410) August 22, 2026
世界が平和であってほしい。
そしてどうか安らかに眠ってほしい。
「ゾラニテテは素晴らしいボクサーだった。世界が平和であってほしい。そしてどうか安らかに眠ってほしい」。文章はこの3行だけで、試合の話も、自身との関係も書かなかった。
2人はリングで拳を交えていない。同じトーナメントの8人に名を連ねながら、対戦は一度も組まれなかった。
11秒KO いまも破られない世界最短記録
テテさんの名前を世界に広めたのは、2017年11月18日の一夜だ。北アイルランド・ベルファストで行われたWBO世界バンタム級のタイトルマッチで、同じ南アフリカのシボニソ・ゴンヤを右のフックわずか1発で倒す。開始からKO成立まで11秒。
世界戦の最短KO記録として、ギネス世界記録に認定された。それまでの記録は1994年9月にダニエル・ヒメネスがつくった17秒で、テテさんはこれを6秒縮めた。9年近くたつ今も、この記録は破られていない。
マッケンジー氏の声明も、この夜に多くの行を割いている。「2017年11月のあの夜、彼はスポーツの歴史上どの選手もやったことのないことをやってのけた。世界タイトルマッチを11秒で終わらせた。その記録はいまも残る」
最初の世界王座は神戸 大臣声明も触れた2014年の遠征
日本のファンにとってのテテさんは、まず「神戸に来た南アフリカのサウスポー」だった。
2014年7月18日、神戸ポートピアホテルで行われたIBF世界スーパーフライ級王座決定戦で、デビューから無敗だった帝里木下(ている きのした)と対戦。12回3-0の判定で下し、初めて世界王座に就いた。テテさんにとっては敵地での戴冠であり、帝里木下にとってはプロ初黒星となった一戦だった。
マッケンジー氏はこの試合にも触れている。「2014年、彼は日本の神戸へ行った。自分が倒されることを望む観客の前で、異国のリングに上がり、IBFジュニアバンタム級のベルトを持ち帰った」
翌2015年3月には英国のポール・バトラーを8回で退けて初防衛したが、指名試合を回避してこのベルトを手放す。バンタム級へ上げると、2017年4月にアーサー・ビリャヌエバを破って暫定王者となり、その後に正王者へ格上げされた。2階級制覇の完成だった。
WBOバンタム級王座は2019年11月30日、ジョンリエル・カシメロに3回TKOで奪われた。プロ通算成績は29勝(22KO)4敗1無効試合。
井上が優勝したWBSS、準決勝を辞退した2019年
井上とテテさんの距離が最も近づいたのは、2018年から2019年にかけて開かれた「ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)」だ。各団体の王者と上位ランカー8人を1つの山に集め、勝ち抜きでその階級の一番強い選手を決める大会で、バンタム級を制したのが井上だった。テテさんもその8人に名を連ね、2018年7月にモスクワで開かれた組み合わせ抽選会で井上と同じ舞台に立っている。
テテさんは同年10月の準々決勝でミハイル・アロヤンを判定で下し、4強に残った。次の相手はノニト・ドネア(フィリピン)。2019年4月27日に米ルイジアナ州で組まれた準決勝だったが、テテさんは試合5日前の月曜、ミット打ちの最中に右肩を痛める。陣営が欠場を発表したのは3日前の水曜で、勝ち上がってきた王者がトーナメントの途中で去った。
代役に立ったステフォン・ヤングを6回でKOしたドネアが決勝へ進み、11月7日のさいたまスーパーアリーナで井上に判定負け。井上がモハメド・アリ・トロフィーを手にした。テテさんが井上と拳を交える機会は、あの右肩の一件で失われている。
その後のテテさんは長く止まっていた。2022年7月2日のジェイソン・カニンガム戦の後に禁止薬物スタノゾロールの陽性反応が出て、勝利は無効試合に書き換えられる。2023年8月に英国反ドーピング機構(UKAD)が4年間の資格停止を科し、処分は試合日にさかのぼって適用された。
その期間が満了したのが今年7月29日だった。テテさんは11月29日に組まれた復帰戦へ向けて練習を再開し、撃たれた21日もジムからの帰りだった。マッケンジー氏は声明でこう書いている。「彼はリングに戻るための練習をしていた。まだこの国に与えられるものがあると信じていた。その通りだったのに、もう機会は訪れない」
WBOも、元WBO世界バンタム級王者テテさんの死を悼む声明を出した。南アフリカのリングで育ち、神戸で世界王者になり、11秒で歴史を書き換えた38歳の生涯は、自宅の門の前で断ち切られた。
[文/構成 by スポーツライター 久遠(KUON)]






































































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