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生田斗真、メシドラで最初に衝撃を受けた人に古田新太を挙げる「めちゃくちゃ色気があって」

生田斗真、メシドラで最初に衝撃を受けた人に古田新太を挙げる「めちゃくちゃ色気があって」

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俳優の生田斗真(42)が10月18日、日本テレビのグルメバラエティー『メシドラ ~兼近&真之介のグルメドライブ~』にゲスト出演した。芸能界に入って最初に衝撃を受けた人物を聞かれ、名前を挙げたのは古田新太(60)。17歳のころ、舞台に立つ古田の姿に「めちゃくちゃ色気があって」とひかれ、演劇の道を意識したと明かした。

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最初に衝撃を受けた人は古田新太

『メシドラ』は、お笑いコンビEXITの兼近大樹と俳優の満島真之介がゲストと車で各地を回り、その土地の食を探す番組だ。放送は毎週日曜の午後0時45分から(関東ローカル)。10月18日の回は千葉県八千代市が舞台で、八千代市の公式マスコット「やっち」のXアカウントも10月16日、市内で撮影があったことと、ゲストが生田であることを告知していた。

話題が俳優として刺激を受けた人に移ると、満島が生田に問いかける。子どものころから多くの俳優に会ってきたなかで、最初に衝撃を受けたのは誰なのか。生田の答えは「古田新太さん」だった。

生田はまず、当時の古田を「アバンギャルドな」「ロン毛のお兄ちゃん」と表現し、太った酒飲みだったと紹介した。ところが、その人が舞台に立つと一変する。「めちゃくちゃ色気があって」、客席からは「ボンボン笑い」を取る。その姿を見て「カッコよ~」となったという。

ちょっと不良の、変わった演劇人。そんな大人に心をつかまれ、あんな人になりたいと思ったことが自分にとって大きかったと、生田は語った。それが17歳のときだったと聞いた満島は、その年齢で感じ取ったことに驚いていた。

17歳、新宿の街に消えていく大人たちの背中

当時の生田は、アイドルとしての先行きに迷っていた時期だった。番組内では、事務所での立ち位置に悩み、このままグループを組んで華やかなアイドル活動をする流れにはなりそうもないと感じていたころに、古田や劇団☆新感線の面々と出会ったと明かしている。

印象に残っているのは、舞台の上の姿だけではない。生田が語ったのは、新宿の街で見た光景だった。劇団の大人たちが酔っぱらい、ゲラゲラ笑いながら肩を組んで新宿の街を歩いていく。その後ろ姿が街に消えていくのを見て、かっこいいと感じたという。

「ゲラゲラ笑って」「楽しく生きていきたいな」。大人になってもそう生きられるのなら、「演劇にはそういう夢があるのかも」と思ったと、生田は話した。

アイドルとして育ってきた17歳が、太った酒飲みの演劇人に将来の姿を重ねた。華やかさとは別の物差しで、かっこいい大人を見つけた瞬間だった。

『スサノオ』から22年、『バサラオ』で本格共演

二人の縁は、生田が初めて劇団☆新感線の舞台に立った2002年にさかのぼる。作品は『スサノオ~神の剣の物語』。1984年10月生まれの生田は、このとき17歳だった。古田はそれ以来、生田に目をかけてきた先輩の一人だ。

その後、映画『土竜の唄 香港狂騒曲』(2016年12月公開)で、生田は主人公の潜入捜査官・菊川玲二を、古田ははぐれヤクザの桜罵百治を演じ、同じ作品に名を連ねた。ただ、新感線の舞台で共演する機会はなかなか来なかった。

それが実現したのは2024年。劇団☆新感線のいのうえ歌舞伎『バサラオ』で、生田は中村倫也、古田とともに舞台に立った。福岡・博多座で7月に幕を開け、8~9月に東京・明治座、10月には大阪・フェスティバルホールを回る長期公演で、生田にとっては5回目の新感線出演となった。

公演に合わせた取材で、古田は「映像も含めて、お芝居でガッツリ絡むのは、これが初めて」と話していた。一方の生田は、17歳で出会ってからずっと古田の芝居を見てきたと明かし、「なんでこんなに色気があるんだろう?」と、ずっと不思議に思っていたと語っている。新感線が描く「悪の色気」にずっと憧れがあったとも口にしていた。

同じ年の5月17日に大阪で開かれた取材会では、生田と中村のやり取りを受けて、古田が二人を「最も信頼できる二枚目」とまとめ、会場を笑わせる場面もあった。5月13日の制作発表会見で古田の魅力を問われた生田は「舞台上に立っているだけで、何かが起きるんじゃないかってワクワクさせてもらえる」と答えたが、当の古田は「で、結局何も起きないっていう」と返して笑いを取った。自分を「便利」な俳優だと評し、役について「そういう気持ちにはならない」とは絶対に言わない俳優だと説明している。

生田の憧れは、芝居の外にも向いていた。2024年6月のインタビューでは、古田の芝居が「怪物」なのは当然だとしたうえで、「なにより宣材写真を20年近く変えてないところですね!」と明かしている。自分もまねて10年ほど同じ写真を使っていたが、周囲から変えてほしいと頼まれ、泣く泣く撮り直したという。

17歳で受けた衝撃と「色気」という言葉。生田は2年前の取材でも10月18日のテレビでも、古田を語るときに同じところへ戻ってくる。

満島真之介との再会、音楽活動への思いも

放送では、満島との久しぶりの再会も話題になった。二人は2019年のNHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』で共演している。生田は満島が「日本三大共演したい俳優」に入っていると絶賛し、撮影現場では大勢のエキストラの気持ちを盛り上げ、撮影の準備を整えてくれる頼れる存在だったと振り返った。

八千代市内では、戦後最初の首相となった東久邇宮稔彦王の別邸を移築した「さわ田茶家」も訪れた。ここで生田が語ったのは、2026年に本格的に始めた音楽活動のことだ。岡村靖幸のプロデュースでソロアーティストとしての活動を始めた生田は、曲作りは「台本作り」から始まると説明し、言葉とメロディーの組み合わせを考える時間が今は楽しいと話した。

俳優の仕事とは時間の流れがまったく違うことにも驚いたという。レコーディングの日になっても曲の1番しかできておらず、2番は録りながら作ることもある。それでも周りは誰も慌てておらず、「慌ててるのオレだけなのよ」と打ち明けた。

音楽に向かう後押しになったのは、主演映画『告白 コンフェッション』の主題歌でマキシマム ザ ホルモンのゲストボーカルを務めた縁で出た「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2024」などの音楽フェスだった。大勢の観客がヘッドバンギングする光景を「見たことない景色」と表現し、その興奮も音楽活動に踏み出すきっかけの一つになったと語った。

始めるまでには、かなり悩んだという。それでも、やったことのないことに挑んでドキドキしたかった。続けるためには、ある程度の結果も残さないといけないことは分かっている。「やっぱり、ちゃんと続けたい」。目標を問われた生田は、そう答えた。

1996年に芸能活動を始め、2026年で30周年を迎えた生田。17歳のときに新宿の街で見た大人たちの背中は、俳優としての今の仕事にも、新しく踏み出した音楽にも、どこかでつながっている。

[文/構成 by エンタメライター 和泉ユウスケ]

寄稿者

和泉ユウスケ
映画とアニメのことばかり書いているライターの和泉です。Webメディアで映画レビューを書き始めて9年になりました。深夜アニメは毎クール20本前後を追いかけ、映画館には月に数回、公開初日にもよく出没します。公開日・配信日・キャスト情報は正確に、ネタバレには慎重にお届けします。

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