末吉良丞、日本ハム3位指名 浦添市出身、仲西中の軟式野球部から沖縄尚学へ歩んだ経歴

※この記事には、商品・サービスの広告リンクが含まれています。
時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
2026年10月22日のプロ野球ドラフト会議で、沖縄尚学高校の左腕・末吉良丞(17)が北海道日本ハムファイターズから3位指名を受けた。沖縄県浦添市の出身で、中学時代は硬式のクラブチームではなく地元の浦添市立仲西中学校の軟式野球部で投げていた。2025年夏の甲子園で沖縄尚学を初の全国制覇に導いた投手が、どんな道をたどってプロの扉にたどり着いたのか。生い立ちから指名当日までを整理する。
1、2位の後に呼ばれた名前 那覇の校舎に歓声
ドラフト会議は10月22日夕方、東京都内のホテルで始まった。日本ハムは1位で山梨学院高の菰田陽生投手、2位で九州国際大付高の牟禮翔外野手を指名し、3位で末吉の名前を読み上げた。
その瞬間、那覇市にある沖縄尚学の校内で見守っていた部員や保護者から大きな歓声と拍手が起き、末吉は部員たちに胴上げされた。今春に左肘を痛めた影響で、指名を確信できないまま迎えた一日だった。
「今年は(左ひじの)故障もあって、指名されないだろうと思っていた。名前が呼ばれてよかった。常に勝ちにこだわってやっていきたい」
指名後、末吉はそう語り、「(指名の自信は)なかった。プロへの第一歩の道を踏み出すことができて、最高の瞬間を刻めた」とも話している。
沖縄尚学から高校卒業と同時にドラフト指名を受けた選手は、2017年の砂川リチャード、2023年の仲田侑仁に続いて3人目となった。投手では初めての高卒指名だ。同じ日には末吉を含め、沖縄県出身の5選手が指名を受けている。
2008年11月18日生まれの左投左打で、身長176センチ、体重94キロ。直球は最速150キロ台を計測し、カーブ、スライダー、ツーシームを投げ分ける。名前は「すえよし・りょうすけ」と読む。
浦添市立仲西中の軟式野球部で育った左腕
末吉の経歴で目を引くのは、中学時代の所属先だ。超高校級と呼ばれる選手の多くは、中学からボーイズやリトルシニアといった硬式のクラブで腕を磨く。だが、末吉が選んだのは地元・浦添市立仲西中学校の軟式野球部だった。
| 時期 | 学校・チーム | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 小学生 | 浦添市立仲西小学校(仲西ビクトリーベースボールクラブ) | 地元の少年野球チームでプレー |
| 中学生 | 浦添市立仲西中学校 軟式野球部 | 3年時の公式戦の投球練習で145キロを計測、県内外の強豪から勧誘 |
| 高校1年 | 沖縄尚学高校 | 夏から背番号20でベンチ入り |
| 高校2年 | 沖縄尚学高校 | 春のセンバツで背番号1、夏の甲子園で全国制覇、U-18日本代表に選出 |
| 高校3年 | 沖縄尚学高校 | 4月に左肘を痛める、夏の沖縄大会で復帰し甲子園出場、2年連続でU-18日本代表 |
| 2026年10月 | 北海道日本ハムファイターズ | ドラフト3位指名 |
仲西中で3年間指導したのは、野球部顧問の大浜淳一さんだ。大浜さんは取材に「良丞は入学したときから特別で、この子はプロに行くだろうなと思って指導しました。」と明かしている。
もっとも、最初から完成された投手だったわけではない。1年生のころは体ががっしりして球も速かったが、制球が課題で、大浜さんは「コントロールはめちゃくちゃでした」と語る。練習では丸太を担いでポール間を走らせ、練習試合で四球を出すとすぐに交代させて丸太を担いで走らせることもあった。シーズンオフにはジャベリックスローで肩を鍛えた。
球の力は中学生の域を超えていた。同級生の捕手は低めの直球を受けた際に親指を骨折し、その後は1学年下の選手がマスクをかぶった。3年生の公式戦では、沖縄セルラースタジアム那覇での投球練習で145キロを計測し、スタンドがどよめいたという。
