杉浦斉氏の経歴。岡崎のヤマハオートセンターからレッドバロンを全国300店超のバイク販売大手に育てた経緯

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
バイク販売大手・レッドバロン(愛知県岡崎市)の創業者として知られる杉浦斉(すぎうら・ひとし)氏。同社の公式な表記では「杉浦齊」で、2023年8月1日に82歳で亡くなっている。
杉浦斉氏のプロフィール
地元・岡崎で開いた1軒のバイク店は、創業から半世紀あまりで国内300店を超えるチェーンになった。会社の沿革や公表された資料から、杉浦氏が歩んだ道のりをたどる。
杉浦氏は1941年7月12日、愛知県岡崎市に生まれた。1972年に同市でレッドバロンの前身となる会社を立ち上げ、代表取締役社長として長く会社を率いた。晩年は創業者取締役として会社に籍を置いた。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 杉浦斉(公式の表記は杉浦齊) |
| 読み方 | すぎうら・ |
| 生年月日 | 1941年7月12日 |
| 出身地 | 愛知県岡崎市 |
| 創業した会社 | レッドバロン(旧ヤマハオートセンター) |
| 死去 | 2023年8月1日、 |
1972年、岡崎で「ヤマハオートセンター」を創業
杉浦氏が会社を設立したのは1972年1月、30歳のときだ。社名は「ヤマハオートセンター株式会社」、資本金は100万円だった。店は同じ年の3月16日に開業した。
当時のバイク店は、街の小さな店が中心だったとされる。そのなかで1号店は、敷地1000坪に整備工場を備えた大型店として作られた。2号店は、岡崎から遠く離れた大阪府箕面市に、同じく大型店として開いている。
2号店を遠方に置いたのは、杉浦氏が開業当初から全国規模のロードサービスを思い描いていたためだと伝えられている。故障したバイクにどこでも駆けつけられる店の網を、最初から全国に広げるつもりだったという。
全国へ店を広げ、全店直営に
1976年には貿易部門を設けて輸入車の販売を始め、1980年には国内で初めて二輪専用の車検工場の指定を受けた。
店は1989年に100店、1995年に150店に達した。1990年代にはオーストラリアやタイ、ハンガリーなど海外にも拠点を広げている。
創業当初はフランチャイズの店もあったが、その後は直営店を増やしていった。1998年には全国の直営200店によるロードサービス体制が整い、2002年には全店の直営化を達成した。2004年には社名を現在の「株式会社レッドバロン」に改め、本社を岡崎市藤川町へ移している。2009年には直営300店に届いた。
ロードサービスと自社サーキット
杉浦氏が開業当初から描いていたロードサービスは、店の数とともに形になっていった。
- 1995年:150km無料ロードサービスを開始
- 1998年:200km無料ロードサービスに拡大
- 2002年:24時間受付を開始
- 2007年:距離無制限のツーリングサービスを開始
会社は自らを「業界で初めて、全国にお店をつくった」と紹介している。ツーリング先でトラブルが起きても駆けつけられる体制は、全国に直営店を持つ同社ならではのサービスとして知られるようになった。
2006年には、栃木県の那須モータースポーツランドで二輪専用サーキットの営業を始めた。バイクを売るだけでなく、走る場所まで用意する取り組みだった。
経歴の年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1941年 | 愛知県岡崎市に生まれる |
| 1972年 | ヤマハオートセンターを設立、 |
| 1980年 | 国内初の二輪専用の車検工場に指定 |
| 1989年 | 全国100店を達成 |
| 1995年 | 150km無料ロードサービスを開始 |
| 1998年 | 直営200店で、 |
| 2002年 | 全店の直営化を達成 |
| 2004年 | 社名をレッドバロンに変更 |
| 2006年 | 那須モータースポーツランドが営業開始 |
| 2009年 | 全国直営300店を達成 |
| 2023年 | 8月1日に死去、 |
晩年と、亡くなったあとの会社
杉浦氏は2023年8月1日、療養中に亡くなった。通夜と葬儀は本人の希望で家族だけで営まれた。
会社が訃報を公表したのは、同年11月30日だった。業界の繁忙期に迷惑をかけないようにという故人の意向で、公表を控えていたという。最後まで業界のことを気にかけていたことがうかがえる。
亡くなった翌年の2024年9月には、米投資会社のベインキャピタルがレッドバロンを買収すると発表した。同社は2026年6月末時点で、国内に306店を構えている。
関連記事:レッドバロン創業者・杉浦斉氏の遺族に約28億円の申告漏れ指摘 追徴は約16億円、遺族は「見解の相違」 生前の会社再編と株の評価が焦点に
岡崎の1軒の店から始まり、全国どこへ走っても店があるチェーンへ。杉浦氏が開業のときに描いた全国の店の網は、いまも同社の土台になっている。
※本記事は、レッドバロンの公式サイトに掲載された沿革と訃報(2023年11月30日公表)、報道などの公開情報に基づき、杉浦斉氏の経歴を振り返ったものです。
[文/構成 by ライター 凪]








































































コメントはこちら