内藤寛太郎、ANAオープンでツアー初優勝 大会記録の通算25アンダーと福島県出身者初の快挙を整理

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
内藤寛太郎(44)=ロピア=が9月20日、北海道の札幌ゴルフ倶楽部輪厚コースで行われたANAオープンゴルフトーナメント最終日を8バーディー、2ボギーの66で回り、通算25アンダーでツアー初優勝。2位の佐藤大平に5打差をつけた。25アンダーは大会記録で、福島県出身選手の国内男子ツアー優勝も初めてとなる。
最終日66で振り切った内藤、2位に5打差
第52回ANAオープンゴルフトーナメントは9月17日から20日まで、北海道北広島市の札幌ゴルフ倶楽部輪厚コース(パー72、7066ヤード)で行われた。賞金総額は1億円、優勝賞金は2000万円で、出場は120人。国内男子ツアーが北海道で開く秋の一戦だ。
内藤は初日を67で滑り出し、2日目に9アンダーの63をマークして首位争いの中心に立つ。3日目も67でまとめ、2位に3打差をつけて単独首位で最終日を迎えた。
最終日は追う側に主導権を渡さなかった。8つのバーディーに対してボギーは2つだけ。6アンダーの66で回り、4日間の合計を263、通算25アンダーまで伸ばした。2位の佐藤大平は最終日68で通算20アンダー。5打の差が最後まで縮まることはなかった。
上位5人の成績は次のとおり。
| 順位 | 選手 | 通算スコア | 最終日 |
|---|---|---|---|
| 優勝 | 内藤寛太郎 | 25アンダー(263) | 66 |
| 2位 | 佐藤大平 | 20アンダー(268) | 68 |
| 3位 | 大岩龍一 | 19アンダー(269) | 67 |
| 3位 | 香妻陣一朗 | 19アンダー(269) | 68 |
| 5位 | ソン・ヨンハン | 17アンダー(271) | 67 |
内藤の4日間は67、63、67、66。2位の佐藤は66、68、66、68と4日とも60台でまとめ、3位タイの大岩龍一は69から66、67、67、香妻陣一朗は69、66、66、68と追い上げたものの、初日から先行した内藤との差は詰まらなかった。上位陣が誰も崩れないまま、それでも5打が開いた4日間だった。
6位タイには16アンダーで浅地洋佑、岩崎亜久竜、清水大成の3人が並んだ。浅地はこの日のベストスコアとなる10アンダー62で回り、順位を大きく上げている。片岡尚之は大会を途中で棄権した。
関連記事:内藤寛太郎、ツアー初勝利に王手 ANAオープンゴルフトーナメント3日目に67で首位
尾崎将司さんと岩崎亜久竜を超えた25アンダー
通算25アンダーは、この大会の最少ストローク記録を塗り替える数字だった。
それまでの記録は20アンダー。1994年に大会最多7勝の尾崎将司さんがマークし、2024年に岩崎亜久竜が並んでいた。32年間動かなかった数字を、内藤が5打も更新する。ちなみに、その記録保持者の一人である岩崎は、今大会を16アンダーの6位タイで終えている。
輪厚コースは白樺や柏が並ぶ林間コースで、フェアウェイを外すと木がグリーンを狙う邪魔をする。距離も7000ヤードを超える。4日間を無傷で回ったわけではない。内藤は初日から最終日まで一度も70台を打たず、60台を4日並べて記録に届いた。
44歳での初優勝という点でも数字が残った。44歳123日での初優勝は、ツアー史上5番目、日本人では4番目の年長記録になる。
3日目の朝に襲ったぎっくり腰
首位を走っていた3日目の朝、内藤の腰に異変が起きた。軽いぎっくり腰だった。
同じ組で回る勝俣陵のトレーナーが急いで治療にあたり、テーピングと鎮痛剤でしのぐ。痛みは3日目も最終日も朝から消えなかった。
「なんで今?という気持ちでした」
内藤はそう振り返っている。スイングは思い切り振りたいところで振れず、腰をかばったミスも出た。それでも戦い方を組み替える。
「ショットに関しては振りたいところで振れないし、庇ってミスしたのもあった。でも、その分アプローチとパターに集中してプレーすればいいと切り替えていました」
飛ばせないなら、グリーン周りとパットで拾う。2日間で11アンダーを積み上げた終盤の内容は、その割り切りから生まれた。
郡山のゴルフショップから札幌の18番まで
内藤は1982年5月20日、福島県郡山市に生まれた。ゴルフを始めたのは14歳。東北福祉大に進んだものの、強豪ぞろいのチームでレギュラーをつかんだのは1度だけだった。
卒業後は研修生になったが10カ月で辞め、郡山のゴルフショップで働きながら練習を重ねて2006年にプロテストに合格する。翌2007年の日本プロでプロデビューを飾り、2008年にはチャレンジツアー初出場となった静ヒルズトミーカップでいきなり勝った。だが、レギュラーツアーの勝利だけが遠い。39歳でようやく初めて賞金シードに入り、その資格も1年で手放す。
2026年9月20日、札幌の18番グリーンで、その長い歳月に区切りがついた。
「本当に長かった。ゴルフ人生の中で、こうして優勝できてうれしい」
優勝会見で内藤は男泣きした。「諦めないでゴルフを続けてきて良かった」。首位を守る最終日も「焦りはなかった」と言い切る一方で、それまでの日々については言葉を選ばなかった。
「ずっとつらかった。このままやっていけるのかと思うこともあった」
そして、支えてくれた人たちへ目を向ける。
「優勝しないまま終わりたくないという気持ちがあった。たくさんの人に支えられてゴルフをさせてもらっている。恩返しできたかな」
内藤は2023年から毎年8月、郡山市でジュニア向けのゴルフイベントを主宰している。他のプロやトレーナーを招き、ショットだけでなくアプローチ、パッティング、コースマネジメントまで教える催しだ。子どもたちに競技への関心を持ってもらうのが狙いだった。
主宰者としての責任感が、引退を考える踏ん切りを止めていた。
「僕が試合に出られなくなったら…と、ずっと思ってきた。示しがつかないですから」
優勝副賞はANA国際線ファーストクラスのペア航空券。内藤は両親にプレゼントしたいと話している。
福島県勢初の勝利と、12月の日本シリーズ
この優勝には、もう一つの「初」がついた。福島県出身選手による国内男子ツアーの優勝は、内藤が初めてになる。
東日本大震災と原発事故を経験した県の出身者として、郡山でのジュニアイベントを続けてきた選手が、県勢の最初の一勝を持ち帰った形だ。
競技面の実利も大きい。優勝賞金2000万円に加え、12月3日から6日まで東京よみうりカントリークラブで行われるゴルフ日本シリーズJTカップの出場権を手にした。同大会への出場は2020年以来6年ぶり2度目となる。
例年この時期、内藤は翌シーズンの出場権を懸けたクオリファイングトーナメント(QT)に向かっていた。今季はその必要がない。シーズン終盤の過ごし方が、勝利によってまるごと入れ替わる。
44歳のシーズンで最初の勝利をつかんだ選手が、残りの試合とオフをどう使うのか。郡山のジュニアたちが見ている。
関連記事:佐久間朱莉、東海クラシックをプレーオフで制して今季3勝目 神谷そらとの延長戦とツアー通算7勝目を整理
[文/構成 by スポーツライター 久遠(KUON)]










































































コメントはこちら