川栄李奈のAKB48時代の握手会襲撃事件を解説 母の「芸能界を1度辞めてほしい」でも続けた理由と俳優で掲げた3つの夢、2児の母の現在

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
俳優の川栄李奈(31)が11月1日放送の日本テレビ系「おしゃれクリップ」で、AKB48時代の握手会襲撃事件を振り返った。2014年5月に岩手県で起きた事件で、当時19歳の川栄は右手親指を骨折し、翌年にグループを卒業している。事件の経緯と判決、その後の握手会、母の願いを受けても活動を続けた理由をまとめた。
2014年5月25日、岩手の握手会で起きた事件
事件が起きたのは2014年5月25日の午後5時ごろ。岩手県滝沢市の岩手産業文化センターで開かれていたAKB48の握手会の会場だった。ファン約5000人が入場し、約50人のメンバーが参加していたと報じられている。
岩手県警の説明によると、長さ約50センチののこぎりを持った当時24歳の男が、突然、川栄と入山杏奈、男性スタッフに切りつけた。男はその場で殺人未遂容疑で現行犯逮捕されている。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発生 | 2014年5月25日午後5時ごろ |
| 場所 | 岩手県滝沢市の岩手産業文化センター |
| 川栄李奈(当時19歳) | 右手親指の骨折と裂傷、 |
| 入山杏奈(当時18歳) | 右手小指の骨折と裂傷、 |
| 男性スタッフ | 左手に切り傷 |
| 判決 | 2015年2月に懲役6年 |
川栄と入山はそれぞれ緊急手術を受け、3人とも命に別条はなかった。
当時の警備について、主催のキングレコードは約100人があたり、握手の前には両手を広げてもらう確認をしていたと説明した。一方、参加したファンの話として、手荷物検査はなかったとも報じられている。
判決は懲役6年、検察が指摘した動機
男は殺人未遂容疑で逮捕されたが、盛岡地検は凶器の形状などから、傷害と銃刀法違反の罪で起訴した。
検察側が指摘した動機は、仕事がない被告が、AKBのメンバーには多額の収入があると考えて不満を抱いたというものだ。盛岡地裁は2015年2月10日、懲役6年の判決を言い渡している。
握手会は警備7倍で再開、川栄と入山の姿はなし
事件を受けて握手会は自粛され、再開したのは2014年7月5日。会場は東京ビッグサイトだった。
警備スタッフは以前の同規模のイベントの約7倍にあたる約350人に増え、ハンディタイプの金属探知機を50台用意した。メンバーとファンの間には柵が設けられている。ただ、この再開の場に川栄と入山の姿はなかった。
負傷から間もない川栄は、ファンの前では気丈に振る舞っていた。翌26日に転院のため退院した際は「もう大丈夫です」と報道陣に話し、事件から13日後の6月7日には選抜総選挙の会場にサプライズで登場している。右手に包帯を巻いた姿で語ったのが、「私は絶対に負けません!」という言葉だった。
同じく負傷した入山も、傷の治療が長く続いた。2015年2月の劇場公演では、入院中にAKBをやめることも考えたと明かし、「正直、まだ突然の大きな音や声には怖いと感じてしまいます」と話している。
「握手会に出られない」と卒業を発表
川栄が劇場公演に戻ったのは、2014年10月8日だった。
2015年2月24日、20歳の誕生日を祝う生誕祭の公演で、川栄は19歳の1年を「すごくつらかったことも、楽しかったこともあった」と表現した。この公演では「事件があったから、かわいそうだから(メンバーに)入ってる」と考え、「選抜から外してほしい」と運営に願い出たことも明かしている。
卒業を発表したのは翌月の3月26日、さいたま市でのコンサートだ。理由として、本人は事件に触れた。
「去年の事件があって握手会に出られなくなった。AKB48は握手会を大事にしているが私は出られないし、これからも出られることはない」
最後の劇場公演は同年8月4日。東京・秋葉原のAKB48劇場で「もし生まれ変わってもAKB48に入りたいと思いますし、それくらい楽しかったです」と語り、グループを離れた。
