伊東四朗、美空ひばりさんに「あれやめて」と頼まれたベンジャミン伊東秘話 文化放送の特番で明かす

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
喜劇役者の伊東四朗(89)が11月3日、文化放送の10時間特番『文化放送ホリデースペシャル 文化とラジオ』に生出演した。1970年代に一世を風靡したキャラクター「ベンジャミン伊東」の誕生の舞台裏とともに、美空ひばりさんから、こたつの上で踊る場面をやめてほしいと直接頼まれた思い出を明かした。理由は、ひばりさんの息子がまねをして、こたつの板を破ってしまうからだったという。
文化の日の特番で語った「こたつ」の頼みごと
『文化放送ホリデースペシャル 文化とラジオ』は、文化の日の11月3日午前8時から午後5時50分まで生放送した特番だ。この日に放送5000回を迎えた『大竹まこと ゴールデンラジオ!』の大竹まことをはじめ、吉田照美、武田砂鉄、長野智子ら同局のワイド番組のパーソナリティーが顔をそろえた。
伊東の出番は午前10時半ごろからだった。文化放送の放送レポートによると、11時台には、子どものころから伊東に憧れていたという爆笑問題の太田光が質問を重ね、話題はベンジャミン伊東へと移っていく。
報道によると、伊東はひばりさんと仕事をしたときの出来事として、ひばりさんから「四朗ちゃん」と呼びかけられ、こたつに乗って踊るあの場面について「あれやめて」と頼まれたと話した。ひばりさんは理由として、息子がまねをして踊り、こたつの板を破いてしまうことを挙げたという。人づてではなく、本人から直接言われたと明かしている。
昭和の歌謡界を代表する歌手からの、母親としての頼みだった。ブラウン管の向こうの子どもたちが、こたつを舞台に見立てて踊る。そんな光景が、ひばりさんの家にもあったことになる。
ベンジャミン伊東は「3週で終わる」はずのキャラクター
ベンジャミン伊東が生まれたのは、1976年から1978年にかけてNET(現・テレビ朝日)系で放送されたバラエティー番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』だ。キャンディーズ、小松政夫さんらと共演したこの番組で、伊東はボサボサ頭に口ひげ、派手なジャケット姿のベンジャミン伊東に扮し、「電線音頭」を歌い踊った。
きっかけは、コントの中で披露されたアドリブだった。それをプロデューサーが気に入り、衣装からコントの中身まで考えてほしいと任されたという。報道によると、伊東はこの経緯を「丸投げ」と表現し、台本の裏に衣装を描いて案を出し、2週間後の収録に臨んだと語った。本当は恥ずかしかったとも打ち明けている。
当の本人は、長く続くとは考えていなかった。文化放送の放送レポートによると、伊東は当時について「3週で終わると思ってた」と語っている。
ところが、電線音頭は子どもたちの間で大流行する。こたつの上を舞台にした踊りをまねる子どもが相次ぎ、社会問題として取り上げられるほどになった。伊東は番組で、当時はPTAが番組に反発していたとも話したと報じられている。ひばりさんの頼みごとも、こうしたブームのただ中で生まれたものだった。
伊東は、『おしん』の父親役と並べて「ベンジャミンはベンジャミンで真面目にやった。」とも語っている。
1月の雑誌インタビューでも語っていた思い出
ひばりさんとのこたつの話を、伊東が人前で語ったのは11月3日が初めてではない。2026年1月に掲載された雑誌のインタビューでも、ひばりさんから息子がこたつを壊してしまうのでやめてほしいと言われ、恐縮したと明かしていた。人が跳び乗れば、こたつが壊れるのは当然だと、当時を思い返している。
同じインタビューでは、俳優の藤田まことさんとのエピソードにも触れていた。あるパーティーの際、エレベーターで乗り合わせた藤田さんに腕をつかまれ、「大丈夫か」と本気で心配されたという。ベンジャミン伊東になりきった姿を見て、藤田さんは伊東の頭が本当におかしくなったと思ったらしい。伊東は、この出来事が自信になったと語っている。
大スターや大先輩が、本気で心配したり頼みごとをしたりする。それほどまでに、当時のベンジャミン伊東は茶の間に入り込んでいた。
引退を控えて語った喜劇とラジオへの思い
伊東は1937年6月15日生まれで、11月4日時点で89歳。1958年に初舞台を踏み、三波伸介さん、戸塚睦夫さんとの「てんぷくトリオ」で人気を集めた。俳優としてはNHK連続テレビ小説『おしん』の父親役や、TBS系の十津川警部シリーズなどで知られる。
10月1日には公式サイトで、90歳の誕生日を迎える2027年6月15日をもって芸能活動から引退すると発表した。1997年4月から続く文化放送『伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛(オヤジパッション)』も、2027年6月12日の放送で終了する。文化放送とのつながりは、1984年の『伊東四朗のあっぱれ土曜ワイド』から40年以上に及ぶ。
公式サイトに載せたメッセージでは、眼や耳、脳、腰、膝のすべてが急速に衰えたと引退の理由を明かした。そのうえで「これからは観させていただき、聴かせていただきます。」とつづり、演じる側から見る側、聴く側へ回る考えを示している。
10時半ごろの出演では引退の理由に触れ、「耳、目、脳。芝居をやるには、全くふさわしくないようになってしまった。」と説明した。喜劇については「笑いが全てだと思ってるの。」と語り、ラジオについては、テレビよりもラジオのほうが緊張すると打ち明けている。間を空けると、忘れたと思われてしまうためで、今でも難しいという。
太田とのやりとりでは、『おしん』の父親役で、台本11ページ分のセリフを一度で撮り終えた撮影の裏話も飛び出した。
正午過ぎには、『親父・熱愛』でコンビを組む吉田照美に、大竹まこと、武田砂鉄が加わった4人でのトークに参加した。休憩中に歌手のタブレット純がギターを手に伊東の横に座ると、伊東は次々に歌い出し、その流れのまま本番でも、純の伴奏で三橋美智也さんの「リンゴ村から」など懐かしい歌謡曲を口ずさんだ。この4人のトークでは、11時から14時までの共通テーマ「青春の蹉跌」について「私自身に青春がなかった」と語り、就職試験で尊敬する人物にエノケンこと榎本健一さんの名を挙げ、すべて不合格になった過去を明かしている。
引退まで、残りはおよそ7か月。大竹の番組は2027年4月30日に東京・中野のなかのZERO大ホールで20周年記念イベントを開くことも発表された。
[文/構成 by Webライター 真柴 ことね]








































































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