赤堀元之、ハヤテベンチャーズ静岡を退団し楽天の投手コーチへ 元近鉄の守護神、最優秀救援5度

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プロ野球ファーム・リーグのハヤテベンチャーズ静岡は10月29日、赤堀元之監督(56)が2026シーズン限りで退団すると発表した。同じ日、楽天は2027シーズンのコーチングスタッフを発表し、赤堀は背番号92の投手コーチとして名を連ねた。近鉄の抑えとして最優秀救援投手に5度輝いた右腕が、3年間率いた静岡の新球団を離れ、仙台で投手陣を受け持つ。
3年間の監督生活に区切り、楽天では背番号92
退団は球団の公式サイトで発表された。運営会社はハヤテ223株式会社で、赤堀は2024年のファーム・リーグ参入時から初代監督を務めてきた。11月8日(日)に静岡市清水区の清水駅前銀座商店街で開くファン感謝デーには参加する予定だ。後任の監督は決まっていない。
楽天の発表では、投手コーチは青山浩二、久保裕也、赤堀元之、増井浩俊、辛島航の5人体制となる。赤堀、増井、辛島はいずれも新しく加わる顔ぶれ。楽天の発表は投手コーチを1軍と2軍に分けておらず、赤堀がどちらを担当するかは10月29日時点で明らかになっていない。2軍監督には渡辺直人が就き、育成部門は別に4人のコーチを置く。
同じ投手コーチに入る増井浩俊は、赤堀と同じ静岡県立静岡高等学校の出身だ。駒澤大学、東芝を経て2009年のドラフト5位で日本ハムに入り、2018年からはオリックスでプレー。抑えや中継ぎを任され、NPB通算551試合で163セーブを挙げた。NPBの通算セーブ数の歴代一覧では赤堀の139を上回る18位に名を残す。静岡高から巣立った2人の元守護神が、そろって吉井理人監督の下で投手陣を見る。吉井監督も近鉄の元投手で、1989年から1994年までは赤堀と同じチームでプレーした。
楽天は2026年、58勝84敗1分でパ・リーグ6位に終わった。6月10日に三木肇監督が休養し、6月19日からは吉井監督が指揮を執った。この秋も10月29日に6選手へ来季の契約を結ばないと通知しており、編成の入れ替えが続く。
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「一生の宝物」 ゼロから始まったチームへの言葉
赤堀は球団を通じて長いコメントを出した。チームの発足を「ゼロからのスタート」と表し、その時から声援を送り続けたファンへ礼を述べている。
「皆さまと共にこのチームの歴史を築けたことは、私にとって一生の宝物です」。ファンへの感謝に続けて記した一文だ。球団の立ち上げに関わったスタッフや関係者、スポンサーに対しても、寝る間を惜しんで環境を整えてくれたと感謝を伝え、その支えがあったから前を向いて戦い続けられたと記した。
チームと共にゼロから歴史を築き、挑戦する機会を与えてくれた球団にも礼を述べ、ここで経験した挑戦と学びはこれからの自分にとって大きな財産だと書いている。締めくくりは次の挑戦への決意だった。「この3年間で得た経験と感謝の気持ちを胸に、私自身も新たなステージへと進みます」と書き、これまでの自分に満足せず、成長した姿を見せられるよう歩み続けると結んでいる。
ハヤテは2023年に静岡市を本拠とする新球団として名乗りを上げ、2024年からファームの公式戦に加わった。参入当初は「くふうハヤテベンチャーズ静岡」の名で戦い、ネーミングライツ契約の解除を経て、2026年から現在の「ハヤテベンチャーズ静岡」に名前を変えている。名前が変わる過渡期も、指揮を執り続けたのは赤堀だった。
勝ち星は28から37へ、3年目に生まれた3人のタイトル
成績だけを見れば、3年間はいずれも最下位だった。NPBの公式記録では、次のとおりだ。
| 年 | 所属 | 成績 | 順位 |
|---|---|---|---|
| 2024 | ウエスタン・ | 120試合28勝84敗8分 | 最下位 |
| 2025 | ウエスタン・ | 123試合35勝86敗2分 | 最下位 |
| 2026 | ファーム・ | 122試合37勝81敗4分 | 5位(最下位) |
