添田山、初の地元場所となる九州場所へ 福岡県添田町出身の19歳、秀ノ山部屋の序二段

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福岡県田川郡添田町出身の添田山(19)=秀ノ山部屋=が、11月8日に初日を迎える大相撲九州場所へ向けて調整を続けている。2026年3月の春場所で初土俵を踏んだ19歳にとって、福岡国際センターで開かれる九州場所は角界入り後初めての地元場所。番付は自己最高の東序二段8枚目で、初土俵から3場所続けて勝ち越してきた勢いのまま、ふるさとの土俵に上がる。
自己最高の東序二段8枚目で迎える地元の本場所
九州場所は11月8日から22日までの15日間、福岡市の福岡国際センターで開かれる。年6回の本場所のうち、九州で開かれるのはこの11月場所だけだ。日本相撲協会が10月26日に発表した新番付で、添田山は東序二段8枚目に名を連ねた。序二段は番付の下から2番目の地位で、本場所では15日間で7番を取る。番付は下から序ノ口、序二段、三段目、幕下、十両、幕内と続き、十両以上が関取と呼ばれる。日本相撲協会の公式サイトによると、九州場所の入場券はすでに完売している。
地元の福岡県勢では、糟屋郡宇美町出身の嵐富士が東前頭16枚目で新入幕を果たし、幕内の土俵で九州場所を迎える。添田山と同じ2007年生まれの力士では、竜鳳が新十両として西十両14枚目に名前を載せている。同学年の力士が関取の座をつかむなか、添田山は下の地位から一歩ずつ番付を上げている。
10月29日には、九州場所中の宿舎がある福岡県柳川市で朝稽古に参加した。申し合い稽古で白星を重ね、師匠の秀ノ山親方(元大関琴奨菊)から「いい相撲が取れてるよ」と声を掛けられたと報じられている。この日は浮き腰にならないことと、体が前に突っ込みすぎないことを意識して土俵に立った。
力士として福岡に帰ってきた思いを、添田山は「やっぱり『自分も帰ってきたな』って感じです」と語った。九州で楽しみにしていることを問われると、部屋のちゃんこに加えて「実家に帰った時のお母さんが作ってくれるご飯です」と答え、19歳らしい一面ものぞかせた。いとこの結婚式で一度実家に戻ったことも明かしている。
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添田町中元寺から角界へ
添田山は2007年8月6日生まれ。英彦山がある添田町の中元寺地区で育ち、中元寺小学校2年のころから隣の川崎町にある相撲教室に通い始めた。部屋の公式サイトでは、力士を目指したきっかけを、小学生の頃から体が大きかったため挑戦しようと思って相撲を始めたと紹介している。相撲のほかには水泳もしていたという。
高校は福岡県中間市の希望が丘高等学校に進み、相撲部で高校総体の団体ベスト8入りなどに貢献したと報じられている。同校は学校法人九州電機工業学園が運営する私立高校で、相撲部は2025年に世界相撲選手権大会のジュニア男子個人中量級で優勝した選手も出している。身長181センチ、体重133.1キロ。日本相撲協会の公式プロフィールに載る数字で、得意技には部屋の紹介で「突き落とし」「叩き込み」が挙がる。
本名は福田優聖。角界入りは本名の「福田」のしこ名からで、7月の名古屋場所からふるさとの町名を背負った「添田山」に改名し、下の名前は「聖一」とした。九州場所の番付にも、町の名前がそのまま刻まれる。
座右の銘は「遊嬉宴楽」、好きな食べ物はすき焼き。部屋の紹介ページには、力士としての強みに「気持ちと楽しさとモチベーション」、目標に「上にいけるところまで番付を上げる事」と書かれている。
初土俵から3場所連続の勝ち越し
2026年3月の春場所で前相撲を取って初土俵を踏み、初めて番付に名前が載ったのは5月の夏場所だった。そこから序ノ口、序二段と順に白星を積み上げ、場所ごとに番付を上げてきた。日本相撲協会の公式記録で、ここまでの歩みをまとめると次のとおりになる。
| 場所 | 番付 | しこ名 | 成績 |
|---|---|---|---|
| 2026年5月 | 東序ノ口16枚目 | 福田 | 5勝2敗 |
| 2026年7月 | 東序二段66枚目 | 添田山 | 5勝2敗 |
| 2026年9月 | 東序二段27枚目 | 添田山 | 4勝3敗 |
| 2026年11月 | 東序二段8枚目 | 添田山 | 11月8日初日 |
公式プロフィールの生涯戦歴は14勝7敗で、負け越しはまだ一度もない。それでも秋場所は10日目に4勝目を挙げて勝ち越しを決めた後に連敗し、千秋楽の黒星で4勝3敗にとどまった。添田山はこの一番を「自分の腰が高くて投げられやすかった。腰を高くしないようにしていきます」と振り返り、稽古で修正を進めている。
序二段8枚目は、すぐ上の三段目が近づく位置だ。秀ノ山部屋の番付を見ると、幕下の誠雄、三段目の菊ノ城に次ぐ3番目の地位にあたり、部屋の中でも上位の力士の一人になった。
8月には町役場で町長に活躍を報告
地元とのつながりは、初土俵の直後から続く。名古屋場所で勝ち越した後の8月14日、添田山は浴衣姿で添田町役場を訪れ、当時の寺西明男町長に初土俵後の活躍を報告した。
体の厚みが増したと指摘されると、添田山は「体重が130キロを超えました」と答えた。久しぶりの帰省には「気持ちも落ち着くし、添田町が一番だなと思います」と話している。
寺西町長は「どんどん強くなって、町をアピールしてほしい」と激励した。これに対し添田山は「まずはけがをしない体を作り、関取を目指す。負けも糧にして悪い所を改善し、勝ち星を重ねたい」と目標を口にした。関取の地位は、序二段から見ると三段目、幕下を勝ち上がった先にある。
町役場を訪ねた日から3か月足らず。町長に報告した時は序二段66枚目だった番付は、九州場所で8枚目まで上がる。
元大関琴奨菊の秀ノ山部屋、師匠も福岡の出身
所属する秀ノ山部屋は、師匠の秀ノ山親方が2024年10月19日付で佐渡ヶ嶽部屋から独立して開いた部屋だ。親方は福岡県柳川市の出身で、現役時代は琴奨菊のしこ名で大関まで上がり、幕内優勝1回、殊勲賞3回、技能賞4回を記録した。独立当初は故郷の柳川市に拠点を置き、2024年11月の九州場所で部屋として初めての本場所を迎えた。現在の部屋は東京都墨田区東向島にあり、九州場所の時期は柳川市に宿舎を置いている。
福岡出身の師匠のもとで、福岡出身の弟子が地元の本場所に臨む。添田山は親方が自ら動いて見せる指導について「分かりやすいです。自分の体の状態が分かります」と話し、稽古では立ち合いで前に突っ込む癖を指摘されているという。秋場所の千秋楽で腰が高くなった反省と合わせ、低く当たって前に出る相撲を固めることが、地元場所までの課題になる。
初めての地元場所をどう戦うか。添田山の答えは「プレッシャーを持ちながら、いつも通りという感じです。今までみんなで稽古をしてきてるから」だった。
九州場所の初日は11月8日。添田町の名を背負った19歳が、地元の観客の前で4場所連続の勝ち越しを狙う。
[文/構成 by スポーツ担当ライター 南條楓]

















































































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