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永島優美、第2子妊娠を発表 出産は来年の春頃を予定、フジテレビ退社後はフリーで活...

元フジテレビアナウンサーの永島優美が10月29日、インスタグラムで第2子の妊娠を発表し、出産は来年の春頃を予定していると伝えた。めざましテレビなどでの経歴、2025年3月末の退社とフリー転身後の仕事、父・永島昭浩との関係をまとめた。

39代木村庄之助、10月29日限りで定年 東京・府中市出身、九重部屋の立行司が退職へ

39代木村庄之助、10月29日限りで定年 東京・府中市出身、九重部屋の立行司が退職へ

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行司の最高位、第39代木村庄之助(64)=九重=が10月29日限りで日本相撲協会を定年退職する。報道によると、華やかな装束は1着も手元に残さず、九重部屋から贈られたものは部屋へ返し、残りは高砂一門の後輩行司に譲った。10月5日に着た若竹色の装束は、出身地の東京都府中市へ寄贈したという。

65歳の誕生日の前日、10月29日で49年の行司生活に区切り

庄之助は1961年10月30日生まれ。65歳の誕生日を迎える10月30日の前日、29日をもって協会を退職する。本場所で軍配を握ったのは9月の秋場所が最後で、千秋楽の9月27日には横綱大の里と大関安青錦が11勝3敗で並んだ相星決戦の結びを裁いた。大の里が突き出しで制し、12勝3敗で6場所ぶり6度目の優勝を決めた一番だ。

その後も仕事は残っていた。10月5日の明治神宮での横綱土俵入りと、両国国技館での全日本力士選士権。この2つが装束を着る最後の場になった。同じ5日に国技館で開いた定年会見では、行司は「土俵上の責任者」であり、その責任を自覚して務めてきたと語っている。定年の実感を問われると「まだ実感がわいてない」と答え、巡業に向かうバスに乗らず家へ帰る頃に実感が湧いてくるだろう、と話した。

思い出に残る一番を聞かれても、返事は「特にありません」だった。優勝が懸かった大一番でも、そうでない一番でも、力士はその日のために稽古を重ねて土俵に上がる。だから特定の取組に特別な思いを持ってはいけないと考えてきたという。千秋楽に花道を下がる際、観客が差し出した花束を受け取らなかったのも、花道は力士が喜びや悔しさを抱えて引き揚げる場所だという考えからだった。

退職を前に、装束の行き先が明らかになった。

1着も残さない装束、行き先は部屋・一門の後輩・府中市

行司の装束はすべて特注で、一般に1着数百万円とされる。力士が横綱や大関に上がった際、立行司や同じ一門の行司に贈る慣習があり、後援者や所属部屋から贈られることもある。

報道によると、庄之助は手持ちの装束を3つの行き先に分けた。九重部屋から贈られたものは九重部屋へ返却。10月5日の全日本力士選士権で着た若竹色の1着は、出身地の東京都府中市に寄贈した。残りはすべて、九重部屋が属する高砂一門の後輩行司に譲り、誰がどれを着るかは後輩たちに任せたという。曙が所属した東関部屋も九重部屋と同じ高砂一門で、鴇色の装束はその縁で贈られたものだ。

本人の考えははっきりしている。「やめたら、もう着ませんから」。タンスにしまっておくより、誰かに着てもらった方が装束にとってもいい、という理由だ。思い出の1着を残しておけば、退職後に何かの催しで袖を通す機会もあったかもしれない。それでも手放す道を選んだ。

10月5日の会見の段階で、装束はすべて後輩に譲るか縁のあるところへ寄贈し、手元には何も残さない方針が伝えられていた。その「縁のあるところ」の一つが、府中市だった。

秋場所で着た4着の由来

報道によると、庄之助は最後の本場所となった秋場所の15日間で4種類の装束を使い分けた。どれも力士の昇進や襲名に結び付いた品だ。

色由来(報道による)着用日
鴇色(ときいろ)1992年名古屋場所で曙が大関に上がった際、木村恵之助時代に贈られた3日目、中日、10日目
カナリア色1999年春場所で千代大海が大関に上がった際に贈られた6日目、13日目
菫色(すみれいろ)1993年春場所で曙が横綱に上がった際に28代庄之助へ贈られ、33代庄之助を経て受け継いだ4日目、9日目、11日目
青竹色木村庄之助の襲名を記念して九重部屋から贈られた初日、2日目、5日目、7日目、12日目、14日目、千秋楽

