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田澤純一、40歳で選手兼GMに就任 BCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズが発表

田澤純一、40歳で選手兼GMに就任 BCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズが発表

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ルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズは10月18日、田澤純一投手(40)が選手兼ゼネラルマネージャー(GM)に就任すると発表した。メジャー通算388試合に登板した右腕が、現役を続けながら球団のチーム作りを担う。球団がGMを置くのは今回が初めてと報じられている。

現役投手のまま球団運営の中枢へ

発表は10月18日、球団公式サイトの「選手兼GM就任のお知らせ」で行われた。田澤は背番号36の投手として在籍したまま、ゼネラルマネージャーの職を兼ねる。球団の発表によると生年月日は1986年6月6日で、発表日時点で40歳となる。

GMとしての仕事は、オーナーと角晃多球団社長とともにチームの方針を決め、選手の編成や戦力の補強を進めること。社長とGMが両輪となって球団を動かす体制になる。最初の大きな仕事は11月1日と3日のルートインBCリーグ合同トライアウトで、ここで来季の戦力になる選手を探す予定だ。

田澤は球団を通じて次のようにコメントした。

「このような大役を託してくださった山﨑オーナー、角社長、そして球団関係者の皆様に心より感謝申し上げます。投手としての情熱はそのままに、今後はGMとしてもチーム作りや地域・スポンサーの皆様との連携に全力で挑みます。選手とフロント双方の視点から埼玉武蔵ヒートベアーズの新たな歴史を築き、より一層熱く埼玉を盛り上げてまいります。」

就任の打診は本人にとっても予想外だったようで、取材には「ちょっとビックリする角度からのオファーだった」と明かしている。

ドラフトを経ずに海を渡った2008年

田澤の歩みは、日本のプロ野球を一度も通っていない点で珍しい。神奈川県出身で横浜商大高を卒業後、2005年に新日本石油(現ENEOS)へ入社した。2007年には大学・社会人ドラフトの1巡目候補に挙がったが、チームへの残留を選んでいる。

転機は2008年だった。この年の都市対抗野球大会で新日本石油ENEOSは優勝し、田澤は最優秀選手にあたる橋戸賞を受ける。同じ年、田澤はNPB12球団に指名を見送るよう求める文書を送り、メジャー挑戦を表明した。ドラフトを経ないまま、2008年オフにボストン・レッドソックスと契約。翌2009年にメジャーデビューを果たした。

右ひじのトミー・ジョン手術(じん帯を再建する手術)も経験したが、復帰後は救援投手として定着する。2012年は44イニングで45三振を奪い、防御率1.43と安定した投球を続けた。2013年は自己最多の71試合に登板し、抑えの上原浩治につなぐセットアッパーとして25ホールド、防御率3.16。この年、レッドソックスはワールドシリーズを制し、田澤はセントルイス・カージナルスとの頂上決戦でも終盤の重要な場面を任された。

翌2014年も71試合に投げ、2015年には日本人メジャーリーガーとして史上5人目の3年連続60試合登板、2016年には同じく史上5人目の通算300試合登板に届いた。その後はマイアミ・マーリンズ、ロサンゼルス・エンゼルスでプレー。メジャー通算成績は388試合で21勝26敗、89ホールド、4セーブ、防御率4.12となった。先発はわずか4試合で、キャリアのほぼすべてをブルペンで過ごしている。

「田澤ルール」が生まれ、そして消えた

田澤の渡米は、日本球界に一つの申し合わせを生んだ。2008年10月6日の実行委員会で、NPB12球団はドラフト指名を拒否して海外の球団に入った選手について、退団後も一定期間はNPB球団と契約しないと決めた。期間は高卒選手が3年、大卒・社会人出身の選手が2年。対象となった選手の名前から、いつしか「田澤ルール」と呼ばれるようになる。

このルールが動いたのは2020年だった。田澤は同年3月に米国の球団を退団し、新型コロナウイルスの影響で米マイナーリーグの開催が見送られるなか、7月に埼玉武蔵ヒートベアーズへ入団する。NPBは田澤の退団を機に見直しを始め、9月7日の実行委員会で撤廃を決議した。NPBは、この申し合わせが文書化されておらず、実際に適用した例も一件もなかったと説明している。

撤廃によって、田澤は2020年のドラフトで指名を受けられる立場になった。しかし、名前は呼ばれなかった。

12年越しに道が開いても、NPBの球団とは縁がなかったのだ。

台湾、メキシコ、ENEOS、そして6年ぶりの埼玉武蔵

2020年のシーズンを埼玉武蔵で投げ終えると、田澤は2021年に台湾プロ野球の味全ドラゴンズへ移る。2022年にはメキシカンリーグのドゥランゴ・ジェネラルズでもプレーし、同年9月に古巣ENEOSへ再加入した。

ENEOSでの3年間は順風満帆とはいかなかった。復帰の年に負ったけがで思うような貢献ができなかったと、本人は退団時のコメントで認めている。それでも2024年の都市対抗野球大会では、2008年以来16年ぶりとなる東京ドームでの登板を果たした。2025年は投手コーチを兼任し、同年10月10日付で退団している。

次の行き先は、かつて日本球界へ戻る入り口となった埼玉武蔵だった。球団は2026年2月17日に田澤の入団を発表し、6年ぶりの復帰が決まる。このとき田澤は「6年ぶりに、再びヒートベアーズの一員として戦えることを心から嬉しく思います。」とコメントし、チームの選手たちに自分の経験を伝えたいという考えも示していた。

選手として戻ってから8か月後、その役割はフロントにまで広がった。

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ファンは歓迎、監督人事にも関心

発表は10月18日の午後6時過ぎだった。SNSでは選手とGMの兼任に驚く声が相次いだと報じられ、まだ決まっていない来季の監督人事に関心を寄せる声も上がった。

田澤自身は独立リーグの役割について「プロ選手を輩出する場でもありますが、納得して野球を終える場所でもある。」と語り、「埼玉武蔵でプレーしたいという選手が増えるよう、球団の価値を高めていきたい」と目標を掲げた。自身がアドバイザーを務めるトレーニング施設「INVIX」の活用も、選手を支える選択肢の一つに挙げている。

ワールドシリーズ制覇を経験した投手が、今度は独立リーグの編成を担う。「手探りにはなると思いますが、何ができるのか、楽しみでもあります。」と話す40歳の新GMにとって、11月の合同トライアウトが最初の仕事場になる。

[文/構成 by スポーツライター 高瀬翔吾]

寄稿者

高瀬翔吾
Webメディアでスポーツ、エンタメ、時事ニュースなど、累計数千本の記事制作に携わってきたスポーツ系ライター。野球分野では、プロ野球の試合結果や選手の記録をはじめ、MLB、高校野球、ドラフト、移籍、契約更改などの記事を継続的に担当。数字や公式記録を基に情報を整理する記事を得意としており、結果を伝えるだけでなく、その記録が持つ意味や、選手・球団を取り巻く背景までわかりやすく解説することを心がけている。主な執筆分野は、プロ野球、MLB、高校野球、侍ジャパン、ドラフト、移籍情報。

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