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「美女と野獣」「ホール・ニュー・ワールド」歌手ピーボ・ブライソン75歳死去──2年連続グラミー賞の”奇跡の声”とその経歴を辿る

「美女と野獣」「ホール・ニュー・ワールド」歌手ピーボ・ブライソン75歳死去──2年連続グラミー賞の”奇跡の声”とその経歴を辿る

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ディズニー映画「美女と野獣」「アラジン」の主題歌でグラミー賞を2年連続受賞したR&B歌手、ピーボ・ブライソンが2026年6月2日(現地時間)、脳卒中の合併症で亡くなった。享年75。50年以上にわたりソウルバラードの第一人者として活躍し、スタジオアルバム計20枚を世に送り出した。

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6月2日午後5時、ジョージア州の病院で家族に見守られながら

ピーボ・ブライソン(本名:ロバート・ピーポ・ブライソン)が2026年6月2日午後5時(米東部時間)、ジョージア州マリエッタの病院で、家族と最も近しい人々に囲まれながら息を引き取った。享年75。脳卒中を発症したのは5月31日のことで、入院からわずか2日後のことだった。

家族は声明でこう発表した。

「深い悲しみとともに、グラミー賞を2度受賞した歌手・作詞家・バラードの歌い手ピーボ・ブライソンの旅立ちをお知らせします。2026年6月2日火曜日の夕刻、家族と最も近しい人々の愛に包まれながら、穏やかに旅立ちました」

遺族はプライバシーへの配慮も求めている。「最愛の夫、父、家族、友人、そしてステージをはるかに超えた影響を持った芸術家の喪失を悼む中で、家族はプライバシーへの配慮をお願いします」と声明は続いた。

“ピーポ”と呼ばれた少年が、サウスカロライナから世界へ

1951年4月13日、サウスカロライナ州グリーンビルに生まれた。 本名の”ピーポ(Peapo)”は発音しにくいとして、プロの世界では”ピーボ(Peabo)”と名乗り続ける。そのわずかな違いが、長いキャリアの起点となった。

音楽の原点は母マリーにある。2022年のフィラデルフィア・トリビューンのインタビューで、ブライソンはこう語った。

「母は音楽への情熱的な愛を持っていて、いつも私を有名な音楽家の演奏に連れて行ってくれた。5歳か6歳の頃には彼らの曲をほとんど歌えて、信じられないとばかりに周りの大人を驚かせていた」

14歳で地元バンド「アル・フリーマン・アンド・ザ・アップセッターズ」のバックボーカルとなり、プロとしての第一歩を踏み出す。1968年には南部の黒人音楽の巡業ルート”チットリン・サーキット”のツアーに参加した。 そのステージで磨いた歌声が、ひとりのプロデューサーの耳に届く。アトランタのバレット/バング・レコードのエディ・ビスコーがスタジオで偶然その声を聞き、即座に契約が決まった。1976年、自身の名を冠したデビューアルバム「ピーボ」でメジャーデビューを果たした。

3枚連続ゴールド、ロバータ・フラックとの共演──そしてディズニーへ

1977年にキャピトル・レコードへ移籍すると、「リーチング・フォー・ザ・スカイ」がゴールド認定を受ける。続く「クロスウィンズ」、ナタリー・コールとのデュエット盤「ウィー・アー・ザ・ベスト・オブ・フレンズ」も同様で、1978〜79年に3枚連続ゴールドという記録を打ち立てた。

1983年にはロバータ・フラックとのコラボアルバム「ボーン・トゥ・ラブ」を発表。収録曲「今夜、愛を祝おう(Tonight, I Celebrate My Love)」はR&Bトップ5、ポップチャートでも上位20位に食い込み、テレビドラマ「デイズ・オブ・アワ・ライブズ」のカップルの愛のテーマとして定着した。

転機は1991年だった。ディズニー映画「美女と野獣」の主題歌を、当時23歳のセリーヌ・ディオンと共演し、ビルボード・ホット100でトップ10に食い込む。翌1992年には「ホール・ニュー・ワールド(A Whole New World)」をレジーナ・ベルと録音し、同チャートで1位を獲得した。

1993年、グラミー賞の”デュオ/グループによる最優秀ポップ・パフォーマンス賞”を「美女と野獣」で受賞。翌1994年にも同賞を「ホール・ニュー・ワールド」で連続制覇した。ディズニーアニメの2作品が2年連続でグラミーを制するという記録を、ブライソンひとりが体現した形となる。通算8回のノミネートに対し、2回の受賞はいずれもディズニー・デュエットだった。

同時期、ケニーGの1993年作「ブレスレス」に参加した「バイ・ザ・タイム・ジス・ナイト・イズ・オーバー」もアダルト・コンテンポラリー・チャートを制し、ブライソンのキャリアを通じてこのチャートでの1位曲は計3曲にのぼる。なお「ブレスレス」は米国内だけで1200万枚を超えた大ヒット作だ。

グラミー像が競売に──栄光に刻まれた苦い記録と復活

栄光の裏側に、苦い記憶も残る。2003年、米内国歳入庁(IRS)が120万ドルの税金未払いを理由に自宅財産を差し押さえ、グラミー像も競売にかけられた。その一つはのちに友人が落札し、ブライソンのもとへ戻ってきた。

2019年4月29日には心臓発作で入院したが、完全に回復。 同年、ブロードウェイ版「アラジン」の千秋楽にレジーナ・ベルとともに登場し、「ホール・ニュー・ワールド」を再び披露した。その場でブライソンはGMA(グッド・モーニング・アメリカ)のインタビューにこう答えている。

「この曲は誰もが持ってきたすべての希望と約束、そして人生のあらゆる側面を表している」

2026年4月13日には75歳の誕生日を家族とともに祝い、インスタグラムに家族写真を投稿した。「これが75歳!! すべての祝福の言葉に感謝を」とつづった。その2カ月足らず後のことだった。

「声と寛大な精神が、多くの命に触れた」──遺族の言葉と残されたもの

家族は声明でこう伝えた。

「世界中のファン、友人、同僚からの愛と祈りと支援の言葉に深く心を動かされている。心は砕けそうだが、ピーボがどれほど愛されていたか、その声と寛大な精神が多くの命に触れたかを知る中に、慰めを見つけている。遺産と音楽は、これから幾世代にもわたって生き続けるだろう」

妻のタニャ・ボニフェイス(2010年結婚)と、2018年に誕生した息子ロバート、そして1968年生まれの娘リンダが残された。 70歳を超えて再び父となり、家族と最後の時を過ごした。

2016年9月4日、故郷に近いサウスカロライナ州チャールストン市と北チャールストン市は「ピーボ・ブライソン・デー」と宣言している。 R&Bチャートトップ10曲が通算9曲、スタジオアルバム計20枚、グラミーノミネート8回。半世紀以上にわたり愛のバラードを歌い続けた声に、追悼の言葉が相次いでいる。

[文/構成 by さとう つづり]

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