亜希、ドラフト当日に長男の2024年ドラフトを振り返る 「親として一生の宝」

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
モデルの亜希(57)が2026年10月22日、プロ野球ドラフト会議の当日に自身のインスタグラムを更新した。2年前の2024年、慶応義塾大学4年だった長男の清原正吾はプロ志望届を出したが、指名はなかった。亜希は当時を振り返ると今でも「胸が苦しくなります」と明かしつつ、「親として一生の宝です」とつづった。
ドラフト当日に投稿、「色々ありました、ありすぎました笑」
亜希は「今日は、毎年やってくるこの日」とドラフト会議に触れ、続けて「うちの物語ではありますが、はい!色々ありました、ありすぎました笑」と書き、元夫で元プロ野球選手の清原和博氏(59)の背中を追った2人の息子の歩みを語った。
投稿では「父親の背中を追いかけながら、必死で野球に打ち込んだ幼稚園、小学校時代…」と振り返っている。その後の道は分かれ、亜希は「長男は野球に背き、次男は厳しいシニアへと向かい高校では甲子園という大舞台に立たせていただける機会に恵まれ」と記し、「子育てする中、数えきれないほどの事を学ばせてもらいました」と感謝を言葉にした。
核心は長男についての一節だった。「そして2年前になりますが、大学から再び野球と向き合うと決めた長男がプロ志望届けを提出し、今でもあの頃を振り返ると胸が苦しくなります」。さらに「柄にもなく全く食べ物も喉に通らずでしたww」と、当時の自分を少し笑いに包んで明かしている。
それでも結びの言葉は前を向いていた。
「でも、どんな形でも子供の夢を隣で見させてもらったことは親として一生の宝です」
投稿には、透明なケースに並ぶ複数の野球ボールの写真が添えられた。亜希は「私の寝室には、うちの3人が残してくれた証が置いてあります」と説明する。報道によると、長男が大学のリーグ戦で放ったホームランの白いボールや、次男が「ママへ いつもありがとう」と書き込んだ泥だらけのボールが写っていた。さらに「今夜一生懸命頑張ってきた選手達にエールを送れたらと思います!」と、この日のドラフトに臨む選手たちを励ましている。報道によると、フォロワーからは「素敵過ぎます」との声が上がった。
野球から離れた長男、大学で硬式野球に挑んだ4年間
「野球に背き」という言葉には経緯がある。正吾は小学3年で軟式野球を始めたが、中学ではバレーボール部、慶応高校ではアメリカンフットボール部に入った。硬式野球のボールを本格的に握ったのは、慶応義塾大学へ進んでからだった。
6年間のブランクは小さくない。大学での初めてのベンチ入りは2年秋まで待つことになった。転機は4年春に訪れる。2024年4月13日の春季リーグ開幕戦で初めて4番に座り、先制の適時打でリーグ戦初打点を挙げた。スタンドでは父の和博氏も観戦していた。春は13試合で打率.269、7打点を記録し、二塁打5本はリーグ最多。本塁打こそなかったものの、一塁手としてベストナインに選ばれている。
最後の秋には長打も出始めた。2024年9月28日の明治大学戦でリーグ戦初本塁打となる同点弾を放つ。観戦に訪れた父の前での一発だった。10月7日の東京大学戦では2カード連続となる2号を放ち、11月9日の早稲田大学戦でもリーグ戦3本目のホームランを左翼席へ運び、この日は3安打を記録している。リーグ戦の通算成績は打率.254、3本塁打、12打点だった。
2024年10月24日、最後まで名前は呼ばれず
正吾は2024年9月12日にプロ志望届を提出した。大学から硬式野球を始め、4年で名門の4番に座った右の長距離打者が、プロの扉をたたいた。
ドラフト会議は2024年10月24日、東京都内のホテルで開かれた。NPBによると、この年は新人選手69人と育成選手54人の交渉権が確定している。だが、支配下の指名にも育成の指名にも、正吾の名前はなかった。NPB公式サイトに載る12球団の選択選手一覧にも清原の名前は見当たらない。
慶応義塾大学に設けられた会見場には約60人の報道陣が集まっていたが、本人の会見は見送られた。代わりに取材に応じた慶応義塾大学の堀井哲也監督は、本人が現実を受け止めていると伝え、まずはリーグ戦に集中したいという意向を明かした。
亜希は、長男がプロ志望届を出した「あの頃」を振り返り、「全く食べ物も喉に通らずでした」と書いている。母親として息子の夢の行方を待った時間は、2年たった今も「胸が苦しくなります」と表現するほど心に残っている。
指名漏れの後、独立リーグや2軍に新しく加わった球団など計9球団から獲得の申し出が届いた。正吾は悩んだ末、2024年11月22日に堀井監督へ直接会って辞退の意向を伝える。11月24日には、大学限りで野球を引退すると野球部を通じて発表した。コメントでは「今後は野球の道ではなく、新たに目標を持ち、社会に出る準備をすることにしました」とし、「支えて下さった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです」と結んでいる。報道によると、現在は社会人として新しい道を歩んでいる。
父は6球団競合、次男は今も慶大でプレー
清原家とドラフトの縁は長い。父の和博氏はPL学園高校から1985年のドラフト会議に臨み、6球団から1位指名を受けて西武に入団した。それから約40年後、長男は同じ会議で名前を呼ばれなかった。
亜希と和博氏は2014年9月に離婚した。亜希はその後、シングルマザーとして2人の息子を育ててきた。2人とも父と同じ野球の道を選び、ともに慶応の野球部でプレーした。
次男の勝児は慶応高校時代に甲子園の舞台に立ち、2023年夏の全国高校野球選手権で優勝したチームの一員だった。兄と入れ替わるように慶応義塾大学へ進み、現在は同大学の野球部でプレーする。報道によると、投稿にあった「ママへ いつもありがとう」のボールは、この次男が書いたものだという。
2026年のドラフトは76人と51人が交渉権
亜希が投稿した2026年10月22日のドラフト会議では、NPBによると新人選手76人と育成選手51人の交渉権が確定した。巨人は1位で横浜高校の織田翔希投手を単独で指名している。巨人は育成5位で川崎市立向丘中学校の関蓮太郎捕手も指名し、中学生の指名として大きく報じられた。
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毎年10月に巡ってくるこの日は、指名を待つ選手だけでなく、その家族にとっても特別な1日になる。名前が呼ばれた家族もいれば、呼ばれなかった家族もいる。亜希は自らの経験を明かしたうえで、2026年のドラフトに臨んだ選手たちへエールを送った。報道によると、投稿は「ひとりでも多く夢が叶いますように」と結ばれている。
[文/構成 by エンタメライター 真柴 ことね]











































































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