加藤健史氏の経歴。USJ1期生から森岡毅氏と歩み、ジャングリア沖縄運営会社CEOに至った経緯

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加藤健史氏は1976年生まれ。早稲田大学を卒業後、2000年に開業前のUSJへ1期生として入り、森岡毅氏とともに沖縄のパーク構想を追った。2018年にジャパンエンターテイメントを立ち上げ、2025年7月にジャングリア沖縄を開業。2026年10月の会見では、結果への責任に言及した。
USJ1期生から沖縄へ、加藤健史氏の歩みを年表で確認
加藤健史氏は、沖縄本島北部のテーマパーク「ジャングリア沖縄」を運営するジャパンエンターテイメント(JE)を率いてきた経営者だ。オペレーション、ファイナンス、マーケティングの3領域に通じた人物として、登壇した会議や大学の特集で紹介されてきた。
出発点はユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)で、沖縄との縁は30代半ばに始まる。主な節目は次のとおりだ。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1976年 | 生まれる |
| 2000年 | 早稲田大学を卒業後、 |
| 2010年 | 森岡毅氏がUSJに入社。のちにともに経営の立て直しに関わる |
| 2012年 | 沖縄の新パーク開発プロジェクトのリーダーに |
| 2014年 | USJの沖縄進出構想が表面化 |
| 2016年 | USJ運営会社が沖縄進出の撤回を県と政府に伝える |
| 2017年 | 森岡氏が刀を設立。加藤氏も参画 |
| 2018年 | ジャパンエンターテイメントを立ち上げ |
| 2025年 | 4月に新卒1期生の入社式、 |
| 2026年 | 7月に開業1年の会見、 |
早稲田大学の航空部で部長、「誰もやっていないこと」を求めUSJへ
原点の一つは学生時代にある。沖縄大学の特集「17歳へ。」のインタビューで、加藤氏は早稲田大学の4年間を航空部で過ごしたと明かしていた。体育会の部員として競技に出場し、部長も経験。安全管理や、勝つための逆算を考え続けた時間が今に生きているという。「チームで勝つためのオペレーション力を養うことができました」と語っていた。
就職先を決めた理由も、同じインタビューではっきりしている。
「安定を求めず、常に新しいことにチャレンジすることが好きで、誰もやっていないことに挑戦しつづけたいと思い、開業1年前のUSJ((株)ユー・エス・ジェイ)に1期生として就職を決めました。」
2024年の報道でも、入社の理由は「一から作り上げること」への情熱だったと紹介されている。USJの開業は翌2001年。まだ客のいないパークに、新卒で飛び込んだことになる。
現場から全社予算まで、森岡毅氏とUSJの立て直しに関わる
USJでの仕事は現場から始まった。報道によると、ジェットコースターなどの乗り物を動かす現場職から経営戦略まで幅広く手がけており、関係者からは「若くしてとんとん拍子にキャリアを積んだ」と評された。
本人が挙げる代表的な仕事は、新規アトラクションの立ち上げだ。複数を手がけ、「人気アトラクションのジュラシック・パーク・ザ・ライドもそのひとつです。」と話していた。その後は効率の高いオペレーションの開発を経て、飲食と物販の部門へ移る。ビジネスアナリストとして売上予測モデルの開発にも携わり、ファイナンス企画部門では全社の予算づくりや現場の業務改善を進めた。
転機になる出会いが2010年に訪れる。この年にUSJへ入社した森岡毅氏とともに、経営とオペレーションの両面からV字回復に貢献したと報じられている。2023年の報道では、USJの開業に携わったパーク運営の専門家として、森岡氏と組んで2度目のパーク立ち上げに取り組む姿が紹介された。
関連記事:森岡毅氏の経歴、何がすごい? USJ再建から「刀」の挑戦まで、その手法とは
2012年夏の沖縄出張が出発点、計画の白紙を経て再び挑む
沖縄との関わりは、社内の指示から始まった。
「2012年の夏、沖縄への出張を指示されたことから、この物語は始まっているんです」
