菰田陽生、日本ハムが1位単独指名 千葉県御宿町出身、御宿中学校から山梨学院高へ

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10月22日のプロ野球ドラフト会議で、日本ハムが山梨学院高の菰田陽生を1位で単独指名し、交渉権を手に入れた。菰田は千葉県御宿町の出身で、御宿町立御宿中学校から山梨学院高へ進んだ。地元の町では、町民が指名の瞬間を見守った。この記事では、外房の町で育った二刀流が1位に届くまでの歩みに絞って伝える。
競合なしの1位、御宿町出身の17歳に交渉権
プロ野球のドラフト会議が10月22日に開かれ、北海道日本ハムファイターズは1巡目で菰田陽生(17)=山梨学院高=を指名した。ほかに1位で入札した球団はなく、抽選を経ずに交渉権が確定した。日本野球機構(NPB)が公表した日本ハムの選択選手一覧にも、1位として「菰田陽生 投手 山梨学院高」と記されている。
この日は12球団の1位指名12人がそろい、新人選手76人と育成選手51人の交渉権が決まった。その中で菰田は、1巡目の入札で1球団だけが名前を書いた選手になる。
菰田は2008年12月21日生まれ。長身195センチ、体重103キロの右投げ右打ちで、マウンドでは最速152キロの直球を投げ、打席では高校通算39本塁打を積み上げてきた。プロでも投手と打者の両方に挑む「二刀流」を目指し、目標の選手にはドジャースの大谷翔平を挙げている。
ここで決まったのは、日本ハムが入団交渉を行う権利を得たところまでだ。契約を交わして入団が正式に決まるのは、これからの交渉を経てからになる。
指名の瞬間は、甲府市内の山梨学院で迎えた。テレビカメラ約15台を含む100人以上の報道陣が集まり、野球部員や両親も駆けつけた。指名を受けた後の会見で、菰田は「まず、日本ハムファイターズに1巡目で選択して頂いてうれしい気持ちでいっぱいです。日本ハムファイターズに行きたい気持ちもあった中で呼んでいただいた中でうれしさ、感動もあります」と喜びをかみしめた。
外房の御宿町で始まった野球人生
千葉県夷隅郡御宿町は、房総半島の太平洋側、外房と呼ばれる海沿いの町だ。菰田はこの町で生まれ育ち、御宿小学校1年で野球を始めた。小学生のころは地元の御宿少年野球クラブに入り、九十九里リトルでは全国優勝も経験している。
2021年春、地元の御宿町立御宿中学校へ進んだ。同じ年から硬式野球の千葉西リトルシニアでプレーし、学校生活と硬式野球の両方を続けた。高校からは県外の山梨学院へ。中学を卒業するまでの年月を、御宿町の中で過ごしたことになる。
町を離れたあとも、つながりは途切れていない。節目ごとに町へ戻り、今夏の山梨大会のあとには少年野球クラブの後輩たちを励ましたと伝えられている。御宿の子どもたちにとって、菰田は同じグラウンドから巣立った身近な先輩だ。
1年春からベンチ入り、主将で関東王者に
2024年春、山梨学院高に入学すると、1年春からベンチ入りした。2025年春のセンバツから3季続けて甲子園に出場し、2年夏の全国高校野球選手権ではチームの4強入りに力を添えた。高校3年間で踏んだ甲子園は3度になる。
| 時期 | 主な出来事 |
|---|---|
| 2008年12月 | 千葉県御宿町で生まれる |
| 小学1年 | 御宿小学校で野球を始める(御宿少年野球クラブ、九十九里リトル) |
| 2021年春 | 御宿町立御宿中学校に入学、千葉西リトルシニアでプレー |
| 2024年春 | 山梨学院高に入学、1年春からベンチ入り |
| 2025年春 | センバツで甲子園初出場 |
| 2025年夏 | 全国高校野球選手権で4強入り |
| 2025年秋 | 主将として秋季関東大会で優勝 |
| 2026年3月 | センバツ初戦で本塁打を放つも、同じ試合で左手首付近を骨折 |
| 2026年7月 | 夏の山梨大会初戦で本塁打、大会は準決勝で敗退 |
