MEDIA DOGS

河野洋平氏89歳で死去──新自由クラブ結成、河野談話、息子からの肝移植…激動の半生

河野洋平氏89歳で死去──新自由クラブ結成、河野談話、息子からの肝移植…激動の半生

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン

自民党総裁や外務大臣、衆議院議長を歴任した河野洋平氏が2026年6月8日に死去した。89歳だった。1976年の新自由クラブ結成、1993年の「河野談話」発表、2002年の長男・河野太郎氏からの生体肝移植と、その半生には転機が絶えなかった。

↓ 詳細が気になる方は、このまま下へ ↓

6月8日に死去、89歳──14期42年の議員生活

河野洋平・元衆議院議長が6月8日に亡くなった。89歳だった。関係者への取材で10日夕方に明らかになり、各局が速報で伝えた。

河野氏は1937年1月15日、神奈川県平塚市に生まれた。父は農林大臣や建設大臣を務めた衆議院議員の河野一郎、叔父は参議院議長の河野謙三。政治家一族の家系だ。早稲田大学政治経済学部に進み、在学中は競走部に所属する。箱根駅伝ではマネジャーとして監督車に乗り込み、小田原付近のコースを併走した。

1959年に大学を卒業すると、丸紅飯田(現・丸紅)に入社。だが1965年、父・一郎が67歳で急死する。河野氏は父の地盤を継ぎ、1967年の衆院選に自民党公認で初出馬し、トップ当選を果たした。以降、14期連続当選。42年あまりにわたる議員生活が始まる。

「政治倫理の確立」を掲げ自民党を飛び出す

1976年、ロッキード事件が政界を揺るがす。当時39歳の河野氏は、自民党の金権体質を真っ向から批判して離党した。西岡武夫、田川誠一ら6人の国会議員で「新自由クラブ」を旗揚げし、初代代表に就く。「政治倫理の確立」を訴えた新党は、清潔な政治を求める世論をつかみ、結党直後の衆院選で17議席を得る。

だが勢いは長く続かなかった。結党から10年、党勢は縮小の一途をたどる。1986年、衆参同日選挙の直後に新自由クラブは解党し、河野氏は自民党に復党した。長男の河野太郎氏は後年、公式サイトのメルマガで父の政治人生をこう振り返っている。「ヤングパワーといわれ、新自由クラブを創り、十年間自民党と戦い、復党して官房長官や、野党の総裁、副総理・外務大臣を歴任した」

総裁になっても首相にはなれなかった

復党後の河野氏は宮澤改造内閣で内閣官房長官に就任する。1993年8月4日、官房長官として従軍慰安婦問題に関する政府調査の結果を発表した。「心身にわたり癒やしがたい傷を負われたすべての方々に対し心からおわびと反省の気持ちを申し上げる」──外務省の公式サイトにいまも全文が掲載されている、いわゆる「河野談話」だ。

同じ1993年7月、自民党が衆院選で大敗して野党に転落すると、河野氏は第16代自民党総裁に選ばれた。自民党史上、総裁に就任しながら首相を経験できなかったのは河野氏と谷垣禎一氏の2人だけ。異例中の異例だった。

翌1994年、自社さ連立の村山内閣が発足すると、河野氏は副総理兼外務大臣として入閣。その後も小渕内閣、森内閣で外務大臣を務めた。2003年11月には衆議院議長に就任し、2009年7月の退任まで2,029日間在任。当時の歴代最長記録だった。衆議院の公式ページはこの在任期間を明記している。

息子がドナーに──2002年の生体肝移植

河野氏の人生には政治以外の大きな転機がある。

C型肝炎から肝硬変が進行し、2002年に入ると体調が急速に悪化した。長男・河野太郎氏は当時の状況を公式サイトのメルマガで率直に記している。「ベッドの上で、黒く、小さく、まるで干からびてしまっているようでした。このままだと、間違いなく死んでしまうだろう、という状況でした」

2002年4月16日、信州大学病院で生体肝移植の手術が行われた。ドナーは河野太郎氏。太郎氏は自身の肝臓の3分の1を父に提供した。

太郎氏はメルマガに「長男としては、弟や妹にドナーになれというわけにはいきませんから、そこはたんたんと、自分がやろうと思いました」と書いた。術後、太郎氏はICUで痛みと吐き気に2晩のたうち回ったと明かしている。「あまりの痛さに、神様、やっぱりやめます、目が覚めたらこれは無かったことにしてください、と頼んだほどでした」

河野洋平氏は6月に退院する。手術から24年。息子の臓器で延びた命を生きた。

だが太郎氏はメルマガの最後をこう締めている。「親父が政治家だったために早死にしたおふくろは、天国で、親父が来るのを楽しみにずっと待っていたと思います。そのおふくろに、まだ、親父はそっちに当分行かないよ、と言わなければならないのが、ただ一つの心残りではあります」

「政治家一族」3代の系譜、太郎氏に託される

祖父・河野治平から数え、河野家は政治家として4代の系譜を刻んだ。父・河野一郎は農林大臣として日ソ漁業交渉にあたり、叔父・河野謙三は参議院議長を務めた。洋平氏は衆議院議長まで上り詰め、長男の太郎氏は衆議院議員として現在も活動を続ける。

河野洋平氏は2009年に政界を引退した後、日本国際貿易促進協会の会長として日中関係の民間交流に携わった。

[文/構成 by さとう つづり]

コメントはこちら

*
*
* (公開されません)

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

ライフハック/実用

More

グルメ

More

エンタメ

More

社会/ニュース

More

旅行/スポット

More

ファッション/ビューティー

More
Return Top