2025年2月のインタビューで、加藤氏はそう語っていた。きっかけは、地元の金融機関から「テーマパークを作るとしたらどんなことができるだろう」と意見交換を頼まれたことだという。この2012年から、加藤氏は沖縄の新パーク開発プロジェクトのリーダーを務める。構想が表に出るのは2年後の2014年だ。
だが、計画は実現しなかった。2015年に米コムキャストがUSJの最大株主となり、経営資源を大阪へ集中する判断が下る。2016年5月、運営会社は沖縄進出の撤回を県と政府に伝えた。
話はここで終わらなかった。
森岡氏は2017年にマーケティング会社の刀を設立し、加藤氏も参画した。2025年の報道では、刀の創業メンバーで取締役と紹介されている。本人の言葉は短い。
「USJの沖縄計画が中止になり刀へ参画した後、再度チャレンジするために2018年にジャパンエンターテイメントという会社を立ち上げました。」
2018年8月には共同出資の準備会社として設立が発表され、当時は那覇市に拠点を置いた。
ゴルフ場のカートで生まれた構想と「沖縄から日本の未来を作る」
ジャングリア沖縄の看板アトラクションの原点は、視察中の出来事にあった。2025年4月の報道によると、2018年ごろ、加藤氏は森岡氏らと今帰仁村のオリオン嵐山ゴルフ倶楽部を訪れている。そこでカートを走らせた体験が、構想につながった。
「カートでさえ面白いんだから、大型のオフロード車で走ったら間違いなく面白いだろうと思って」
さらに恐竜に追いかけられたらもっと面白いと発想を広げ、これが「ダイナソーサファリ」の原点となった。起伏のある地形を生かせば、初期投資も抑えられる。「今のジャングリアは、まずこの土地が決まって、そこでの体験価値をどう表すかというところからコンセプトを作っています」とも説明していた。
掲げた大義は「沖縄から日本の未来を作る」。「この事業がここまで支えられているのは、この事業に関与している人が、全員かなえたい目的をど真ん中にセットしたからです」と述べていた。テーマパークについては、地域の価値を消費者価値へ変える事業であり、経済を増幅する装置だと位置づけ、観光に特化したマーケターの育成も欠かせないと語っている。
2025年4月1日、名護市のEnagicスタジアム名護で開かれた新卒1期生の入社式では、抱負を書いた野球ボールで新入社員41人とキャッチボールを交わした。「沖縄から日本の未来を作るというミッションをぜひ一緒に達成したい」とあいさつし、同年7月25日にパークは開業を迎える。
沖縄大学の特集では現場にも触れていた。スタッフに大学生が多く、その多くが地元出身だと紹介し、「彼らの成長の早さには驚かされています」と話す。毎日18時にスタッフとミーティングを開き、高速でPDCAを回しているとも説明した。困難に直面したときの答えは「とにかく迷ったら、目的に立ち返る。」。17歳の自分へ伝えたいこととしては「人生の的を早く決めること!」を挙げた。
開業前後の節目で語った「試金石」と「責任」、そして進退
開業前の2025年2月、加藤氏は「最初の3年間が特に重要であると考えています。」と話し、初年度の収益と集客について「次のステップを考えるべきか否かの大きな試金石になるのは間違いありません。」と述べていた。
開業1年を迎えた2026年7月25日の会見では、来場者数について「残念ながら思うような数字に至らない結果となった」と語っている。
2026年6月期の最終赤字は、親会社が173億円、運営会社が89億円。10月30日、親会社の総会後に那覇市内で開かれた会見で、加藤氏は「集客と収益という結果を残せなかった。責任を深く受けとめている」と述べた。「新たな出資者が事業を展開するなかで、我々の進退は預ける形になると思う」とも語っており、新たな出資者の獲得については「責任を果たしていきたい」との考えを示している。
関連記事:ジャングリア沖縄、運営会社が89億円の最終赤字 親会社の総会で決算承認、規模縮小と新たな出資者探しで再建へ
※本記事は2026年10月30日の記者会見時点までの公開情報に基づき、同氏のキャリアをたどったものです。
[文/構成 by ライター 凪]







































































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