炎鵬、伊勢ケ浜部屋のSNSで結婚を発表 東十両9枚目、部屋は近日中に会見を予定

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大相撲の十両・炎鵬(32)=伊勢ケ浜=が結婚したと、伊勢ケ浜部屋が10月20日にSNSで発表した。秋場所の番付は東十両9枚目。本人は「一家の主としての責任も胸に刻み、より一層相撲道に精進してまいります」とコメントを寄せ、部屋は近日中に会見を開く予定だと案内している。発表はお相手や婚姻届の提出日に触れていないが、結婚したのは8月8日だったと報じられている。
伊勢ケ浜部屋のSNSで「結婚のご報告」
報告は10月20日、伊勢ケ浜部屋の公式LINEや、部屋の後援会の公式X・Instagramに載った。後援会のXへの投稿は午後6時で、「炎鵬関 結婚のご報告」と題し、「このたび、炎鵬関が結婚いたしましたことをご報告申し上げます」と伝えている。
添えられた写真の炎鵬は、黒の紋付き羽織はかま姿。本人のコメントに続けて、部屋は「なお、近日中に会見を予定しております」と記し、「今後とも炎鵬関ならびに伊勢ヶ濱部屋への変わらぬご声援を、どうぞよろしくお願いいたします」と結んだ。会見の日時は10月21日時点で示されていない。
炎鵬は10月18日に32歳の誕生日を迎えたばかり。誕生日から2日後の報告となった。
本人のコメント「一家の主としての責任も胸に刻み」
投稿に載った炎鵬のコメントは次のとおりだ。
「いつも温かいご声援をいただき、誠にありがとうございます。私事ではございますが、このたび結婚いたしましたことをご報告申し上げます」
「日頃より支えてくださる皆様への感謝を忘れず、これからは一家の主としての責任も胸に刻み、より一層相撲道に精進してまいります」
「今後とも変わらぬご指導、ご鞭撻ならびに温かいご声援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます」
結婚の報告に添えて、まず口にしたのは支えてくれた人たちへの感謝だった。首の大けがで土俵を離れ、番付の最下段の序ノ口から関取の座まで戻ってきた力士の言葉として読むと、「感謝を忘れず」の一節には重みがある。
お相手の名前や職業、交際の経緯、入籍日について、SNSでの発表は触れていない。報道によると、結婚したのは8月8日だという。
報告が出ると、XやInstagramには祝福のコメントが相次いだ。本人の言葉で知らせてくれたことを喜ぶ書き込みや、写真の羽織はかま姿をたたえる投稿も目立つ。
脊髄損傷で序ノ口へ、そこから関取に戻った
炎鵬、本名・中村友哉は1994年10月18日生まれ、石川県金沢市出身。身長167センチ、体重107キロの小兵で、左四つからの下手投げを得意とする。
宮城野部屋に入門し、2017年春場所で初土俵を踏んだ。序ノ口、序二段、三段目と3場所続けて7戦全勝で各段の優勝を飾り、2018年春場所で新十両に昇進する。前相撲からのデビューでは1958年以降で最速タイの6場所。昇進が決まった2018年1月31日には「うれしい。まだ信じられない気持ち」と喜び、まだ慣れないまげ姿を「恥ずかしい」と照れながら、「上に行けるように。関脇になりたい」と目標を口にしていた。
2019年夏場所で新入幕を果たすと、2場所目の名古屋場所で9勝6敗と勝ち越し、技能賞を受けた。2020年春場所には自己最高位の東前頭4枚目まで番付を上げる。大きな相手を下手投げで転がす小兵として、人気を集めた。
だが、2023年夏場所で状況は一変する。西十両3枚目で臨んだこの場所は初日から9連敗を喫し、脊髄損傷と診断されて途中休場した。一時は寝たきりの生活を強いられたという。この場所を含めて7場所連続で休み、番付は十両から幕下、三段目、序二段、そして序ノ口へと落ちていった。
休場中の2024年4月には、宮城野部屋の閉鎖に伴い、所属力士全員とともに伊勢ケ浜部屋へ転籍している。日本相撲協会の記録では、しこ名の下の名前も2024年春場所から、それまでの「晃」を本名と同じ「友哉」に改めた。
土俵に戻ったのは2024年名古屋場所。西序ノ口13枚目で、420日ぶりの出場だった。復帰初戦こそ黒星を喫したが、この場所を6勝1敗で終えると、序二段、三段目でも6勝1敗を続けて番付を戻していく。
2025年春場所で幕下に戻ると、この場所も6勝1敗と勝ち越した。だが、その後は足踏みが続いた。夏場所は3勝4敗と負け越し、名古屋場所は左腓骨の剥離骨折で、2勝2敗3休と途中から土俵を離れる。秋場所と九州場所をいずれも5勝2敗で乗り切ると、2026年初場所は東幕下11枚目で6連勝を飾った。6勝目の一番のあと、土俵から降りた際に左足を痛めた。のちに左足首の骨折だったと明かしているが、この場所を6勝1敗で終え、続く春場所は東幕下4枚目で5勝2敗と勝ち越す。春場所後の3月25日、炎鵬は朝からスマートフォンで日本相撲協会のXを見つめ、「いつかな、いつかな、どうかな…」と吉報を待っていた。
夏場所の番付は西十両14枚目。3年ぶりの関取復帰となった。幕内経験者が序ノ口から関取に戻ったのは昭和以降で初めてとされる。
関取に戻ってからは、夏場所が8勝7敗、西十両11枚目の名古屋場所も8勝7敗と、2場所続けて勝ち越した。番付を東十両9枚目まで上げた9月の秋場所は7勝8敗で、関取復帰後初めての負け越しだった。それでも夏場所から秋場所までの3場所、45番を一度も休まずに取り切っている。脊髄損傷から戻った体で、15日間の土俵を3場所続けて務めた。
秋場所のあとには、地元・石川の秋巡業に関取として参加している。10月12日の金沢場所では約5900人の観客の前で横綱・豊昇龍の胸を借り、次に金沢へ来るときの番付を問われて「幕内しかないですよね」と答えた。金沢場所の前日、10月11日に地元で開かれた激励会では、すでに結婚を報告していたと報じられている。部屋のSNSでの報告は、その9日後だった。
関連記事:炎鵬、地元の金沢巡業に関取として参加 横綱・豊昇龍の胸を借り「幕内しかないですよね」
九州場所の新番付は10月26日に発表
次の本場所は九州場所。11月8日に福岡国際センターで初日を迎える。新番付の発表は10月26日の予定で、秋場所で負け越した炎鵬がどの地位に置かれるかは、その日に決まる。それまでは、秋場所の東十両9枚目が炎鵬の地位となる。
発表で触れられなかったお相手のことなどについて、会見で本人が言及するかどうかは分かっていない。
結婚の報告から会見、番付発表、そして九州場所へと、炎鵬にとって慌ただしい日々が続く。発表のコメントで誓ったのは「より一層相撲道に精進」。家庭を持った32歳が、11月の福岡の土俵に上がる。
[文/構成 by スポーツライター 疾風(HAYATE)]












































































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