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藤本敦士1軍総合コーチ、阪神を今季限りで退団へ 球団の慰留も本人の意思固く

藤本敦士1軍総合コーチ、阪神を今季限りで退団へ 球団の慰留も本人の意思固く

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阪神の藤本敦士1軍総合コーチ(49)が今季限りで退団する見通しになった。10月18日に分かったと、19日未明に複数のスポーツ紙が報じた。シーズンの全日程が終わった後に球団へ辞意を伝え、球団は慰留したものの、最後は本人の意思を尊重して受け入れたという。10月19日時点で、球団からの正式な発表は出ていない。

CS敗退の翌日に分かった参謀の退団

報道によると、藤本コーチはシーズン全日程の終了後に球団へ辞意を申し入れた。球団は強く引き留めたが、本人の考えは変わらず、18日までに了承されたとみられる。退団の理由について、各紙の記事は具体的に書いていない。

阪神は10月17日、クライマックスシリーズ(CS)のセ・リーグ ファイナルステージ第4戦でDeNAに敗れ、日本シリーズ進出を逃した。リーグ優勝チームに与えられる1勝のアドバンテージを持ちながら4連敗での終戦。第4戦はあと1球で勝利という場面から逆転を許している。

翌18日、藤川球児監督(46)は大阪市の阪神電鉄本社で秦雅夫オーナーにシーズン終了を報告した。球団公式サイトが掲載した会見の内容によると、同席した粟井一夫球団社長は来季について「セ・リーグの3連覇、そして日本一の座を掴み取るべく」挑戦を続けると表明している。その同じ18日に、ベンチで監督を支えてきた参謀の退団が分かった。

藤川監督の隣に立ち続けた2年間

藤本コーチは2024年オフに藤川監督が就任すると、1軍内野守備走塁コーチから1軍総合コーチへ役割を変えた。この体制はヘッドコーチを置かない組閣だったため、事実上の「ナンバー2」として1年目の監督を支えたと報じられている。2年目の2026年は和田豊ヘッドコーチが新たに加わったが、藤本コーチは2年間を通じて、内野守備を中心に作戦面も含めて野手全般を受け持った。

試合中は常に藤川監督の隣に立った。監督の考えを選手に伝えるだけでなく、ほかのコーチ陣の意見を選手と共有する橋渡し役も担っていた。藤本コーチは以前から自身の立ち位置について、「監督の考え方をまず理解することと、チームがやりたいことに対して後ろ向きにならず、前向きに背中を押せるように心がけています」と明かしている。

2年間の成果ははっきりしている。阪神は2025年、2026年とセ・リーグを制し、2リーグ分立後の球団史上で初めてのリーグ連覇を成し遂げた。各紙はそろって、藤本コーチの働きをこの連覇に欠かせなかったものとして伝えた。

小谷野打撃チーフコーチに続く退団

藤本コーチの前には、もう1人の退団が伝わっていた。小谷野栄一1軍打撃チーフコーチ(46)の退団の意向が10月17日に判明し、18日には本人が退団を明かした。1軍の野手部門を支えた中心の2人が、相次いでチームを離れる。

17日の時点で、球団首脳は他のコーチについて「本人からの辞意がない限り」動かす考えはないとして、全員を残留させる方針を示していた。藤本コーチの辞意は、その方針が報じられた直後に明らかになった。球団は後任人事の選定を本格的に進めるとみられる。

選手では19日、球団が外野手の島田海吏と豊田寛に来季の契約を結ばないと伝えたことを公式サイトで発表した。

関連記事:豊田寛と島田海吏が阪神の来季構想外に 豊田は今季1軍4打席、島田は9年目で初の無安打

選手で2度、コーチで3度のリーグ優勝

藤本コーチは1977年10月4日生まれの兵庫県出身。神戸市長田区の育英高校では主将を務め、1995年春のセンバツに出場した。阪神・淡路大震災の直後で、全体練習も練習試合もできないまま大会を迎え、1回戦を勝ち抜いた。宿舎のテレビには、母校の体育館に避難した人たちが勝利を喜ぶ姿が映っていたという。2025年1月の取材では、当時を「野球ができるというのが当たり前じゃないというのを感じさせられたのが大震災だった」と語った。

その後は亜細亜大学(中退)、甲賀総合科学専門学校、社会人のデュプロを経て、2000年のドラフト7位で阪神に入団した。右投げ左打ちの内野手で、遊撃と二塁を守った。2003年は127試合で打率3割1厘を残し、「恐怖の8番」と呼ばれ、18年ぶりのリーグ優勝に貢献。2005年も119試合に出てリーグ優勝を経験した。

2009年のオフにはFA権を行使してヤクルトへ移籍する。4シーズンをヤクルトで過ごし、2013年に現役を引退した。プロ13年間の通算成績は1001試合で619安打、打率2割5分1厘だった。

指導者としての歩みは2015年に始まる。阪神の2軍内野守備走塁コーチに就任し、矢野燿大2軍監督のもとでファーム日本一を経験した。2019年から1軍内野守備走塁コーチに上がり、2023年は岡田彰布監督のもとで三塁ベースコーチを務め、18年ぶりのリーグ優勝と38年ぶりの日本一に立ち会った。

和田豊、金本知憲、矢野燿大、岡田彰布、そして藤川球児。阪神でのコーチ生活は12年目で、5人の監督を支えたことになる。選手として2度、コーチとして2023年、2025年、2026年の3度、リーグ優勝を経験した。

連覇の難しさを知る人

藤本コーチは、連覇を逃した側の経験も持つ。2005年の優勝メンバーが残った2006年、阪神は連覇が有力とみられていた。藤本コーチは正二塁手として自己最多の138試合に出たが、打率は2割3分7厘に落ち、チームも連覇を逃した。

2024年3月、岡田監督のもとで球団初のセ・リーグ連覇を目指していた時期の取材で、藤本コーチは2006年を「自分の中で理想と現実が懸け離れていたシーズンだった」と振り返っている。周囲の期待が高まるなかで「当たり前のことを普通にするのが一番難しいと感じた年でもあった」とも明かした。

同じ取材では、連覇に必要なものとして、調子を落とした選手を周りが補う力を挙げた。「毎年みんながうまくいくのはなかなか難しい。その時に誰がカバーできるかっていうのは大切になるから」。2024年の阪神は連覇に届かなかったが、藤川監督のもとで迎えた2025年と2026年に、球団はようやくその壁を越えた。

3連覇を狙うチームに残る課題

阪神は来季、球団初のリーグ3連覇と、2023年以来の日本一を目標に掲げる。藤川監督は18日の会見で、来季の選手たちに「爆発しろ」と求めた。

その土台づくりは、首脳陣の組み直しから始まる。監督の隣で作戦と守備を担った総合コーチと、打撃部門のまとめ役が同時に抜ける。後任に誰を据えるのかは、10月19日時点で分かっていない。藤本コーチ自身の今後の進路も、現時点では伝わっていない。藤川監督の3年目に向けた体制づくりが、ドラフト会議を控えたこの秋に進む。

[文/構成 by スポーツライター TAKU]

寄稿者

TAKU
ボールを使う競技なら何でも観ます、TAKUです。学生時代はずっとバスケ部、いまは週末にフットサル。スポーツを中心に書くWebライターになって5年です。Bリーグ、バレーボール、ラグビー、テニスを中心に、野球やサッカーも書きます。試合の流れが変わった瞬間を、スコアと一緒に伝えるのが得意です。

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