3年間の通算は365試合で100勝251敗14分。ただ、勝ち星は28、35、37と毎年増えた。2026年はファーム・リーグが2リーグ制から1リーグ3地区制に移った最初の年。ハヤテは読売、横浜DeNA、埼玉西武、中日と同じ中地区で戦った。
個人タイトルでは、1年目の2024年に増田将馬が31盗塁でウエスタン・リーグの最多盗塁者賞を受けている。3年目の2026年は、タイトルを手にした選手が3人に増えた。2026年の中地区表彰では、大石航が13セーブで最多セーブ投手賞、野口恭佑が68打点で最多打点者賞、廣沢新太郎が35盗塁で最多盗塁者賞を手にした。3人とも初めての受賞で、廣沢は3、4月度、代木大和は6月度の中地区月間MVPにも選ばれている。
かつての守護神が率いたチームから、セーブ王が出た。
近鉄で139セーブ、5度の最優秀救援投手
赤堀は1970年4月7日生まれ、静岡県藤枝市の出身。静岡県立静岡高等学校では2年生だった1987年夏に甲子園の土を踏んだ。1988年のドラフト会議で近鉄から4位指名を受け、1989年に入団している。ルーキーイヤーの1989年、近鉄はパ・リーグを制し、赤堀も9試合に登板した。
頭角を現したのはプロ4年目の1992年だった。50試合に登板して11勝4敗22セーブ、防御率1.80。130イニングを投げ、抑えでありながら最優秀防御率のタイトルを手にした。この年を皮切りに近鉄の9回を任され、次の表の5シーズンで最優秀救援投手に選ばれている。
| 年 | 登板 | 勝敗 | セーブ | 防御率 |
|---|---|---|---|---|
| 1992 | 50 | 11勝4敗 | 22 | 1.80 |
| 1993 | 46 | 6勝6敗 | 26 | 1.52 |
| 1994 | 45 | 9勝4敗 | 24 | 1.82 |
| 1996 | 44 | 9勝4敗 | 21 | 2.09 |
| 1997 | 57 | 10勝7敗 | 23 | 3.05 |
当時のパ・リーグの最優秀救援投手は、セーブ数だけで決まる今の「最多セーブ」とは基準が違う。1977年から2004年までは、救援で挙げた勝利とセーブを足した「セーブポイント」で選んでいた。1996年はロッテの成本年秀と同じ30セーブポイントで並び、2人そろっての受賞だった。赤堀は1993年に防御率1.52、1997年には57試合で100奪三振を記録している。
2001年には大阪近鉄として再びリーグ優勝を経験し、この年は9試合で1勝3敗だった。近鉄、大阪近鉄の一筋16年で現役を終えたのは、球団がオリックスとの統合で姿を消す2004年。通算成績は380試合で58勝45敗139セーブ、防御率2.88だった。NPBの通算セーブ数の歴代一覧では20位に入る。
オリックス、中日、独立リーグを渡った指導歴
引退後はすぐ指導者の道に進んだ。2005年からオリックスで投手コーチを務め、韓国プロ野球のSKでもコーチを務めたあと、再びオリックスへ戻った。2014年秋にオリックスを離れたあとは、独立リーグ・BCリーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブで監督を経験している。
NPBに戻ったのは2017年。ヤクルトで2軍投手コーチを2シーズン務め、2019年から2021年までは中日の1軍投手コーチとしてブルペンを支えた。その後、生まれ故郷の静岡で発足した新球団の初代監督に就いた。
1軍のコーチ、2軍のコーチ、独立リーグの監督、そして新球団の監督。立場を変えながら、指導の現場を離れずに20年以上を過ごしてきた。楽天では、静岡高の後輩にあたる増井と並んで、2027年の投手陣づくりを担う。
ハヤテのファンに直接あいさつできる機会は、11月8日のファン感謝デーになる。
[文/構成 by スポーツ担当ライター 高瀬翔吾]













































































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