最も多く着たのは青竹色で、15日間のうち7日に及ぶ。デザインは九重部屋の浴衣地も手がけてきた高橋理子が担当し、2025年6月の昇進披露パーティーで初めて披露された。九重部屋から贈られた品なので、部屋へ返す側に入る。

カナリア色の装束にゆかりのある千代大海は、今の九重親方だ。大関昇進の祝いに装束を贈られた当時、庄之助は十両格の恵之助。その千代大海が師匠を務める部屋から、行司の最高位に上がった。

横綱大の里の土俵入りを先導する際には、大の里が横綱に昇進した時に贈られた「大の里」の文字入りの装束も着た。府中市へ渡った若竹色は、秋場所の本割では着ていない。

府中市出身、北の富士への手紙から始まった行司人生

本名は洞澤裕司。日本相撲協会の公式プロフィールでは、出身地は東京都府中市、所属は九重部屋となっている。子どもの頃から元横綱北の富士のファンで、当時井筒親方だった北の富士に「行司になりたい」と手紙を書いて入門した。協会の採用は1977年10月で、16歳だった同年の九州場所で初土俵を踏む。そこから数えて49年、行司一筋の歩みだった。

会見では、入門時に北の富士から、行司に向いていると声をかけられたことが励みになったと明かした。北の富士については「大恩人」と感謝を口にしている。北の富士はその後、九重部屋の師匠として横綱千代の富士らを育てた親方でもある。

もう一つの顔が番付の書き手だった。番付づくりには若い頃から関わり、2000年春場所からは当時の書き手の助手を務め、2007年九州場所からは戦後7人目の書き手として2023年初場所まで筆を執った。助手の期間を含めると、番付に関わった年月は約35年に上る。会見では、番付は力士の命であり、自分のベストな字を書いてきたとも振り返った。

行司名は木村裕司から始まり、木村恵之助、木村恵乃助、木村武蔵、再び木村恵之助、木村容堂と変わった。2024年秋場所で第42代式守伊之助として立行司に上がり、2025年初場所から第39代木村庄之助を名乗る。立行司として土俵に立ったのは約2年だった。

関連記事:39代木村庄之助、最後の花道で花束を受け取らなかった理由を定年会見で説明 「花束を受け取るのはいかがなものかと思いまして」

後任は40代庄之助と44代伊之助、11月8日初日の九州場所から

後任はすでに決まっている。日本相撲協会は10月1日の理事会で、第43代式守伊之助(63)=本名森田善光、神奈川県出身、春日野部屋=を第40代木村庄之助に、三役格の木村晃之助(61)=本名小島俊明、岩手県出身、九重部屋=を第44代式守伊之助に昇進させると決めた。いずれも11月の九州場所からで、協会公式サイトの行司一覧も、10月29日時点で木村庄之助は森田善光、式守伊之助は小島俊明の表記に変わっている。

立行司のうち、庄之助は結びの一番だけを裁き、伊之助は取組を2番受け持つ。39代庄之助が去った後も、九州場所の土俵には立行司が2人そろう。庄之助は会見で、2人がそろった体制で11月場所に臨めることを行司にとって大事なことだと歓迎し、自分も安心して引退できると話している。

関連記事:木村晃之助(61)が第44代式守伊之助に昇進、11月の九州場所から 第43代式守伊之助(63)は第40代木村庄之助に、立行司は1場所前倒しで決定

九州場所は11月8日に福岡国際センターで初日を迎える。新伊之助の木村晃之助は、39代庄之助と同じ九重部屋の行司だ。高砂一門の後輩たちに託された装束が、どの行司の手でいつ土俵に戻ってくるのか。

約49年、力士の後ろで土俵を支えた行司は、装束も立行司の座も次の世代に渡し、10月29日で角界を去る。

[文/構成 by スポーツ担当ライター 南條楓]

寄稿者

南條楓
学生時代に陸上の中距離を続けていたこともあり、記録で勝負が決まる競技に惹かれてスポーツを書くWebライターに。執筆歴は8年。陸上や水泳、体操、フィギュアスケートなど、記録と採点が結果を左右する競技を中心に、国際大会の速報から選手の歩みをたどる記事まで担当してきた。タイムや得点の意味、予選から決勝までの流れを、初めて観る人にも伝わる言葉で書くことを大切にしている。

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