| 2026年10月22日 | ドラフト会議で日本ハムが1位単独指名 |
2年秋からは主将を任された。新チームで迎えた秋季関東大会では、12打数7安打7打点と打線を引っ張り、チームを優勝に導いている。主将として、投手として、中軸の打者として。最上級生を前に、菰田が背負う役割は一気に増えた。
山梨学院にとって、菰田は投げても打っても計算の立つ選手だった。195センチの体から投じる速球と、高校生離れした長打力が、チームの戦い方そのものを支えていた。
左手首の骨折から106日ぶりの一発
順調に見えた最終学年。だが、春に試練が待っていた。
3月22日、2026年春のセンバツ1回戦の長崎日大戦。2番・一塁で先発した菰田は、1回表に左翼ポール際へ先制のソロ本塁打を放った。ところが5回の一塁の守備で、打者走者と交錯し、左手首を痛める。いったんはプレーに戻ったものの、6回の守備から退いた。診察の結果は「左手首付近の骨折」だった。
ドラフト1位候補と呼ばれてきた選手にとって、最終学年の春に負ったけがは重い。それでも菰田は夏の山梨大会に間に合わせた。7月6日の初戦、韮崎戦で本塁打を放ち、チームは13対0の5回コールドで勝ち上がる。センバツの一発から106日ぶりの本塁打で、視察した阪神の吉野スカウトは「あれだけ飛ばせるのはすごい」と驚いた。
7月20日の準決勝では帝京三と延長十回タイブレークにもつれ、4番・一塁で出ていた菰田がマウンドに上がった。しかし勝ち越しの適時打を許し、4対5で敗れた。試合後、菰田は「甲子園に戻りたいという気持ちが大きかった。それで負けたので、エースとしても主将としても本当にだらしない」と涙を浮かべた。
こうして山梨学院は準決勝で敗れ、最後の夏に甲子園へ戻ることはかなわなかった。全国の舞台に立てないまま高校野球は終わったが、プロの評価は変わらない。10月22日、日本ハムは1位で菰田を指名し、ほかに名前を挙げる球団は出なかった。
山梨学院の吉田正校長は、大谷の二世としてではなく「菰田一世」として育ててほしいと、日本ハムに期待を寄せた。
御宿町の公民館で見守った指名の瞬間
ドラフト当日、御宿町は御宿町公民館の大ホールでパブリックビューイングを開いた。町の告知の題は「菰田選手 指名の瞬間を見届けよう!」。町の教育委員会が主催し、会場では大型スクリーンで中継が流れた。
1位で菰田の名前が呼ばれると、会場は歓声に包まれ、小旗が振られたと報じられた。町民がスポーツ新聞をちぎって作ったちぎり絵も飾られ、「菰田陽生 頑張れ」の文字が添えられていた。少年野球クラブの後輩の小学生からは、けがなく元気に活躍してほしいと願う声が上がった。
御宿町立御宿中学校を巣立った選手が、ドラフト1位で交渉権を得た。町民が同じ画面を見つめる中で届いた、待ちに待った知らせだった。
交渉はこれから、二刀流の挑戦が始まる
今後は日本ハムと菰田の間で入団交渉が進む。日本ハムは、大谷が投手と打者の二刀流でプロの第一歩を踏み出した球団だ。大谷は2012年のドラフト1位で日本ハムに入り、2013年から5シーズンにわたって投打の両方でプレーした。その大谷を目標に掲げる17歳が、同じ球団から1位で指名を受けた。
御宿小学校で野球を始め、御宿町立御宿中学校から山梨学院高へ。外房の町から歩みを進めてきた二刀流は、交渉がまとまれば北海道でプロの道に入る。地元の公民館で見守った町民も、その一歩を待っている。
今年のドラフト候補の顔ぶれは、週刊ベースボールの増刊「2026ドラフト候補選手名鑑」にもまとめられている。
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[文/構成 by スポーツライター 高瀬翔吾]















































































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