1学年下の代は、翌年の県大会で優勝し、横浜スタジアムで行われた全国大会に出場した。末吉は野球部を引退した後もバッティング投手として後輩の練習を手伝い、毎日その速い球を打ち込んだ後輩たちの目が慣れたという。大浜さんは「まさに末吉効果です」と話している。
中学3年時には大阪桐蔭や東海大相模を含む県内外の強豪校から誘いが届いた。その中で選んだのは、地元の沖縄尚学だった。指名当日、末吉は沖縄の高校を選んだ判断について「思い出に残るいいことも、苦しいこともあったり、本当にいろんなことを経験できた。ここに来て良かった」と語った。
甲子園の頂点とU-18代表、そして左肘の故障
高校では1年夏から背番号20でベンチ入りし、2年春のセンバツでは背番号1を背負って2回戦まで勝ち進んだ。
転機は2年夏に訪れる。2025年の第107回全国高校野球選手権大会で、沖縄尚学は同じ2年生の右腕・新垣有絃との継投で勝ち上がった。日大三との決勝は3―1で制し、学校として初の夏の甲子園優勝を成し遂げた。決勝では先発の新垣が8回途中まで投げ、2死一塁の場面で末吉にマウンドを託す。末吉は1回1/3を無失点に抑え、歓喜の輪の中心にいた。
同年9月には、沖縄県で開かれたU-18ワールドカップの日本代表に、チームでただ一人の2年生として選ばれた。決勝のアメリカ戦で先発を任されるなど、日本の銀メダル獲得に貢献している。
2025年11月4日には、浦添市から「輝くてだこ市民賞」を、同じ仲西中出身でチームメートの比嘉大登とともに贈られた。松本哲治市長は「わったー仲西中の後輩からこんな子らが出てきた。同じグラウンドを走り回ったかと思うとうれしい」と喜んだ。末吉は「これからも応援してもらえるチームづくりをしていきたい」と応えている。
しかし、3年生の春に壁が立ちはだかる。センバツは1回戦で敗れ、4月には左肘の靱帯を痛めて投球を控える日々が続いた。夏の沖縄大会では準決勝で実戦に戻り、決勝にも登板して2年連続の甲子園出場を決めた。甲子園は初戦で横浜に敗れたものの、その後、2年連続でU-18日本代表に選ばれ、台湾・台北市で開かれた第14回BFA U-18アジア選手権の代表メンバーに名を連ねた。
「早くエスコンのマウンドで」 北の大地での誓い
左肘について、末吉は指名後に「もう全く問題ない。大丈夫」と強調した。夏の大会が終わってからも練習にほぼ毎日参加し、調子は上向いてきたという。
けがの時期を支えた両親への思いも口にした。「けがをしてくじけそうな時も、しっかり話を聞いて支えてくれた。本当に高校3年間ありがとうと伝えたいです」。野球の経験がない両親は、息子の指名に「ホッとしています…」と胸をなで下ろした。
暮らしは南の島から北の大地へ移る。末吉は「沖縄と真逆で寒い地域」と話し、「寒さにも対応して、楽しくやっていきたい」と前を向いた。
日本ハムには、U-18代表で一緒にプレーした藤森海斗捕手がいる。末吉は「バッテリーを組みたい。(ミットを)突き抜けるくらいの真っすぐを投げたい」と話す。チームについては「結果を出せば早い段階でも試合に出られるチーム。体づくりもしながら、早くエスコンフィールド北海道のマウンドで投げたい」と力を込めた。
目標は、まず1軍の舞台に立つことだ。「もう一度けがをしない体づくりをしながら、1軍で1試合でも、1イニングでも投げられるようにしたい」。浦添の中学校の軟式球から始まった左腕の歩みは、北海道で次の段階へ進む。
今年のドラフト候補の顔ぶれは、週刊ベースボールの増刊「2026ドラフト候補選手名鑑」にもまとめられている。
関連記事:末吉良丞の父・良次さんと母・伊織さんが語る素顔「強気なのは野球の時だけですよ」 野球未経験の両親が育てた甲子園V左腕
[文/構成 by スポーツライター TAKU]
















































































コメントはこちら