中村玉緒さん死去 旦那・勝新太郎さんの「14億円借金」を背負いながら…笑顔を絶やさなかった86年の生涯

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俳優の中村玉緒さんが6月9日、肺炎のため86歳で亡くなった。所属事務所の長良プロダクションが12日に発表した。夫・勝新太郎さんの死後に残された14億円の借金を自力で返し、明るい人柄でお茶の間に愛され続けた生涯だった。
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86歳で逝去 所属事務所が12日に発表
俳優の中村玉緒さんが6月9日、肺炎のため亡くなった。86歳だった。所属事務所の長良プロダクションが12日、文書で発表した。
事務所は「弊社所属の俳優 中村玉緒(本名:奥村玉緒)が、2026年6月9日(火)、肺炎のため享年86歳にて永眠いたしました」と報告。「生前に皆様から賜りましたご厚情に心より感謝申し上げますとともに、謹んでお知らせ申し上げます」と伝えた。
中村さんは1939年7月12日、京都府に生まれた。父は歌舞伎俳優の二代目中村鴈治郎、兄は四代目坂田藤十郎という芸能一家で育つ。1953年に松竹映画「景子と雪江」でデビューし、翌54年に大映と専属契約を結んだ。
清純な娘役から実力派へ ブルーリボン賞も
大映時代の中村さんは、市川雷蔵らの脇を固める清純な娘役として頭角を現した。1960年公開の「大菩薩峠」「ぼんち」などの演技が評価され、第11回ブルーリボン賞の助演女優賞を受賞する。当時20歳そこそこの若さだった。
その後も実力派として歩み続けた。1963年の「越前竹人形」で毎日映画コンクール助演女優賞、92年の「橋のない川」で日刊スポーツ映画大賞助演女優賞を手にする。2007年には毎日映画コンクールの田中絹代賞も受賞した。映画だけでなく、テレビドラマ「あかんたれ」シリーズや昼ドラ「いのちの現場から」シリーズなど、活躍の場は幅広い。
俳優としての歩みを大きく変えたのが、1962年の結婚だった。相手は当時の大映を代表する大スター、勝新太郎さん。座頭市シリーズで知られる規格外の俳優との生活が、ここから始まる。
残された借金14億円 「あれは本当にしんどかった」
勝さんは映画作りに情熱を注ぐ一方で、制作費を惜しまず使い、夜の街でも豪快に遊んだ。やがて勝プロダクションは多額の借金を抱えて倒産する。1997年、勝さんは65歳で亡くなった。
後に残されたのは、14億円ともいわれる借金だった。
中村さんは自己破産という道を選ばなかった。婦人公論のインタビューで、当時をこう振り返っている。「生まれ変わっても勝新太郎の妻でいたいと言いましたが、借金を背負うのだけは二度とイヤですね(笑)。主人の死後、私は14億円もの借金返済に追われましたが、あれは本当にしんどかった」
ナイトクラブで歌い、着物のプロデュースを手がけ、がむしゃらに働いた。中村さんは「主人亡きあと、半分は男になったと思っています。借金を返すため、子どもたちを育てるため、がむしゃらに働いてきましたから」と語っている。長い時間をかけ、借金を完済した。本人は「自分でも信じられへんのです。奇跡だと思います」と話した。
「お母さん」と呼んださんま 茶の間に広がった人気
苦境のさなかにあった中村さんを、テレビの世界が見つける。
転機は1993年。トーク番組に出ていた中村さんを見た明石家さんまが、自身の番組「さんまのまんま」に招いた。天然な受け答えと飾らない笑顔が受け、バラエティ番組の常連となる。さんまは中村さんを「お母さん」と呼び、年末恒例の特番でも長年タッグを組んだ。
中村さんはさんまについて「本当に親子の縁で結ばれているのではないかと思ってる」と語っていた。1995年から続いた「マ~ロニ~ちゃん♪」のCMも全国に浸透し、食品を一気に有名にする立役者となる。映画の実力派が、茶の間で笑いを誘う愛されキャラへ。二つの顔を持つ俳優として、世代を超えて親しまれた。
私生活では苦労も続いた。2019年には長男で俳優の鴈龍さんが55歳で亡くなっている。それでも中村さんは「お金には恵まれませんでしたが、人との出会いに恵まれました」と前を向き続けた。座右の銘は「今日のことは今日で忘れる」。インスタグラムやYouTubeでも、その明るさを発信し続けた。
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「笑う門には福来る」 ファンに残した言葉
近年は体調がすぐれなかった。2023年2月、仕事先の名古屋で転倒して背骨を圧迫骨折し、緊急搬送される。その後は介護施設で療養を続けていた。さんまとの年末特番への出演もかなわず、手紙を寄せる形で近況を伝えていた。
訃報を受け、X(旧ツイッター)には別れを惜しむ投稿が相次いだ。「お茶の間のお母さんだった」「天然だけど芯の強い女性のイメージだった」といった声が広がる。生前に番組収録で接したという利用者は「とても明るくて優しくて、テレビのイメージのままの方でした」とつづった。前日に元プロボクシング世界王者のガッツ石松さんが同じ肺炎で亡くなったばかりで、昭和を彩った著名人の相次ぐ別れに驚く投稿も目立った。
中村さんは生前のインタビューで、こんな言葉を残している。「一日一日を、自由に気取らず、悔いなく過ごしていれば、自然と笑顔になります。笑顔が大事。笑う門には福来るって、ホンマなんですよ」
巨額の借金も、家族との別れも、笑顔で乗り越えてきた86年だった。葬儀の日程などは明らかになっていない。
[文/構成 by さとう つづり]





























































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