三塚琉生、巨人から自由契約 育成契約打診の見込み、桐生第一高等学校時代に通算31本塁打

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巨人は10月25日、三塚琉生外野手(22)ら6選手を自由契約にすると発表した。報道によると、球団は6人に育成選手契約を打診する見込みだ。三塚は桐生第一高等学校で高校通算31本塁打を放ち、2022年の育成ドラフト6位で入団。2025年6月に支配下登録を勝ち取ったが、一軍では12打数無安打のままプロ4年目を終えた。
巨人が10月25日に発表した6選手の自由契約
巨人が10月25日に自由契約を通知したと発表したのは、三塚のほか、浅野翔吾外野手、北浦竜次投手、宇都宮葵星内野手、鈴木大和外野手、知念大成外野手の計6人だった。同じ日に湯浅大内野手には来季の契約を結ばないと伝えており、支配下登録から外れた選手は合わせて7人となった。湯浅は群馬県の健大高崎高から2017年ドラフト8位で入団し、プロ9年で通算140試合に出場したが、今季は4試合で無安打に終わっていた。報道によると、これで巨人の支配下選手はドラフト指名選手を含めて64人になる。
ここで分けて読みたいのが、三つの言葉の違いだ。湯浅に告げられたのは来季の契約を結ばない、いわゆる戦力外通告だった。一方の三塚ら6人は自由契約で、球団は育成選手契約を打診するとみられている。育成契約の打診は球団の発表文に書かれた事項ではなく、複数の報道が伝えた見込みである。
支配下選手が育成選手として契約を結び直す場合、いったん自由契約になってから育成契約を交わす手順を踏む。つまり、自由契約の発表は退団の確定と同じ意味にならない。支配下選手は1球団70人までと決まっており、育成選手に切り替えれば、その枠を空けながら選手を手元に残せる。三塚が育成契約に応じて巨人に残るのか、他球団の動きがあるのかは、10月26日時点で分かっていない。
6人の顔ぶれは多彩だ。2022年ドラフト1位の浅野は、三塚と同じドラフトで指名された同期にあたる。今季は一軍で9試合に出て打率.185、1本塁打、1打点。8月に右膝内側半月板の縫合手術を受け、リハビリ中だった。北浦は白鴎大足利高から日本ハムを経て移籍した左腕で、宇都宮は松山工高から独立リーグの愛媛マンダリンパイレーツを経て入団した。知念は沖縄尚学高、沖縄電力、オイシックスを経て、鈴木は北海高、北海学園大を経て巨人のユニホームを着た。
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巨人は10月5日にも、山田龍聖投手、郡拓也捕手、岡田悠希外野手の3人と来季の契約を結ばないことを通知し、萩尾匡也外野手を自由契約にすると発表していた。9月30日と10月1日には育成選手10人と来季の契約を結ばないことも発表しており、秋の契約整理は何回かに分けて進んでいる。
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桐生第一高等学校で通算31本塁打、主将として県大会優勝
三塚は2004年5月10日生まれ。千葉県柏市の出身で、群馬県桐生市の桐生第一高等学校へ進んだ。長身182cm、左投げ左打ちの外野手だ。
高校では1年秋から中軸を任され、2年夏からは投手も兼ねた。最速144キロの左腕でもあった。主将を務めた2年秋は投打でチームを引っ張り、群馬県大会で優勝。続く関東大会でもベスト8まで勝ち進んだ。桐生第一が秋の群馬を次に制したのは2025年秋で、4年ぶりの優勝と報じられている。三塚が主将だった代の優勝から、次の頂点まで4年かかったことになる。
最終学年の春は、春季群馬県大会の準決勝で前橋育英高を相手に特大の本塁打を放った。3年夏の群馬大会は15打数7安打、打率.467、2本塁打。チームは準決勝で敗れ、甲子園には届かなかったが、苦しい場面ではマウンドにも上がった。高校最後の夏はけがの影響で評価を下げたとも伝えられたが、長打力への期待は消えなかった。積み上げた高校通算本塁打は31本に上る。
2022年10月20日のドラフト会議で、巨人は三塚を育成6位で指名した。同じ桐生第一高等学校からは北村流音投手も育成8位で指名され、同じ高校の2人が同じ球団から名前を呼ばれた。北村はプロで内野手となり、支配下登録をつかめないまま、2026年9月30日に巨人から来季の契約を結ばないと伝えられている。
桐生市は2022年10月26日、2人が11月2日に今泉壮介監督とともに桐生市役所を訪れ、市長へ指名を報告する予定を発表した。この報道発表資料には、巨人の内田強スカウトの評価として「力強いスイングからの長打力が魅力の三拍子そろった大型外野手」という言葉が載っている。守備範囲の広さと肩の強さにも触れ、将来はスラッガーになり得る素材と見ていた。
左膝の大けがから支配下登録、一軍は12打数無安打
プロの1年目は試練から始まった。2023年、三軍の試合中に左膝後十字じん帯と左膝内側半月板を損傷し、靱帯の再建手術を受ける。約1年をリハビリに費やし、実戦に戻ったのは2024年6月だった。2023年と2024年は、二軍の公式戦に一度も出ていない。
流れが変わったのは2025年だ。三軍戦で主に4番を打って結果を残すと、5月に二軍へ上がり、6月までの19試合で打率.357、4本塁打を記録した。育成選手としての背番号は031。6月に支配下選手契約を結び、背番号は96に変わった。育成3年目で2桁の番号をつかみ、そのまま一軍に合流した。
しかし、一軍の壁は高かった。2025年の一軍成績は6試合に出て12打数無安打、8三振。プロ初安打は持ち越しとなった。二軍ではシーズンを通して78試合で打率.318、9本塁打、40打点と、長打力を数字で示している。
2026年は、一軍出場がないままシーズンを終えた。二軍では74試合に出場して打率.252、6本塁打、36打点。前年と比べて打率は6分以上下がり、本塁打も3本減った。支配下選手として迎えた初めてのフルシーズンは、一軍の舞台に届かないまま終わる。
プロ4年間の成績
| 年度 | 一軍成績 | 二軍成績 |
|---|---|---|
| 2023年 | 出場なし | 出場なし(左膝のけがで治療とリハビリ) |
| 2024年 | 出場なし | 出場なし(6月に実戦復帰) |
| 2025年 | 6試合、12打数0安打、打率.000 | 78試合、打率.318、9本塁打、40打点 |
| 2026年 | 出場なし | 74試合、打率.252、6本塁打、36打点 |
二軍の数字は日本野球機構(NPB)の公式記録で、2026年はファーム・リーグ中地区の成績となる。2023年と2024年の「出場なし」は二軍公式戦の記録で、三軍の試合は含まない。
来季は5年目、育成選手から出直しへ
育成契約を結べば、三塚の背番号は再び3桁に戻る。支配下に戻るには、二軍や三軍で結果を出し、改めて支配下登録を勝ち取る必要がある。2025年には、一度それを成し遂げている。
来季はプロ5年目で、年齢も23歳になる。高校時代に31本の本塁打を重ねた打撃と、大けがから二軍で打率3割を超えた粘りを、もう一度一軍の打席でどう示すか。初安打という一つ目の目標は、まだ手つかずのまま残っている。
桐生第一高等学校の後輩たちにとっても、主将として秋の群馬を制した先輩の歩みは身近な話題だ。育成契約の正式な締結は、今後の球団発表を待つことになる。
[文/構成 by スポーツ担当ライター 高瀬翔吾]









































































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