MEDIA DOGS

39代木村庄之助、最後の花道で花束を受け取らなかった理由を定年会見で説明 「花束を受け取るのはいかがなものかと思いまして」

39代木村庄之助、最後の花道で花束を受け取らなかった理由を定年会見で説明 「花束を受け取るのはいかがなものかと思いまして」

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン

行司の最高位、第39代木村庄之助(64)=九重=が5日、東京・両国国技館で定年の記者会見を開いた。9月の秋場所千秋楽、最後の結びを裁いて花道を引き揚げる際に観客の花束を受け取らなかった理由を問われ、「花道は力士が喜びや悔しさを抱きながら引き上げるところ」と説明した。10月29日をもって日本相撲協会を退職し、九州場所からは新たな庄之助と伊之助が土俵に立つ。

↓ 詳細が気になる方は、このまま下へ ↓

千秋楽の花道、差し出された花束に手を伸ばさず

場面は9月27日、秋場所の千秋楽だった。結びの一番は、ともに11勝3敗で並んだ横綱大の里と大関安青錦の相星決戦。この一番を裁いた庄之助は、本場所での最後の軍配を終えて花道を下がる途中、観客から差し出された花束を受け取らなかった。

なぜ受け取らなかったのか。

答えが語られたのは、それから8日後のきのう5日。全日本力士選士権が行われた両国国技館での定年会見だった。日刊スポーツによると、庄之助はまず「花道ではそういうことをしないようにと、協会からも注意があります」と前置きしたうえで、自身の考えをこう明かした。

「私の考えですが、花道は力士が喜びや悔しさを抱きながら引き上げるところだと思います。そういうところで花束を受け取るのはいかがなものかと思いまして、受け取りませんでした」

続けて、花束を用意したファンへの気遣いも口にしている。「花束を持ってきた方にはちょっと不快な思いをさせてしまったかもしれませんが、ご理解願えたらと思います」。スポーツ報知も、勝った力士と負けた力士の思いが行き交う場所だという同じ趣旨の説明と、ファンへのおわびを伝えた。

勝者も敗者も通る花道は、土俵を下りた力士がその日の結果を抱えて歩く場所。そこで裏方の自分が祝福を受ける場面を作らない、という線引きだった。

「主役は力士」裏方を貫いた約49年

庄之助は1961年10月30日生まれ、東京都府中市の出身で、本名は洞澤裕司。子どもの頃から元横綱北の富士のファンで、当時井筒親方だった北の富士へ「行司になりたい」と手紙を書いて入門した。初土俵は16歳だった1977年の九州場所。

スポーツ報知によると、会見では入門当時の思い出も語った。初めて会った北の富士から「君は行司に向いているね」と声をかけられたといい、「親方が入門を認めて下さったので、今日の私があると思っています。私にとっては大恩人です」と感謝を口にしている。

もう一つの顔が、番付の書き手だ。黒枠や線を引く助手として番付づくりを支え、2000年の春場所からは当時の書き手の助手を務めた。2007年の九州場所からは戦後7人目の書き手として2023年の初場所まで筆を執った。日刊スポーツによると、書き手を務めた15年以上の間、自宅にこもって1日8時間をかけ、2週間で1場所分の番付を仕上げ続けた。スポーツ報知や共同通信によると、助手の時代を含めて番付に関わった年月は約35年に及ぶ。

「土俵に立って人前に出るよりは、こもってコツコツやる方が性に合っていた」。日刊スポーツによると、庄之助は自分の性分をそう分析した。時事通信によると「番付は力士の命。自分のベストな字を書いてきた」とも話した。

2024年秋場所で第42代式守伊之助として立行司に上がり、2025年初場所からは第39代木村庄之助を名乗った。共同通信によると、立行司として過ごした時間を「責任の重さを感じる2年間だった」と語っている。

