三浦淳寛が負傷後初のインスタ更新「過去1番の痛み」 長崎のイベントで頬骨と顎を骨折、6時間15分の手術から退院のめど

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
サッカー元日本代表で、J1神戸の監督も務めた三浦淳寛(本名・淳宏、52)が11月4日、負傷してから初めて自身のInstagramを更新した。10月11日に長崎スタジアムシティで行われたイベントで顔を強く打ち、頬骨や顎の骨を折る重傷を負っていた。投稿では当時の痛みを「過去1番」と振り返り、日程は決まっていないものの、退院のめどが立ってきたと感じていると報告している。
負傷後初の投稿、「現役時代にも経験した事のない衝撃」
三浦はまず、届いた励ましの声に礼を述べた。「皆さんの心温まる励ましのメッセージのお陰で、何とかここまで痛みと戦ってこれました」とつづり、続けて「日程は決まっていないですが、ようやく退院の目処が立ってきたと勝手に感じてきたので、心配して下さった沢山の方々に報告させていただきます」と、投稿した理由を説明した。
けがをしたのは、10月11日に長崎スタジアムシティで開かれた開業2周年イベントのハーフタイムイベントだった。三浦はそのまま救急車で運ばれ、翌日は飛行機での移動が難しかったため、電車と新幹線で神戸に戻った。現在も神戸大学医学部附属病院に入院しているという。
負傷したときのことは、次のように書いている。
「正直言って現役時代にも経験した事のない衝撃と痛みと苦痛でした。自分では痛みに強い方だと思っていましたが、今回の大怪我は過去1番の痛みが長い時間続きました。同時に、この壊れた顔が本当に元の顔に戻るのか不安で不安でたまらなかったです」
頬骨はプレートで固定、顎は針金で 固形物はまだ食べられず
手術は10月21日に行われ、6時間15分かかった。三浦は術後の様子を「今は数カ所をプレートで固定した頬骨と折れてズレてしまった顎の骨がくっつくのを待っている状況です」と説明している。
顎の骨が固まるまでは、上顎と下顎を針金で固定しているため、まだ固形物は食べられない。それでも「確実に回復しています」と書いた。一方で「顔の右半分の麻痺が治るのか不安ですが…」とも明かし、右半分が大きく腫れた顔の写真も載せている。
10月11日の負傷から11月4日の報告まで
イベントを主催したリージョナルクリエーション長崎は10月15日、負傷についての報告を出した。それによると、けがをしたのは「PLAY ALL DAY!」の「PEACE MATCH」内で行ったハーフタイムイベントで、三浦は「プレー中の接触により負傷」した。精密検査の結果、右の頬骨と歯槽骨の骨折と診断されたと発表している。
報道によると、三浦はゲーム中に別の元日本代表選手とぶつかり、顔を強く打って自力で起き上がれなかった。長崎市内の病院に運ばれたあと、自宅のある神戸の病院に移っている。精密検査で脳に異常はなく、頬骨と顎の骨の骨折、顎の関節のずれと診断されたと報じられた。
主な出来事は次のとおりだ。
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 10月11日 | 長崎スタジアムシティのハーフタイムイベントで負傷し救急車で搬送 |
| 10月12日 | 電車と新幹線で神戸に戻る |
| 10月14日 | 神戸の病院に入院していると報じられる |
| 10月15日 | 主催者が負傷についての報告を公表 |
| 10月21日 | 6時間15分の手術 |
| 10月23日 | 義姉の大竹七未さんがInstagramで手術の終了を報告 |
| 11月4日 | 本人が負傷後初めてInstagramを更新 |
主催者は報告の中で「出演者様およびご来場者様の安全確保をいっそう徹底し、安全管理体制の強化に努めてまいります」としている。
支えた家族と友人への感謝
手術の結果は、本人より先に家族がInstagramで伝えていた。三浦の妻・夕魅さんの双子の姉で、元日本女子代表の大竹七未さんは10月23日、Instagramで「6時間15分の手術を乗り越え 手術成功です」と報告した。手術までの約10日間は痛みで固形物が食べられず、夕魅さんが米粒をつぶしたおかゆやスープを作っていたという。七未さんは「まだまだ回復までは程遠く、ここから食事を取れない時間が1ヶ月程かかるらしいです」とも書いている。
娘の由楽さんもInstagramで手術の成功を伝え、「先生から後遺症はないですと言っていただき本当によかったです」とつづった。
三浦自身は今回の投稿の最後に、支えてくれた人たちの名前を挙げた。サッカー関係者やサポーター、長崎から神戸までずっと寝ずに付き添った友人に礼を述べ、「ナミ、俺のせいで迷惑をかけてしまって申し訳ない」とわびる言葉に続けて、「毎日毎日心配して泣きながら美味しいスープを作って届けてくれる夕魅と由楽に心から感謝しています」と結んでいる。
三浦淳寛とは フリーキックの名手、神戸では監督も
三浦は長崎の国見高校、青山学院大学を経て1994年に横浜フリューゲルスに入り、横浜F・マリノス、東京ヴェルディ、ヴィッセル神戸、横浜FCでプレーした。選手時代の登録名は「三浦淳宏」。フリーキックの名手として知られ、日本代表では国際Aマッチ25試合に出場し、2000年と2004年にアジアカップを制したメンバーにも名を連ねている。
引退後は神戸でスポーツダイレクターを務め、2020年9月から2022年3月までは監督としてチームを率いた。
今回のけがを負ったのは、高校時代を過ごした長崎のイベントだった。退院の日程はまだ決まっておらず、本人は頬骨と顎の骨がくっつくのを待ちながら入院を続けている。
[文/構成 by ライター 凪]








































































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