旭海雄、師匠・旭天鵬の大島部屋で初の新入幕 モンゴルから小田原・旭丘高、日体大へ進んだ経歴

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日本相撲協会は10月26日、大相撲九州場所(11月8日初日・11月22日千秋楽、福岡国際センター)の新番付を発表し、モンゴル出身の旭海雄(26)=大島部屋=が西前頭16枚目で新入幕を果たした。師匠は元関脇・旭天鵬の大島親方で、2022年に大島部屋を再興してから初めての幕内力士となった。神奈川県小田原市の新名学園旭丘高等学校から日本体育大学へ進み、2023年11月場所で初土俵を踏んだ。
西前頭16枚目で新入幕、師匠と並んで会見
番付発表を受けて、旭海雄は福岡県糟屋郡新宮町にある大島部屋の九州場所宿舎で、大島親方と並んで会見に臨んだ。番付表を見た感想を問われると「文字が大きくなって分かりやすくなっていたので、ちょっとうれしかったです」と表情を緩める。幕内に上がると、番付表のしこ名は十両時代より大きな字で書かれる。
続けて口にしたのは、1年前に立てた目標だった。「去年、十両に上がったとき、1年で幕内に上がると自分で目標立てていたので、ちょうど1年で上がれて良かったです」。九州場所の番付では、伊勢ヶ濱部屋の嵐富士、出羽海部屋の出羽ノ龍とともに3人が新入幕となる。
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協会の番付トピックスによると、日本体育大学出身の新入幕は先場所の朝翠龍(高砂部屋)以来15人目。モンゴル出身では、先場所の寿之富士以来で、出羽ノ龍と旭海雄が34人目と35人目に数えられる。
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「大島部屋で初」が意味するもの
協会は旭海雄の新入幕について「大島部屋からは、現師匠が創設してから初めて」と記している。ここで言う大島部屋には、少し入り組んだ歴史がある。
もとの大島部屋は1980年、元大関・旭國が立浪部屋から独立して興した部屋だった。第63代横綱・旭富士や小結・旭道山を育て、1992年にはモンゴルから6人の新弟子を迎え入れる。その1人が、のちに関脇まで上がる旭天鵬だった。部屋は旭國の停年に合わせて2012年4月に閉鎖され、力士は友綱部屋へ移った。転籍直後の同年5月場所、旭天鵬は37歳8カ月で初の幕内優勝を果たしている。
2015年7月場所限りで引退した旭天鵬は、年寄・大島として友綱部屋で後進を指導した。2017年には名跡を交換して友綱部屋を継ぎ、モンゴル出身で初めての部屋持ち親方となる。そして2022年2月、再び名跡を交換して大島親方に戻り、師匠の部屋の名を約10年ぶりに復活させた。2024年10月には、部屋を東京都葛飾区青戸へ移している。
つまり旭海雄は、旭天鵬が大島の看板を掲げ直してから生まれた最初の幕内力士だ。
師匠の喜びは隠しきれなかった。「よく頑張ってくれたと思うし、素直にうれしいですね」と笑顔を見せ、後援会や応援してくれる人たちから反響が届いたことに触れて「みんながこれだけ待っていたのだと感じました」と語った。
9月には、自身の師匠・旭國の三回忌に出席したばかりだった。大島親方は弟子のここまでの歩みを振り返り、「(これまで)彼より俺の方がイライラした。旭国さんは、こういう感じだったんだな、と」としみじみ明かした。旭富士らを育てた先代の胸の内を、同じ師匠の立場になって初めて理解できたという。
モンゴルから小田原へ、新名学園旭丘高等学校と日本体育大学
旭海雄の本名はシャグダルスレン・ダライバートル。2000年4月4日、モンゴルのバヤンホンゴルで生まれた。母国でモンゴル相撲を半年ほど経験したが、日本の相撲に本格的に触れたのは来日してからだった。
2016年、神奈川県小田原市城内にある新名学園旭丘高等学校の相撲部に、同校の留学第1期生として入学する。このとき一緒に来日したのが、のちに幕内へ上がる阿武剋(阿武松部屋)だった。言葉や文化の違いに戸惑いながらも、岸田光弘監督のもとで稽古を重ね、全国高等学校相撲新人選手権大会で3位に入る。モンゴル代表として出た世界ジュニア相撲選手権大会では、団体戦の準優勝に貢献した。
