坂本冬美、デビュー40周年記念公演で計24曲 恩師・二葉百合子の前で『岸壁の母』、セットリスト

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演歌歌手の坂本冬美(59)が11月4日、東京・丸の内の東京国際フォーラム ホールAで「40周年記念リサイタル 坂本冬美SPECIAL ~今日から明日へ~」の東京公演を開き、計24曲を歌った。客席では恩師で浪曲師の二葉百合子(95)が見守り、坂本は二葉から託された「岸壁の母」をせりふ入りのロングバージョンで披露した。報道で確認できた曲目と、ステージで語られた言葉をまとめる。
東京国際フォーラムで40周年リサイタル、ポップスと演歌の2部構成
会場には約5000人のファンが集まった。坂本は真っ赤なドレスで登場し、1曲目に中島みゆきの「糸」を選んだ。人との出会い、曲との出会いに恵まれた歌手人生だったと語り、その思いを「糸」に重ねている。
赤いドレスには理由があった。1967年生まれの坂本は来年3月に60歳を迎える。同級生の多くがひと足先に還暦を迎えたことから、自分も「還暦先取り」のつもりで赤い衣装を選んだとユーモアを交えて明かした。
前半はポップスや歌謡曲が中心だった。ビリー・バンバンの曲をカバーしてヒットした「また君に恋してる」、桑田佳祐が手がけた「ブッダのように私は死んだ」、さらに石崎ひゅーいが作詞作曲した40周年記念シングル「ひらり」と、演歌の枠に収まらない曲が続く。
着物に替えた後半は、1987年3月のデビュー曲「あばれ太鼓」で幕を開けた。作曲したのは、坂本を見いだした師匠の作曲家・猪俣公章。1993年に亡くなった恩師の曲から後半を始める構成だった。
坂本は1986年、NHKの「勝ち抜き歌謡天国」和歌山大会で名人に選ばれて上京し、猪俣の内弟子としてレッスンを重ねた。デビュー曲を渡された19歳のころ、この曲は流行らないと思うと口にして、新人が言うことではないと猪俣に叱られたという。坂本は大阪公演の後の取材でもこの話を明かしており、今になってかっこいい曲を作ってもらったと実感していると話していた。
この公演は、9月14日の大阪・フェスティバルホール公演に続く、40周年記念リサイタルの2公演目にあたる。大阪でも「夜桜お七」「また君に恋してる」「ひらり」などを含む24曲を歌っており、終演後には40年を振り返って感傷に浸るより、うれしい気持ちの方が大きかったと話していた。東京公演は、その記念リサイタルの締めくくりとなった。
報道で確認できたセットリスト(全24曲中19曲)
全24曲の曲順は公式に発表されていない。報道で確認できたのは次の19曲で、残る5曲は確認できなかった。曲順がはっきりしているのは、1曲目の「糸」、前半の締めくくり、後半の始まりの「あばれ太鼓」、アンコールの曲に限られる。
| 場面 | 曲名 | 備考 |
|---|---|---|
| 前半1曲目 | 糸 | 中島みゆきのカバー |
| 前半 | また君に恋してる | ビリー・ |
| 前半 | ブッダのように私は死んだ | 桑田佳祐の提供曲 |
| カバー | かもめの街/ | ちあきなおみが歌った曲 |
| カバー | 津軽海峡・ | 石川さゆりの曲 |
| カバー | 舟唄 | 八代亜紀の曲 |
| 前半の締めくくり | ひらり/ | 40周年記念曲 |
| 後半1曲目 | あばれ太鼓 | 1987年のデビュー曲 |
| 後半 | 夜桜お七/ | 代表曲 |
| 演歌 | 能登はいらんかいね/ | 猪俣公章の曲 |
| 後半 | 岸壁の母 | 二葉百合子の代表曲、 |
| アンコール | 風に立つ/ | 最後は「男の火祭り」 |
「夜桜お七」は猪俣の死去の翌年、1994年に発売された曲で、坂本はNHK紅白歌合戦で10回歌っている。1988年に初めて紅白に出場したときの曲が「祝い酒」だった。
