織田翔希の母・祐子さん「自分のやりたい道に進んでほしい」 “二人三脚”で寄り添った母に背中を押された157キロ右腕のメジャー挑戦

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横浜高校3年の織田翔希(18)が10月15日、日本のプロ野球(NPB)を経ずに米球界へ挑戦すると表明した。ドラフト1位が有力視された最速157キロの右腕が、異例の道を選んだ。その決断を常にそばで支えてきたのが、母・祐子さんだ。会見で本人は、母が「二人三脚のように」寄り添ってくれたと話し、「自分のやりたい道に進んでほしい」と快く送り出されたことを明かした。ドラフト会議当日の22日、母と子のやりとりを本人と母の言葉からたどる。
織田翔希のプロフィール|出身・中学・最速は?
福岡県北九州市の出身で、地元の小学校、中学校で野球を続けたあと、神奈川の横浜高校へ進んだ。身長186cmの長身から投げ下ろす直球が武器で、自己最速は157キロに達する。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 織田翔希(おだ・しょうき) |
| 出身 | 福岡県北九州市 |
| 所属 | 横浜高校3年 |
| ポジション | 投手(右腕) |
| 身長 | 186cm |
| 最速 | 157キロ |
| 経歴 | 北九州市立足立小学校→北九州市立足立中学校→横浜高校 |
| 主な実績 | 2年春の選抜大会で優勝、3年夏の全国選手権で4強、U18高校日本代表 |
2026年夏の甲子園では、準々決勝の花巻東戦などで156キロを計測した。甲子園の史上最速となる記録で、先発しながら試合を通して直球の平均が152キロ台に乗る投球も見せた。国内のドラフトなら1位指名で競合は間違いない、と報じられてきた投手だ。
母・祐子さん「自分のやりたい道に進んでほしい」 進路を後押しした一言
10月15日、横浜市内の同校で開かれた進路会見。織田は、家族とも話し合ったうえで米国行きを決めたと説明し、母について語った。スポーツ報知が伝えた会見での発言は、次のとおりだ。
「母(祐子さん)は、二人三脚というか常にそばに、連絡も取り合っていた。寄り添ってくれていた。全てを話して決めました。母は『自分のやりたい道に進んでほしい』と言っていた」
日刊スポーツは、同じ場面の言葉を「『もう自分のやりたい道に進んでほしい』と快く言ってくれました」と伝えている。日本でプロに進めば1位指名が確実視されていた息子が、前例の少ない道を選ぼうとしている。その相談に、母が返したのは条件をつけない短い一言だった。
会見で分かったのは、息子が「快く」と表現するほど、母が気持ちよく送り出したということだ。
「お母さんは二人三脚のように」 全部を話してから決めた進路
決断までの日々は慌ただしかった。織田は10月上旬に米大リーグのポストシーズンを現地で観戦し、帰国後の11日からはNPB球団との面談に臨んだと報じられている。日米の両方を自分の目で見たうえでの決断となった。
その相談相手が母だった。日刊スポーツが伝えた本人の言葉は、より詳しい。
「お母さんは二人三脚のように、もう常にそばに、そして常に連絡も取り合ってくれていたので、お母さんは常に寄り添ってくれていたので、ほんとに全部を話して、それを踏まえた上で決めました」
「常に」という言葉が、短い発言の中に3度出てくる。そばにいること、連絡を取り合うこと、寄り添うこと。18歳の右腕は、考えていることを全部母に話し、そのうえで自分で決めた。
会見では今の気持ちも語っている。「このような会(記者会見)を開いてしっかりと決断できたので、今の気持ちとしてはもう覚悟を決めて挑戦していきたいなという風に思ってます」。母と二人三脚で出した答えを、自分の口から伝える場でもあった。
母・祐子さんが語った息子 「本人が決めたこと。止められなかった」
祐子さん自身も、息子への思いを語っている。日刊スポーツの連載「球児の母の夏」(2026年8月)で、祐子さんは大観衆の中で投げる姿やインタビューを受ける姿を見るたび、「私が産んだよね?って思って見ているんです(笑い)」と話している。
長身の体を支えてきたのは、中学時代の母の食事だった。祐子さんは「中学に入ってからは、お米をたくさん食べさせるように心がけました」と話し、栄養のある食事をインターネットで調べて、食べるタイミングや組み合わせも工夫したという。今でも大好物は“お母さんの唐揚げ”で、帰省すると必ず最初にリクエストするそうだ。
