的場寛一、阪神2軍打撃コーチ就任会見 独立L・石狩監督から古巣へ、99年ドラフト1位の経歴

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阪神タイガースは10月26日、球団OBの的場寛一氏(49)が来季のファーム(2軍)打撃コーチに就任すると発表した。的場氏は今季まで北海道フロンティアリーグ・石狩レッドフェニックスの監督を務めており、2005年の退団以来21年ぶりの古巣復帰となる。同日、兵庫県西宮市の球団事務所で開いた会見では、何度も涙をぬぐった。
「私でいいのか」何度も確かめた就任打診
会見は10月26日、西宮市内の球団事務所で行われた。同じ日には坪井智哉1軍打撃コーチ、筒井和也ファーム投手コーチも、同じ球団事務所で就任会見に臨んだ。
打診を受けたときの心境を問われると、的場氏はまず「驚きました」と率直に打ち明けた。電話口では「私でいいのか、絶対大丈夫なんですか」と何度も聞き返し、向こうで誰かが笑っていないかと疑ったほどだったという。
受諾までには相当悩んだ。「球団が批判されるんじゃないか」とまで考えたが、球団から大丈夫だと言われ、背中を押されたと明かしている。
決め手は、もう一度タテジマを着られるという思いだった。2005年は調子が良く、ベンチ入りも見えていたが、けがに見舞われた。その年、阪神はリーグ優勝を果たし、的場氏は優勝決定から間もない10月に戦力外通告を受けた。的場氏は「胴上げの姿が本当に悔しくて」と当時を語り、共に戦った仲間が喜ぶ姿を見て「この一員になりたい」と思ったと続けた。
藤川球児監督とは会見の前に言葉を交わしている。NPBでの指導経験がないこともあり、本当に自分でいいのかと率直に伝えると、指揮官からは「それがいいんです」と返ってきた。この言葉を紹介する場面で、的場氏は再び涙を拭った。
2人の縁は古い。藤川監督は1998年、的場氏は1999年のドラフト1位で、ともに故障に苦しんだ時期には2軍の鳴尾浜球場でリハビリを共にした。的場氏は2025年5月の取材で、当時を「みんな不安との戦いでしたね」と語っている。
数値を「噛み砕いて」伝える指導方針
ファームでの指導について、的場氏は控えめに語り始めた。「打撃論を偉そうに言える立場でもない」と前置きしたうえで、球団が導入している新しいシステムの数値をかみ砕き、選手に明確な課題を与える考えを示した。課題を計画的に実行し、確認して改善する。その繰り返しを大事にするという。
一方で、指導者個人のやり方に頼らず、球団の育成方針と足並みをそろえる姿勢も口にした。選手の個性は失わせず、一人ひとりに合わせた指導を目指す。
球団からは、若手育成に力を尽くしてほしいと求められたという。阪神は2025年、2026年とセ・リーグを連覇し、来季はリーグ3連覇を狙う。その戦いをどう支えるかを問われた的場氏は、ファームの選手が甲子園で大きく羽ばたき、「1本でも多くチームに貢献できる選手を育てたい」と答えた。
3人の打撃コーチ退団から始まった再編
就任の背景には、首脳陣の大幅な入れ替えがある。球団は10月23日、藤本敦士総合コーチ、小谷野栄一打撃チーフコーチ、上本博紀打撃コーチ、梵英心ファーム打撃コーチと来季の契約を結ばないと発表していた。
10月26日には配置転換も公表された。平田勝男ファーム監督が1軍ヘッドコーチに、和田豊1軍ヘッドコーチがファーム監督に、野村克則ファームバッテリーコーチが1軍作戦統括コーチに移る。和田氏は球団を通じて「一人でも多くの選手を一軍へ送り出し」と抱負を寄せた。的場氏はこの和田ファーム監督の下で若手の打撃を担当する。同じ日には、藤川監督と2027年から3年の新たな契約を結んだことも発表されている。
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99年ドラフト1位、故障に泣いたプロ6年間
的場氏は1977年6月17日生まれ、兵庫県尼崎市出身。弥富高等学校(現・愛知黎明高等学校)から九州共立大学に進み、遊撃手として活躍した。1999年のドラフト会議で阪神を逆指名し、1位で入団している。
期待は大きかった。だが、プロでは故障が続く。2000年4月11日の巨人戦で1軍デビューし、5月24日の中日戦で初安打を記録したものの、左膝の手術などで出場は伸びなかった。2003年からは外野手に転向。2005年3月9日の楽天とのオープン戦では右肩を痛め、開幕1軍を逃した。
チームは2005年9月29日に甲子園で巨人を破り、リーグ優勝を決める。自宅のテレビでその試合を見ていた的場氏は、後に「なんか違うチームを見ているような感じでした」と打ち明けた。その年の秋、10月5日に戦力外通告を受ける。1軍での通算成績は24試合、49打数7安打、打率.143だった。
トヨタで日本一、独立リーグで指導者へ
退団後の2006年からは社会人野球のトヨタ自動車でプレーした。チームは2007年の社会人野球日本選手権で初優勝し、2008年に連覇、2010年にも頂点に立つ。的場氏はこの3度の優勝に貢献し、2009年の都市対抗野球では準優勝を経験した。2011年にはワールドカップの日本代表にも選ばれている。
2012年に現役を退くと、トヨタの人事部で女子ソフトボール部の運営などを担当した。2014年に退社してからはスポーツ用品関連の会社に勤め、その後は独立して会社を経営するなど、野球の現場から離れた時期が長く続いた。
独立リーグでの指導は、2022年に開幕した北海道フロンティアリーグから始まった。日本独立リーグ野球機構(IPBL)に加盟する道内初のリーグで、石狩市青葉公園野球場で開幕戦を迎えている。リーグ初年度に石狩を率いた坪井氏から内野守備の強化を頼まれ、臨時コーチとしてチームに加わる。2人は阪神時代の先輩と後輩で、的場氏のプロ1年目のオフには、そろって手術を受けた間柄でもある。
コーチとして3年を過ごした後、2025年に監督に就任した。1年目はリーグ1位とチャンピオンシップ優勝を果たし、2026年もリーグ1位とチャンピオンシップ優勝を重ねた。独立リーグのグランドチャンピオンシップでは10月2日の準々決勝で関西地域プロ野球リーグの堺シュライクスに5-3で勝ち、北海道勢として初めての白星を挙げた。翌3日の準決勝はBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスに1-8の7回コールドで敗れ、日本一には届かなかった。
10月16日、石狩は的場氏の退団を発表した。的場氏は球団公式Xを通じ、選手と日本一を目指して戦えた日々を「かけがえのない財産」とつづっている。そのわずか10日後、21年前に去ったタテジマへの帰還が決まった。
石狩で的場氏に声をかけた坪井氏も、来季は1軍打撃コーチとして阪神に戻る。北海道で同じベンチに座った2人が、今度は1軍と2軍に分かれて虎の打者を鍛える。
[文/構成 by スポーツ担当ライター TAKU]










































































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