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白川英樹さん死去、90歳 「電気を通すプラスチック」でノーベル化学賞、導電性高分子の道を開いた化学者

白川英樹さん死去、90歳 「電気を通すプラスチック」でノーベル化学賞、導電性高分子の道を開いた化学者

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導電性高分子の発見でノーベル化学賞を受けた化学者・白川英樹さんが、8月24日に90歳で亡くなった。がんのため横浜市内の病院に入院していた。訃報は9月3日、家族が明らかにした。葬儀はすでに家族のみで済ませており、お別れの会などの予定はないという。

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筑波大名誉教授・白川英樹さん死去 享年90歳

筑波大学名誉教授で、東京科学大学栄誉教授の白川英樹さんが8月24日、横浜市内の病院でがんのため亡くなった。90歳だった。訃報は9月3日、家族が取材に明らかにした。

白川さんは2000年、「導電性高分子の発見と発展」によりアメリカの化学者アラン・マクダイアミッドさんと物理学者アラン・ヒーガーさんとともにノーベル化学賞を受けた。旧帝国大学以外の出身者として日本人で初めてノーベル賞を受けた例として、科学の世界で記憶されている。

家族によると、葬儀はすでに家族のみで行っており、お別れの会などの催しは予定していないとのことだ。

高山で育ち、東工大で化学者の道を歩み始めた

1936年8月20日、東京府淀橋区(現・東京都新宿区)に生まれた。父は陸軍軍医で、5人兄弟の3番目だった。幼少期は父の職務に伴い台湾や満州など各地で暮らし、1944年に岐阜県高山市へ引き揚げた。

山々に囲まれた高山の自然の中で育った白川さんは、昆虫採集を好む少年だった。高山市立南小学校と高山市立第二中学校を経て岐阜県立高山高等学校を卒業し、1957年に東京工業大学化学工学科へ進んだ。大学では山岳部にも入り、化学と自然の両方に関心を向けた学生生活を送った。

1961年に学部を卒業した後も大学院に進み、1966年に工学博士号を取得した。東工大の助手に就いてから取り組んだテーマは、ポリアセチレンという炭化水素の重合体の合成と物性解析だ。当時のプラスチックや高分子材料は電気を通さない絶縁体が常識とされており、白川さんの研究はその前提に正面から向き合う試みだった。

1000倍の失敗が、銀色に輝くフィルムを生んだ

転機は1967年のことだった。研究室を訪れていた外国人の留学生がポリアセチレンの合成実験で触媒を誤って加えた量は、規定の約1000倍だった。容器の中から現れたのは、それまで見たことのない銀色に輝く薄膜だった。

通常は黒い粉末としてしか得られなかったポリアセチレンが、均一なフィルム状に結晶化していた。白川さんはこの予期せぬ産物を科学的に観察し、赤外分光とラマン分光で構造と物性の解析を重ねた。フィルムの導電率を測ると、通常のポリアセチレンとは異なる値が出た。高分子が電気を通す可能性を、この銀色のフィルムは静かに示していた。

ただ、その研究がすぐに注目を集めたわけではなかった。「電気を通すプラスチック」という考えは当時の化学界では非常識とみなされており、発見の意義が広く認識されるまでにはさらに数年かかった。

ペンシルバニアで、電球を灯した夜

1975年、東京工業大学を訪れたアメリカの化学者アラン・マクダイアミッドが、白川さんの銀色に輝くポリアセチレンのフィルムを見て共同研究を提案した。翌1976年、白川さんは博士研究員としてペンシルバニア大学に渡り、マクダイアミッドと物理学者アラン・ヒーガーを加えた3人での共同研究が始まった。

同年11月23日、ポリアセチレンのフィルムにハロゲン化合物を加えるドープ処理の実験で、電気抵抗が1,000万分の1以下に激減するという結果が出た。絶縁体が金属に近い導電性を持つ状態へと変わる「絶縁体-金属転移」を、高分子材料で初めて確かめた瞬間だった。

翌1977年、ニューヨークでの国際会議で3人は公開実験を行い、ポリアセチレンのフィルムで電球を点灯させた。プラスチックに電気が流れる光景は、会場を埋めた化学者と物理学者たちに強い印象を残した。化学と物理の二つの分野をつなぐこの成果が、後にノーベル賞へとつながる業績の核となった。

電気を通すプラスチックが、現代の暮らしを変えた

1979年、白川さんは筑波大学の助教授に着任した。1982年に教授に昇進し、産学連携の研究も進めながら、2000年3月の定年退官まで約21年間、研究と教育を続けた。

退官から半年後の2000年10月、ノーベル化学賞の受賞が決まった。旧帝国大学以外を出た研究者として日本人で初めて受賞したことは、研究環境の規模や機関の知名度とは切り離して、地道な基礎研究が世界に届くことを示した。同年、文化勲章と文化功労者の称号も受けた。翌2001年には日本学士院会員に選ばれ、総合科学技術会議の議員として科学技術政策にも2003年まで携わった。

白川さんらの研究を出発点とする導電性高分子は、その後、有機ELディスプレイ、リチウムイオン電池の電極材料、有機薄膜太陽電池など、現代の電子機器を支える素材へと発展した。スマートフォンやテレビ画面の鮮明な映像の背後にも、この発見の系譜がある。

晩年は高校生向けの科学体験教室を開き、テキスト作成にも自ら取り組んだ。著書に「化学に魅せられて」がある。2026年には東京科学大学(旧・東京工業大学)から栄誉教授に選ばれ、母校との縁を最後まで持ち続けた。触媒の1000倍という失敗から始まった研究が、世界の電子産業の基盤になった。90年の生涯だった。

[文/構成 by ライター 小川 そら]

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