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平尾誠二さん没後10年の命日、神戸が練習前に黙とう 山下裕史らが平尾さんを語る

平尾誠二さん没後10年の命日、神戸が練習前に黙とう 山下裕史らが平尾さんを語る

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ラグビー・リーグワン1部のコベルコ神戸スティーラーズが10月20日、神戸市内での練習前に黙とうをささげた。この日は「ミスター・ラグビー」と呼ばれたクラブOBの平尾誠二さんが53歳で亡くなってから、ちょうど10年の命日だ。ミーティングではチーム最年長のPR山下裕史らが平尾さんについて話し、その後スタッフが墓参りに向かった。

練習前のミーティングで思いを共有し黙とう

報道によると、神戸はこの日、神戸市内での練習を前にミーティングを開いた。話をしたのは、チーム最年長で平尾さんと関わりのあった元日本代表PRの山下裕史と、チームマネージャーの藤高之だった。

平尾さんと接点のない選手は年々増えている。2人はその中で、総監督やゼネラルマネジャー(GM)も務めた平尾さんへの思いを語り、平尾さんを含めてチームを築いてきた人たちへの感謝も口にした。選手とスタッフ全員で思いを共有してから黙とうし、その後にスタッフが墓参りに行ったという。

チームは12月12日に開幕するリーグワン2026-27シーズンで、連覇を狙う。8月にアンドリュー・エリス新ヘッドコーチ(HC)の下で始動し、北海道・網走と宮崎でのキャンプを経て、この日も開幕へ向けて汗を流した。

神戸は没後10年の節目となる2026年6月、2025-26シーズンのリーグワンで初優勝を飾っている。トップリーグを制した2018-19シーズン以来の日本一で、平尾さんの没後10年の年に、チームは再び頂点に立った。

チームの中には、今も平尾さんの姿がある。10月17日のタグラグビー大会に参加した本橋拓馬は、チームのロッカーに平尾さんの遺影が飾られていると明かし、「神戸の黄金期を築いたレジェンドであり、神戸にとって大切な人。これからも語り継いでいければ」と話した。

伏見工、同志社、神戸製鋼で日本一を重ねた平尾さん

平尾さんは1963年、京都市で生まれた。中学時代にラグビーを始め、京都市伏見区の伏見工業高校(現・京都工学院高校)では3年で全国高校大会を制する。テレビドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルにもなったチームだった。

同志社大学では全国大学選手権で史上初の3連覇に大きく貢献した。1986年に神戸製鋼所へ入社すると、1988年度から94年度にかけて日本選手権7連覇を成し遂げ、V1からV3までは主将としてチームを率いた。ボールをつなぐ華やかなラグビーと端正な顔立ちで、多くのファンを引きつけた。

日本代表には1982年、当時史上最年少の19歳4カ月で選ばれ、35キャップを持つ。ワールドカップ(W杯)には1987年から3大会続けて出場し、主将を務めた1991年大会ではジンバブエを破ってW杯での日本初勝利を挙げた。

指導者としての歩みも長い。1997年、34歳で日本代表監督に就き、2000年まで指揮を執って1999年のW杯を戦った。神戸製鋼コベルコスティーラーズでは総監督やGMとしてチームを強化し、2019年W杯日本大会の組織委員会でも理事などを務めていた。

その途中で病に倒れる。

平尾さんは2016年10月20日、胆管細胞がんのため53歳で亡くなった。W杯日本大会の開幕まで、3年を切った時期だった。日本代表はその2019年大会で初のベスト8に進み、神戸製鋼は2018-19シーズンにトップリーグ優勝を果たしている。

山中伸弥との友情、闘病を支えた日々

平尾さんの晩年を語るうえで欠かせないのが、京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥との友情だ。神戸大学医学部時代にラグビーに打ち込んだ山中は、同学年の平尾さんにずっと憧れていた。知り合ってからは酒を酌み交わし、ゴルフを楽しむ仲になり、やがて家族ぐるみの付き合いへと深まっていく。