横浜への進学は、織田本人が決めた。県外の高校へ行くとは考えていなかった祐子さんは、「え!? 横浜って?」と驚いたという。それでも「本人が決めたこと。止められなかったです」と、涙をこらえて送り出した。
離れて暮らしてからも、支え方は変わらない。2025年夏の甲子園準々決勝で敗れ、号泣する息子に、祐子さんはLINEで「次があるよ」と短く送った。返事は「おう」のひと言だった。祐子さんは「“おう”は大丈夫な証拠」と受け止め、「本当に強くなりましたよ」と語っている。
2026年7月の神奈川大会準決勝の日には、最終学年を迎えた息子と「やるしかないね」と話していると、日刊スポーツに明かしている。多くを言わずに本人の決断を受け止め、短い言葉で背中を押す。進路会見で息子が語った「快く」送り出す姿は、この夏の母の言葉とも重なる。
北九州市の足立小・足立中から横浜高へ 地元で育った157キロ右腕
野球との出会いは、地元・北九州市だった。北九州市の資料によると、北九州市立足立小学校の1年生で地域のチーム「足立クラブ」に入り、3年生から本格的に投手を務めるようになる。
北九州市立足立中学校では軟式野球部に所属した。3年生で最速143キロを計測し、全国大会にも出場している。中学生の時点で140キロを超えていた投手は、福岡を離れて横浜高校の門をたたく。
横浜高校では1年春からベンチに入った。2年春の第97回選抜大会では、1学年上の奥村頼人と2枚看板を組み、チームの優勝に大きく貢献する。同じ年の夏は8強だった。3年春の関東大会ではリリーフで154キロを計測し、最後の夏はエースナンバー「1」を背負って甲子園に立った。チームは4強まで勝ち進み、大会後にはU18高校日本代表にも選ばれている。
地元も、この活躍を見守ってきた。北九州市は8月、甲子園4強とU18日本代表入りを織田本人が武内和久市長へ報告する場を設けると発表し、資料に足立小、足立中、足立クラブでの歩みを載せた。地元の少年野球から始まった右腕は、いまや日米の球団が注目する投手になった。
なぜメジャー?「世界一の投手に」 言葉の壁と米大学という選択肢
米国を選んだ理由について、織田は会見でこう語った。時事通信が伝えている。
「世界一の投手、世界で活躍するという自分の最終目標に向けて、アメリカの地で挑戦することに決めた」
「世界一の投手」という目標から逆算すると、早く米国に渡ることにも意味がある。織田は一番の困難として言葉の壁を挙げ、「若いうちから生の英語に触れることで、大リーグに上がった際に意思疎通を図れる」と説明した。高校を出てすぐに海を渡るのは、英語に慣れる時間を少しでも長く取るためでもある。
進む先は大リーグ球団だけではない。米国の大学に進学することも選択肢の一つだと、織田は会見で明らかにした。日米の20球団以上が織田に注目していたとも報じられている。どの道を選ぶにしても、母が言った「自分のやりたい道」の先にあるのは、本人が掲げた世界一という目標だ。
織田翔希の父親・家族構成は?報道で分かっていること
検索では「父親」「家族構成」も多く調べられている。ただ、会見で織田が語った家族は母・祐子さんで、父やきょうだいについては触れていない。
インターネット上には家族構成について書かれたものもあるが、本人や家族が公表した情報ではない。報道で分かっているのは、家族と話し合って進路を決めたこと、そして母が常にそばで寄り添い、最後に背中を押したということだ。
2026年のプロ野球ドラフト会議は、22日午後4時50分から開かれる。織田はプロ志望届を出しているため、ルール上はどの球団も指名できる。ソフトバンクの城島健司CBOが指名の可能性に含みを持たせたと報じられており、”強行指名”をする球団が出るかどうかも注目されている。
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ドラフトの結果がどうであっても、織田が目指す場所は変わらない。「全部を話して」決めた道を、母は「やりたい道に進んでほしい」と送り出した。二人三脚で出した答えを胸に、157キロ右腕は世界一の投手を目指す。
[文/構成 by さとう つづり]









































































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