山田五郎さん死去、67歳 「もう死ぬよ」最後のYouTubeから5日…原発不明がんと闘いながら最期まで仕事を続けた足跡

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編集者・評論家の山田五郎さんが7月14日、67歳で亡くなった。美術や時計、身近な文化を軽妙に語ってきた名解説者。原発不明がんと向き合いながら、テレビやYouTubeで発信を最期まで続けた人だ。訃報が公になったのは、亡くなってから8日後の22日だった。
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7月14日に67歳で死去、訃報は8日後に公表
編集者で評論家の山田五郎さんが、7月14日の夜に亡くなった。67歳。所属事務所が22日、山田さんの公式YouTubeチャンネル「山田五郎 オトナの教養講座」の動画で明らかにした。
死因は、2024年10月に本人が公表していたステージ4Bの原発不明がんだ。葬儀は19日に、親族や友人、関係者に見送られて営まれた。マネジャーは、山田さんが生前「まだまだ仕事がしたい」と話していたと伝えている。
訃報が世に出たのは、亡くなってから8日後になる。7月17日に公開された動画では、鼻に医療用のチューブをつけた姿で近況を語っており、それが視聴者の前に届いた最後の姿となった。
講談社の編集者からフリーへ 美術を語り続けた歩み
山田さんは1958年、東京で生まれた。本名は武田正彦。上智大学に在学中、オーストリアのザルツブルク大学へ1年間留学し、西洋美術史を学んでいる。この経験が、後の評論活動の土台になる。
大学を出て1982年に講談社へ入る。若者向け情報誌「Hot-Dog PRESS」の編集に携わり、ファッションやカルチャーの誌面を作り、やがて編集長を任された。難しいことを面白く、わかりやすく届ける感覚は、この誌面づくりで磨かれていく。
その後フリーになり、肩書きは編集者から評論家へと移る。西洋美術を軸に、時計、B級グルメ、街の成り立ちまで、山田さんの守備範囲は広かった。専門家の言葉を、ふつうの人の言葉へ翻訳する。それが山田さんの得意とするところだった。
「タモリ倶楽部」からYouTube「オトナの教養講座」まで
茶の間で山田さんの顔が知られたのは、テレビの力が大きい。「タモリ倶楽部」や「出没!アド街ック天国」に長く出演し、蘊蓄を軽やかに披露する姿が親しまれた。堅い話でも、山田さんが語るとどこか可笑しい。その独特の間合いがファンを増やしていく。
活動の場は、晩年にネットへも広がった。YouTube「山田五郎 オトナの教養講座」では、名画や画家の人生を雑談のように解きほぐす。登録者はおよそ79万人。美術を「わかる人だけのもの」にしない語り口が、若い視聴者にも届いた。
2025年には、第17回伊丹十三賞に選ばれる。授賞理由は、この教養講座の斬新さと面白さだった。がんと闘う最中の受賞に、山田さんは「大病と闘う中でのこの受賞は、最高の励まし」と喜びを語っている。
闘病を公表しても止まらなかった発信、広がる追悼
がんの公表後も、山田さんは表舞台から降りなかった。抗がん剤治療を続け、「がんと共に生きる」と語りながら、仕事を手放さない。2026年3月には一時、昏睡状態に陥る。それでも山田さんは戻ってきて、車いすや酸素チューブとともにカメラの前に座った。
大病は、これが初めてではない。2011年には食道がんの手術も経験している。二度の大きな病と向き合いながら、伝える仕事を選び続けた。
7月17日に公開された動画では、食事が難しくなった体で「もう死ぬよ」と漏らす場面もあった。それでも口調は、いつもの山田さんのままだ。生前に収録された18日放送の「出没!アド街ック天国」にも、いつもの解説が残っている。訃報を受け、現代美術家の村上隆さんがXで哀悼の意を示すなど、美術やテレビの世界から別れを惜しむ声が広がる。
残した言葉と、これからも見られる教養講座
山田さんが残したのは、美術を怖がらなくていいという感覚かもしれない。名画の前で身構えていた人に、まずは面白がればいいと教えてくれた。その姿勢は、動画やテレビの中に今も残る。
編集者として言葉を磨き、評論家として教養を広く開いた67年の生涯。最後まで、伝えることをやめなかった。「オトナの教養講座」のアーカイブは、これからも新しい視聴者に開かれている。画面の向こうで、あの軽やかな語りにまた出会える。
[文/構成 by 小川 そら]




























































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