平尾さんに病気が見つかると、山中はできる限りの最新医療を紹介し、闘病に寄り添った。その事実は生前、ほとんど知られていなかった。2017年2月10日、神戸ポートピアホテルで開かれた「感謝の集い」には関係者約800人が参列し、山中は「ずっと憧れていた。本当のヒーローだった」と語った。世界でも前例のない治療を提案したとき、平尾さんは不安がるどころか顔を明るくして「世界初のことやるんや」と言ったという。

2人の出会いから別れまでは、山中と平尾さん、妻の惠子による共著『友情 平尾誠二と山中伸弥「最後の約束」』(講談社文庫、2021年1月15日刊、定価825円)にまとめられている。2017年10月に『友情 平尾誠二と山中伸弥「最後の一年」』の書名で出た単行本を、文庫化にあわせて改題した一冊だ。

神戸と京都で続く、平尾さんを語り継ぐ動き

没後10年を前に、平尾さんをしのぶ催しや出版が相次いだ。

10月17日には、平尾さんが初代理事長を務めたNPO法人「スポーツ・コミュニティ・アンド・インテリジェンス機構」(SCIX)が、神戸市東灘区のKOBELCOスポーツパークでタグラグビー大会「平尾誠二杯」を開いた。小学生から80歳まで約180人が28チームに分かれて楕円球を追い、平尾さんの長男・昂大は「10年たった今でもこうやって大きな会をやっていただいて、父のことを覚えてもらっているのは本当にうれしい限りです」と感謝した。

関連記事:平尾誠二さん没後10年を前に神戸で「タグラグビー平尾誠二杯」 28チーム約180人が参加

10月8日には、京都市在住のラグビージャーナリスト・村上晃一による『評伝 平尾誠二』が講談社から出た。村上は同郷の京都出身で、平尾さんに憧れてきた一人だ。執筆にあたって新たに41人を取材し、伏見工時代の平尾さんが海外の映像や雑誌を取り寄せて研究したことや、雨の試合を想定して水でぬらしたボールでパス練習をしたことなど、高校時代の日々も描いた。村上は「競技の枠を超えた、平尾さんの普遍的な魅力を今の人たちにも知ってもらいたい」と話している。10月25日には、この評伝の出版を記念したイベント「平尾誠二を語る夜」が神戸市中央区のメゾン・ド・エルミタージュで開かれる予定だ。

命日の10月20日には、平尾さんにスカウトされて神戸製鋼に入った元日本代表の谷口到が、ラグビー専門サイトのコラムで思い出を明かした。筑波大学でくすぶっていたころ、知らない番号から電話がかかってきて、出ると平尾さんだったという。亡くなる2カ月ほど前の夏、最後の電話で平尾さんは「頑張りや。いたるなら大丈夫や」と声をかけた。

同志社大学で同期だった日本ラグビー協会の土田雅人会長も、命日にあわせて「盟友、親友」だった平尾さんについて語った。

没後10年、平尾さんを知らない世代へ

10年がたち、神戸のロッカールームには平尾さんのプレーを直接見たことのない選手が増えた。2026年7月に日本代表デビューを飾った上ノ坊駿介も、その一人だ。現役時代の映像を見て「足が速くてキレキレでした」と印象を語り、「自分も平尾さんのように記憶に残り、憧れられる選手になりたい」と語った。

平尾さんが口にした「おもろいラグビー」という言葉は、今も神戸の選手の目標として生きている。上ノ坊は2026-27シーズンへ向けて「まずはコベルコでの2連覇が目標。“おもろいラグビー”を体現したい」と意気込んだ。

山下のように平尾さんを知る選手が思い出を伝え、知らない若手が映像や遺影から平尾さんに触れる。命日の黙とうは、その橋渡しの場になった。連覇をかけた新シーズンへ、神戸は平尾さんへの感謝を胸に走りだす。

[文/構成 by スポーツライター TAKU]

寄稿者

TAKU
ボールを使う競技なら何でも観ます、TAKUです。学生時代はずっとバスケ部、いまは週末にフットサル。スポーツを中心に書くWebライターになって5年です。Bリーグ、バレーボール、ラグビー、テニスを中心に、野球やサッカーも書きます。試合の流れが変わった瞬間を、スコアと一緒に伝えるのが得意です。

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