思い出の一番は「特にありません」

最後の本場所で裁いた結びは、横綱と大関が優勝をかけてぶつかる大一番になった。大の里が安青錦を下し、12勝3敗で6場所ぶり6度目の優勝を決めている。

それでも、思い出に残る一番を問われた庄之助の答えは短い。

「特にありません。どの相撲も優勝が懸かった大一番であろうが、何でもないような相撲でも、力士はその日のために厳しい稽古を重ねて土俵に上がっている。そういう感情を持ってはいけないと思っていた」。スポーツニッポンが伝えたこの言葉は、花束を受け取らなかった理由とも重なる。どの取組にも同じ重さで向き合い、目立つのは力士の側であるべきだという姿勢だ。

時事通信によると、会見では「行司は土俵上の責任者。その自覚を持って務めてきた」とも語った。スポーツニッポンによると、定年を迎える実感については「まだ実感が湧いてない」と答えている。会見の後、巡業に出る人たちはバスで巡業地へ向かうが、自分は家に帰る。その頃に実感が湧いてくると思う、と話した。

九州場所からは40代庄之助と44代伊之助

日刊スポーツによると、65歳の誕生日を迎える10月30日の前日、29日をもって日本相撲協会を退職する。本場所は秋場所が最後で、5日の明治神宮での横綱土俵入りと全日本力士選士権が、装束を着る最後の仕事になった。装束はすべて後輩に譲ったり、縁のあるところに寄贈したりして、手元には何も残さないという。

後任も決まっている。日本相撲協会は1日の理事会で、第43代式守伊之助(63)=春日野=を第40代木村庄之助に、三役格の木村晃之助(61)=九重=を第44代式守伊之助に昇進させると決めた。裏方の昇進は初場所付けが通例だが、立行司だけを1場所前倒しにし、11月の九州場所から2人がそろって土俵に立つ。

関連記事:木村晃之助(61)が第44代式守伊之助に昇進、11月の九州場所から 第43代式守伊之助(63)は第40代木村庄之助に、立行司は1場所前倒しで決定

スポーツニッポンによると、庄之助はこの決定について「庄之助、伊之助が、そろっていることは私たち行司にとっても大事なこと。11月場所から、その体制でいくことは非常にありがたく思っているし、私も安心して引退できる」と話した。共同通信によると、後進には「大相撲の伝統を次の世代につなげてほしい。100年、200年、もっと先まで伝えていくべき文化だ」と言葉を贈っている。

スポーツ報知によると、今後は一人のファンとして大相撲を応援していくという。約半世紀、力士の後ろで土俵を支えてきた行司は、最後の花道でも主役の座を力士に残して去った。

[文/構成 by スポーツライター 南條楓]

寄稿者

南條楓
学生時代に陸上の中距離を続けていたこともあり、記録で勝負が決まる競技に惹かれてスポーツを書くWebライターに。執筆歴は8年。陸上や水泳、体操、フィギュアスケートなど、記録と採点が結果を左右する競技を中心に、国際大会の速報から選手の歩みをたどる記事まで担当してきた。タイムや得点の意味、予選から決勝までの流れを、初めて観る人にも伝わる言葉で書くことを大切にしている。

コメントはこちら

*
*
* (公開されません)

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

ライフハック/実用

More

グルメ

More

エンタメ

More

社会/ニュース

More

旅行/スポット

More

ファッション/ビューティー

ファンケル「マイルドクレンジングオイル ブラック&スムース」は実際どう?真っ黒なオイルの使い心地や洗い上がり、口コミをレビュー

ファンケル「マイルドクレンジングオイル ブラック&スムース」は実際どう?真っ黒な...

ファンケルの毛穴ケア向けクレンジング「マイルドクレンジング オイル<ブラック&スムース>」をレビュー。炭と吸着泥配合の真っ黒なオイルの色やテクスチャー、流したあとの肌の感じ、120mL・約60回分の量とコスパまで写真付きで紹介。
More
Return Top