母の「辞めてほしい」でも続けた理由
事件から12年がたち、川栄は「おしゃれクリップ」でこの時期のことを語った。
番組は母にも取材している。日刊スポーツによると、母は俳優の道を聞いた時の心境を問われ、「事件後、芸能界を辞めてほしいと話したこともありましたが、失いかけた娘の1度きりの人生、やりたいことをやらせてあげようと決心しました」と答えた。
川栄は涙を浮かべながら、「事件があってから、お母さんがすごくつらそうだったんですよ」と当時を振り返っている。
それでも辞めなかった理由は2つあった。
1つは後輩の存在だ。当時19歳の川栄より年下で、中学生や高校生のメンバーがつらそうにしていたという。「そういうトラウマを植え付けさせてしまったことが今でも後悔していて」と話し、自分が元気で幸せそうに暮らしている姿を見せることが、その人たちの救いになると考えた。
もう1つは自身の性格だ。「負けず嫌いだから、今ここで辞めたら自分が負けた気がしちゃって」。それが悔しく、母が「辞めて」と言っても「やる」と答えたと語っている。
「30歳で死ぬと思って人生設計」した10年
事件は、その後の生き方にもつながったという。川栄は「明日死ぬかもしれないから、今、全力で生きようと思ってる」と話し、この経験がなければ「女優になりたいとも言えなかった」と続けた。
20歳で卒業してからは「30歳で死ぬと思って人生設計してきた」という。30歳になって死ぬと言われても、悔いがなかったと言える人生を送りたかったのだと説明している。
31歳になった今は、考え方が変わった。スポーツニッポンによると、我慢してきたことや理不尽なことも多かったと振り返りつつ、今後については「30歳から40歳までの人生設計は、本当に心の底から楽しむっていうことを目標に行きたいなと思っています」と語った。
俳優で掲げた3つの夢、どこまでかなったのか
俳優の道に進む際に川栄が掲げた夢は3つある。朝ドラヒロイン、大河ドラマ出演、日本アカデミー賞受賞。オリコンによると、本人も「絶対叶わないだろう」と思っていた目標だった。
| 夢 | 確認できた状況 |
|---|---|
| 朝ドラヒロイン | 2021年からのNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」でヒロイン |
| 大河ドラマ出演 | 「いだてん〜 |
| 日本アカデミー賞受賞 | 2024年6月の時点で本人が未達と説明。第48回、 |
朝ドラは簡単に届いた夢ではなかった。東洋経済オンラインのインタビューによると、「カムカムエヴリバディ」のオーディションは6度目の挑戦で、合格しなければ辞めるとマネジャーに伝えていたという。
残る1つについては、2024年6月14日、映画「ディア・ファミリー」の初日舞台あいさつで本人が語っている。マイナビニュースによると、2015年に掲げた3つのうち前の2つはかない、日本アカデミー賞はまだだと説明した。
2児の母の現在、産後2カ月で復帰
私生活では、2019年11月に第1子、2023年6月に第2子の出産を報告した。いずれも産後2カ月で仕事に復帰している。
2026年は節目が続く。1月1日には約10年所属したエイベックス・マネジメント・エージェンシーからの独立を発表し、同社とはエージェント契約を結ぶと報告した。4月10日には俳優の廣瀬智紀との離婚を公表している。
関連記事:川栄李奈&廣瀬智紀が離婚 理由は”すれ違い”か 子どもは”共同親権”に──「施行10日で芸能界初か」と注目
俳優業では、10月30日に柳楽優弥主演の映画「RYUJI 竜二」が公開され、妻のまり子を演じた。同日の初日舞台あいさつで「大きな愛」を感じた出来事を聞かれると、川栄は子どもの話を選んだ。モデルプレスによると、「今まで『お仕事行ってくるね』って言ったら『頑張ってね』って言ってくれてたのが、『頑張りすぎないでね』って最近言ってくれるんですよ」と明かしている。
[文/構成 by ライター 小川 そら]










































































コメントはこちら