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錦織圭が現役引退を表明 「やり切った」決断の裏にあった葛藤と怪我との闘い 世界4位・全米準V・五輪銅メダルの功績を振り返る

錦織圭が現役引退を表明 「やり切った」決断の裏にあった葛藤と怪我との闘い 世界4位・全米準V・五輪銅メダルの功績を振り返る

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン

男子テニスの元世界ランキング4位、錦織圭(36)=ユニクロ=が4月30日、今季限りでの現役引退を自身のSNSで発表した。「『やり切った』と胸を張って言える」と心境を明かし、2014年全米オープン準優勝、2016年リオ五輪銅メダルの功績を残したエースが競技生活に区切りをつける。

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「このたび、今シーズンをもって現役を引退する」

男子テニスで日本男子として初めて世界ランキングのトップ10入りを果たした錦織圭(36)=ユニクロ=が4月30日(日本時間5月1日)、今季限りで現役を引退すると自身のXで明らかにした。

投稿で錦織は「今日は皆さまにご報告があります。このたび、今シーズンをもって現役を引退する決断をいたしました」と切り出し、長年の支援に謝意を示した。アジア男子歴代最高位の世界4位に上り詰めた選手が、キャリアの終幕を自らの言葉で告げた。

発表のタイミングについて記者会見は開かず、SNSで直接ファンに届ける形を選んだ。最後の試合がいつのどの大会になるかは明かしていない。

松江のコートから世界へ 36歳まで続いた道のり

錦織は1989年12月29日、島根県松江市に生まれた。5歳で父や姉とテニスを始め、松江市内のスクールに通う。小学5年で全国小学生テニス選手権大会ベスト8に入ると、その才能は早い段階で見いだされた。

2004年、14歳で米フロリダ州の名門「IMGアカデミー」に留学。厳しい環境で技術と体を鍛え、2007年にプロ転向した。翌2008年2月、18歳でデルレイビーチ国際テニス選手権のシングルスを制し、1992年の松岡修造以来、男子ツアー制度下で日本男子2人目のATPツアー優勝者となった。

身長178cmと、世界のトップ選手と比べて恵まれた体格ではなかった。それでも両手打ちのバックハンドと、飛びながら高い打点で打ち込む「エアケイ」、素早いフットワークで強豪を退け続けた。

全米準優勝とリオ五輪銅 日本テニスの景色を変えた4年間

転機は2014年にあった。5月には日本男子として初めて世界ランキングトップ10入り。同年9月の全米オープンでは、男女通じて日本勢初の四大大会シングルス決勝に進出した。決勝の相手はクロアチアのマリン・チリッチ。3-6、3-6、3-6のストレート負けで頂点には届かなかったが、準優勝という成績は日本テニス史の一線を塗り替える結果となった。

翌2015年3月2日には自己最高の世界ランク4位を記録。アジア男子としても歴代最高位だった。

2016年のリオデジャネイロ五輪では、3位決定戦でスペインのラファエル・ナダルと対戦し、6-2、6-7(1-7)、6-3で勝利。銅メダルを手に入れた。日本勢としては、1920年アントワープ大会銀メダルの熊谷一弥以来、96年ぶりのテニス表彰台となった。

キャリアを通じてATPツアーではシングルス12勝。日本男子最多記録だ。ATPツアー・マスターズ1000では4度の準優勝を経験し、グランドスラムに次ぐ格のタイトルに何度も迫った。

錦織圭 キャリアの歩み

主な出来事
1989年12月29日島根県松江市に生まれる
2004年米フロリダ州「IMGアカデミー」に留学(14歳)
2007年10月プロ転向
2008年2月デルレイビーチ国際でツアー初優勝(18歳、日本男子史上2人目)
2014年5月日本男子初の世界ランクトップ10入り
2014年9月全米オープン準優勝(日本勢初の四大大会シングルス決勝進出)
2015年3月2日自己最高の世界ランク4位
2016年8月リオ五輪男子シングルス銅メダル(96年ぶりの日本勢表彰台)
2021年東京五輪男子シングルス・ベスト8
2022年1月左股関節手術で長期離脱
2023年6月下部ツアーで実戦復帰即優勝
2025年8月背中の故障で全米オープン欠場、トーマス・ヨハンソンとのコーチ契約解消
2026年1月キャンベラ国際で右肩痛が再発、全豪欠場
2026年4月30日今季限りで現役引退を表明

「やり切った」の一語に込めた葛藤 怪我との長い闘い

発表文の中で、錦織は現役を続けたい思いがなお残ることを率直に明かしている。「正直に言えば、今でもコートに立ち続けたい気持ちはあります。それでも、これまでのすべてを振り返ったとき、『やり切った』と胸を張って言える自分がいます」。

背景にあるのは、長く続いた故障との闘いだ。2022年1月、左股関節の手術を受けてツアーを長期離脱した。手術からの空白期間はATP公式資料によると21カ月に及び、2021年から2023年にかけてツアーから遠ざかった。

2023年6月、下部ツアーに復帰し、復帰戦でそのまま優勝。翌2024年にはATPツアーへ本格的に戻り、コーチに元全豪王者のトーマス・ヨハンソンを迎え、ATP「カムバック・プレーヤー・オブ・ザ・イヤー」候補に名を連ねた。

だが、体の痛みは繰り返し襲った。2025年はジュネーブ2回戦で棄権、全仏オープンも直前に欠場。8月には背中の故障で全米オープンを欠場し、同月、ヨハンソンとのパートナーシップ解消も明らかにした。2025年シーズンのツアーレベルの勝敗は10勝10敗だった。

2026年の初戦は下部ツアーのキャンベラ国際。1回戦の途中で右肩の痛みが再発し棄権、全豪オープン欠場につながった。4月には米サラソタのツアー下部大会を前に一部で引退報道が流れたものの、錦織本人がSNSで否定。そこから約1カ月後の発表となった。

「テニスという競技に出会えたこと、この道を歩んでこられたことを、心から幸せに思います。残りの試合も、一瞬一瞬を大切に、最後まで戦い抜きます」。投稿の最後を錦織はそう結んだ。

SNSにあふれた「夢をありがとう」

発表後、SNSにはファンからの書き込みが相次いだ。スポーツニッポンによると、投稿欄には「日本人歴代最高のテニスプレイヤーなのは間違いない」「たくさんの感動をありがとう!」「エアKはほんとカッコよかった」「ジョコビッチと熱い対決は凄かったです」といった声が並んだ。

錦織は同年1月、元世界3位のミロシュ・ラオニッチ(35、カナダ)が現役引退を表明した際にXでメッセージを寄せている。「Congrats on an amazing career」と英語で書き込み、対戦相手としてしのぎを削った同世代のキャリアをたたえた。その本人が、わずか数カ月後に同じ決断を口にしたことになる。

「残りの試合」をどう戦うか 最後の一打に向けて

錦織は引退時期を「今シーズン限り」としたうえで、具体的な最終戦はまだ公表していない。ATP公式サイトの2026年4月時点のランキングは464位だ。日本男子テニスの顔として12年以上走り続けた選手が、どの舞台で最後の一打を放つのか。

世界4位、全米準優勝、五輪銅メダル——日本テニスの景色を変えた36歳が、コートに立つ時間の終わりを自ら決めた。

[文/構成 by さとう つづり]

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