小川昌寛さん死去、62歳 安川電機の前社長・副会長、同社が5日に発表 通夜・告別式の日程と会場

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安川電機の前社長で副会長執行役員の小川昌寛(おがわ・まさひろ)さんが10月2日、病気のため亡くなった。62歳だった。同社がきのう5日に発表した。通夜はきょう6日18時から、告別式は7日10時から、いずれも北九州市八幡東区のシティホール八幡中央で営まれる。産業用ロボット部門を長く率い、2023年3月から社長を務めたが、今年5月に療養のため社長を退いていた。
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安川電機が5日に発表、通夜は6日・告別式は7日
安川電機は5日、公式サイトに「執行役員退任に関するお知らせ(訃報)」を掲載した。副会長執行役員の小川さんが10月2日に病気のため亡くなり、同じ日付で執行役員を退任したという内容だった。時事通信によると、北九州市の病院で息を引き取った。
小川さんは1964年8月25日生まれで、北九州市の出身。同社の発表と各社の報道によると、通夜と告別式の日程は次のとおりだ。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 通夜 | 10月6日(火)18時から |
| 告別式 | 10月7日(水)10時から |
| 場所 | シティホール八幡中央(北九州市八幡東区前田3-11) |
| 喪主 | 妻の今日子さん |
日程と会場は遺族の意向で公表されたもので、同社は弔電と供花を辞退するとしている。後日、安川電機の主催で「お別れの会」を開く予定だが、日時や場所はまだ決まっていない。
ロボット事業部と米国で積み上げた39年
1987年、九州芸術工科大(現九州大)を卒業して安川電機に入社した。当時の社名は安川電機製作所。歩んできたのは、溶接や組み立てに使う産業用ロボットの道だった。
転機の一つは米国だ。2010年12月に米州統括として米国安川の取締役会長に就き、2012年6月には執行役員となった。日本経済新聞は、ロボット事業部が長く、米国市場を開拓したと伝えている。
2016年3月からはロボット事業部長として、同社の柱であるロボット事業を担う。取締役、常務、代表取締役専務と役職が上がっても、肩書から事業部長の文字が外れることはなかった。読売新聞によると、技術者として同社が産業用ロボットの世界大手へ伸びる過程に貢献し、事業部長も長く務めた。
そして2023年3月、代表取締役社長に就任する。
社長として力を注いだ「フィジカルAI」
社長時代に小川さんが力を入れたのが、人工知能(AI)を組み込んだロボットだった。現実の空間で物をつかみ、動かすロボットにAIの判断力を持たせる考え方で、「フィジカルAI」と呼ばれる。日本経済新聞はこの分野への注力を、小川さんの社長時代の特徴として挙げた。
その流れは社長を退いた後も続いた。小川さんが副会長としてAIロボティクス事業を統括していた今年7月、同社はソフトバンクとフィジカルAIを使って柔らかい物を扱うシステムを実証したほか、AIロボット「MOTOMAN NEXT」とGoogle DeepMindの生成AIを組み合わせた「エージェンティック・ロボットシステム」の開発を公表した。
業界団体の日本ロボット工業会でも、今年5月29日に会長に就いたばかりだった。同会は5日に訃報を出し、後任の会長については改めて知らせるとしている。
5月に社長を退いた理由は「療養」と「AIロボットへの専念」
社長交代を決めたのは、今年4月10日の取締役会だった。同社の発表によると、小川さんから、伸ばしていく分野であるAIロボティクス事業と新メカトロニクス応用事業の拡大に実行トップとして専念したいこと、そして持病の療養のために、取締役の任期が満了する5月27日で社長を退きたいという申し出があった。
後任には会長の小笠原浩さんが就き、5月27日から会長と社長を兼ねる体制に移った。小川さんは取締役を退いたあと副会長執行役員となり、AIロボティクス事業と新メカトロ応用事業を統括する立場に就いていた。
社長を退いてから、およそ4カ月。第一線から一歩引いても、受け持ったのはAIロボットという会社の次の柱だった。
お別れの会は後日、詳細は未定
告別式は7日午前に営まれる。同社が主催するお別れの会は日時・場所とも未定で、決まり次第の案内になる。
入社から39年、ロボットとともに歩んだ技術者だった。米国での市場づくり、事業部長としての長い年月、そして社長としてのAIロボットへの挑戦と、その足跡は今も安川電機のロボット事業に残る。
[文/構成 by スポーツライター 南條楓]








































































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