前半の締めくくりに並んだ「ひらり」「しあわせ十色」「遠い昔の恋の歌」は、いずれも40周年を記念した曲だ。6月10日には2枚組のベストアルバム「坂本冬美 40th ベスト ~轍(わだち)~」も出ており、演歌の16曲とポップスの16曲を分けて収めている。ポップスの前半と演歌の後半に分けたステージは、このアルバムの作りとも重なる。
ポップスへの挑戦は最近始まったものではない。1991年には忌野清志郎、細野晴臣とロックユニット「HIS」を組み、演歌の外へ活動の場を広げてきた。40周年の記念ツアーは8月まで各地を回っており、秋の大阪と東京の2公演はその後に用意された特別なリサイタルだった。
客席の二葉百合子へ「東京のお母さん」
公演のヤマ場は後半に来た。2011年に現役を引退した二葉が客席で見守るなか、坂本は二葉の代表曲「岸壁の母」を歌った。二葉から歌い継いでほしいと託された曲で、この日はせりふや浪曲の部分を含むロングバージョンで歌い切っている。
二葉の来場は、9月の大阪公演の時点で予告されていた。坂本は大阪の終演後、本人の前で歌うので大阪以上に緊張すると話していたという。
休業中に門をたたいた浪曲の師
坂本と二葉の縁は、2002年にさかのぼる。この年、坂本は歌手活動を休業した。再起のきっかけをくれたのが二葉だった。
ステージで坂本は、休業中に二葉の門をたたいて復帰できたと話し、今では二葉を「東京のお母さん」と慕っていると明かした。公演の前にも天候を気遣ってもらったといい、母親のように励ましてもらってこの日を迎えられたと、涙ながらに感謝を伝えた。
猪俣の死後、坂本が師事してきたのが二葉だった。後半の始まりに猪俣の「あばれ太鼓」、ヤマ場に二葉の「岸壁の母」。2人の師匠にゆかりのある曲を、同じステージで歌い分けたことになる。
石川さゆり・八代亜紀・ちあきなおみの曲を歌ったわけ
カバーのコーナーには、坂本が歌手としての指針にしてきた3人の曲が並んだ。
坂本が歌手を目指したのは10歳のとき。テレビで石川さゆりが歌う姿を見たのがきっかけだった。2025年のNHK紅白歌合戦で一緒になった際、石川から「黒豆食べる?」と聞かれ、翌日に石川が自分で煮た黒豆を持ってきてくれたという。10歳の自分に、頑張って歌っていれば50年後に石川さゆりの煮た黒豆が食べられると教えたいと話して会場を笑わせ、「津軽海峡・冬景色」を歌った。
八代亜紀の「舟唄」も歌った。坂本は歌い終えると、八代の曲を歌い継ぐことが恩返しになると考えていると語っている。
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ちあきなおみが歌った曲からは「かもめの街」「黄昏のビギン」「喝采」の3曲を続けて歌った。若いころには分からなかった表現者としての世界観の素晴らしさが、キャリアを重ねて分かってきたという。
「欲張って」50周年へ
アンコールは「風に立つ」に続いて「男の火祭り」。客席も一緒に声を上げ、計24曲のステージが終わった。
アンコールで坂本は、猪俣を思い浮かべながら、天国の先生も40周年を迎えた自分に驚いているだろうが、一番驚いているのは自分自身だと話した。そのうえで、この道を歩んできた先輩たちの背中を追いかけたいと語り、「欲張って」50周年を目指すと宣言している。
1967年に和歌山県で生まれ、19歳でデビューした坂本は、2026年で歌手生活40年目に入った。大阪公演の後にも、あと10年、50周年まで元気でやっていけたら最高だと話していた。40周年の記念リサイタルは東京で幕を下ろし、次の目標は10年後に向かう。
[文/構成 by Webライター 朝倉あずさ]








































































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