倉本聰さんお別れの会、富良野演劇工場で 岩城滉一「先生がいなかったら」

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
9月18日に91歳で亡くなった脚本家・倉本聰さんの「お別れの会」が11月3日、北海道富良野市の富良野演劇工場で開かれた。主催は倉本財団で、式典は行わず献花だけの会とし、報道によると約3000人が参列した。『北の国から』の岩城滉一は倉本さんを「特別な人」と呼び、「先生がいなかったら」今の自分はいないと語った。
式典なし、花を手向けて別れる会に約3000人
会は午前10時から午後6時までの予定で開かれ、一般の受付は午後5時半までとされた。倉本財団は10月6日に公式サイトで開催を知らせ、事前の申し込みは要らないと案内していた。会場の駐車場は使えず、財団は市内の臨時駐車場から無料の循環バスで来場するよう呼びかけた。
開催の理由は、倉本さん本人の願いにある。財団の案内によると、倉本さんは生前、「長年活動の拠点としてきた富良野の地で、自身を支え、作品を愛してくださった皆様に最後のお別れをしていただく場を設けてほしい」と話していた。財団はこの遺志を受け、あえて式典を行わず、一人ひとりが献花して静かに別れる場にしたと説明している。
祭壇は白を基調に、約1000本の花で作られた。その上には倉本さんの写真が3枚並び、中央は2012年に撮影された1枚だった。会場では『北の国から』など倉本作品の曲がBGMとして流れた。持参した花は、新富良野プリンスホテル内の「富良野・ドラマ館」前に設けた献花台に供えられる。
会場の富良野演劇工場は、倉本さんが設計の段階から関わり、2000年に開館した劇場だ。所在地は富良野市中御料で、富良野市が建て、市民によるNPO法人が運営している。
この劇場には、亡くなる1か月余り前にも倉本さんの姿があった。8月9日、『北の国から』の放送開始45周年を記念した「北の国から スペシャルコンサート」が富良野演劇工場で開かれ、倉本さんはサプライズで登場して「黒板五郎の遺言」を朗読した。主題歌を手がけたさだまさしは、訃報が伝わった9月28日、この登場を自分たちへの「格好良すぎる遺言でした」とインスタグラムにつづっている。
会場には、倉本作品のファンも全国各地から訪れた。
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岩城滉一「特別な人」、怒鳴られた宴の思い出
『北の国から』の出演者の中で、真っ先に姿を見せたのが岩城滉一(75)だった。岩城は、田中邦衛さん演じる黒板五郎の一家と家族ぐるみで付き合う“草太兄ちゃん”こと北村草太を演じた。献花のあと報道陣の取材に応じ、倉本さんを恩師と呼んで「特別な人」と表した。
岩城は「先生がいなかったら」今の自分はここにいないとも語った。すべてが「倉本先生から授かった」もので、ギフトとしてもらったものだと思っているという。
最後に会ったのは、新型コロナの流行が始まる前。倉本さんが撮影で東京に来た際のことだった。
思い出として挙げたのは、ドラマのキャストが倉本さんの自宅に集まった酒席だ。「宴もたけなわの時に」、地井武男さんや田中邦衛さんにつつかれ、岩城が代表して、遅いのでそろそろ失礼しますと切り出すと、倉本さんから「バカヤロー!」と怒鳴られた。岩城はこの話を明かし、倉本さんを寂しがり屋の人だったと語った。
いちばん心に残る言葉は「お前はバカだな」。倉本さんは続けて、「病気は薬で治るけど」、お前のバカは癖だから治らない、と言ったという。岩城はこれを温かい言葉だと受け止め、一番覚えていると話した。
倉本さんにかける言葉を問われると、お疲れさまでした、と言うしかないと答えた。自分はずいぶん悪いことをしてきたが、先生は味方をしてくれた。だから「義理も恩も」大きく、一言では言い切れないと語った。
竹下景子は約7年ぶりの富良野、中嶋朋子はスタッフで
五郎の義理の妹にあたる“雪子おばさん”を演じた竹下景子(73)も参列した。富良野を訪れるのは約7年ぶりだという。献花の際に涙を流し、取材にはまだ信じられない思いを明かした。
竹下は倉本さんを「大きな大きな先生」と表した。いつも見守ってもらっていたと振り返る。富良野については「ここに来れば」先生の息づかいを感じられると話した。
蛍を演じた中嶋朋子(55)は、参列者としてではなく、スタッフとして会の運営に携わった。
純役の吉岡秀隆は9月の訃報の際、公式サイトに「倉本先生と出会えたこと、神様に感謝します。」の一文だけを載せている。
舘ひろし、風間俊介ら作品ゆかりの俳優も
『北の国から』以外の作品に出た俳優も富良野に足を運んだ。
1999年のNHKドラマ『玩具の神様』に主演した舘ひろしは、倉本さんの教えを学校にたとえ、自分は「出来の悪い生徒」だったと話した。それでも、とてもかわいがってもらったと感謝する。石原プロモーションで倉本さんと映画を作る話もあったが、実現しなかったという。
2019年からテレビ朝日系で放送された『やすらぎの刻~道』に出演した風間俊介は、語りの役を任された際に「そのままやってくれたらいい」と声をかけられた思い出を明かした。1970年代から倉本作品に多く出演してきた小野武彦は、俳優を諦め、別の仕事に移ることが決まっていたときに倉本さんから一本の電話を受け、51年続けてこられたと語った。
2024年公開の映画『海の沈黙』に出演した清水美砂は、天国から「よくやったね」と一言もらえるよう頑張りたいと話した。
富良野に移って半世紀、作品と人を育てた歩み
倉本さんは東京生まれ。東京大学文学部美学科を卒業後、ニッポン放送を経て脚本家として独立した。1977年に富良野へ移り住み、以後亡くなるまでこの地を拠点に書き続ける。
1981年に始まった『北の国から』は、連続ドラマのあとスペシャルドラマとして2002年の『北の国から 2002遺言』まで続き、放送は21年に及んだ。1984年には役者と脚本家を育てる私塾「富良野塾」を開き、2010年の閉塾まで26年続けた。富良野塾を前身として2006年に改称した演劇集団「富良野GROUP」でも作・演出を担い、同じ2006年には閉鎖されたゴルフ場を森に戻すNPO法人「C・C・C富良野自然塾」も始めている。
晩年もテレビ朝日系『やすらぎの郷』(2017年)、『やすらぎの刻~道』(2019年〜2020年)を書き、2024年には映画『海の沈黙』の原作・脚本を手がけた。
倉本財団の発表によると、倉本さんは9月18日夕刻、多臓器不全のため富良野市の自宅で亡くなった。葬儀は近親者で済ませている。
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テレビ朝日は、倉本さんが生前に書き上げた新作ドラマ『神様からの遺言』を来年放送する予定だと発表している。富良野に移り住んで、来年で50年。倉本さんが拠点にした劇場で、作品に出た俳優とファンがそれぞれ花を手向け、別れを告げた。
[文/構成 by Webライター 真柴 ことね]








































































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