高校卒業後は日本体育大学へ進む。同期には横綱・大の里がいる。先場所に新入幕を果たした同級生の朝翠龍(高砂部屋)も、同じ日体大の出身だ。大学では全日本相撲選手権で8強に入り、卒業後に大島部屋の門をたたいた。
母校とのつながりは今も深い。2025年9月5日には、新十両昇進を祝って旭丘高等学校が化粧まわしと明荷を贈り、校内で贈呈式を開いた。化粧まわしには小田原城と小田原市の花である梅、同校の城内キャンパスが描かれ、青い地色は相模湾と故郷モンゴルの空を表す。阿武剋に贈ったものと同じ図柄だが、しこ名の「海」にちなんで、少し濃い明るい青に仕上げた。
式には在校生の拍手に包まれて入場し、「九月(秋)場所でこの化粧まわしを付けて、母校を誇りに思いながら15日間戦いたい」と意気込んだ。高校時代については「先生方をはじめ、いろいろな方に支えていただいた旭丘での3年間があったから今がある」と話す。同校から生まれた関取は、阿武剋に続いて2人目だった。
新十両から1年余り、十両6場所の歩み
2023年11月場所で初土俵を踏むと、2024年5月場所では三段目で7戦全勝の優勝を飾った。序ノ口から幕下までで負け越したのは2024年11月場所の1度だけで、2025年9月の秋場所で新十両に昇進する。
ただ、関取の壁はすぐには越えられなかった。東十両13枚目で迎えた最初の場所は6勝9敗と負け越し、11月の九州場所は西幕下筆頭へ逆戻り。そこで5勝2敗と勝ち越し、2026年1月場所で十両へ戻った。
ここから成績が安定する。協会の記録によると、十両での各場所の成績は次のとおりだった。
| 場所 | 番付 | 成績 |
|---|---|---|
| 2025年9月場所 | 東十両13枚目 | 6勝9敗(負け越し) |
| 2026年1月場所 | 西十両12枚目 | 10勝5敗(勝ち越し) |
| 2026年3月場所 | 西十両7枚目 | 9勝6敗(勝ち越し) |
| 2026年5月場所 | 東十両4枚目 | 9勝6敗(勝ち越し) |
| 2026年7月場所 | 西十両筆頭 | 7勝8敗(負け越し) |
| 2026年9月場所 | 西十両筆頭 | 8勝7敗(勝ち越し) |
7月場所は西十両筆頭で7勝8敗と1点及ばず、同じ地位にとどまった。9月の秋場所は再び西十両筆頭で8勝7敗。今度は勝ち越しを決め、幕内への切符をつかんだ。
身長183センチ、体重165キロ。取り口の変化もある。もとは四つ相撲だったが、右膝を痛めたことをきっかけに、低い姿勢を生かす相撲へ切り替えた。立ち合いから低く鋭く当たる押しは、師匠が現役時代に対戦したことのないタイプだという。大島親方は「教えるのも難しいですよ。僕がそう思うのだから、相手も嫌だと思う」と評し、その個性を磨くよう求めた。
宇良、大の里、同級生への思いを胸に九州場所へ
幕内で対戦したい相手には、同じく低さを武器にする宇良を挙げた。日体大の同期には、すでに横綱へ上がった大の里がいる。旭海雄は「いずれは、もっと番付を上げて、横綱とも対戦してみたい」と先を見る。同級生の朝翠龍については「負けたくないなっていうのはあります。やっぱり同級生なので」と静かに対抗心をのぞかせた。
課題もはっきりしている。「今の相撲をもっと細かい部分を直す。立ち合いや相手の動きについていけるスピード、そういう部分をもっと上げていきたい」。幕内の15日間に向けて、立ち合いの精度と動きの速さを磨く。
小田原で日本の相撲を一から覚えたモンゴルの少年が、師匠の部屋の名を背負って幕内の土俵に立つ。初日は11月8日。大島部屋の新しい歴史が、福岡で始まる。
[文/構成 by スポーツ担当ライター 南條楓]







































































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