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宮本茂、文化勲章の親授式を欠席 出席の都倉俊一・伊東豊雄が語った受章の思い

宮本茂、文化勲章の親授式を欠席 出席の都倉俊一・伊東豊雄が語った受章の思い

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文化の日の11月3日、皇居・宮殿「松の間」で文化勲章の親授式が開かれ、受章者8人のうち7人が天皇陛下から勲章を受けた。ゲーム分野から初めて選ばれた任天堂代表取締役フェローの宮本茂(73)は欠席した。式後の記者会見では、作曲家の都倉俊一(78)が先達への思いを、建築家の伊東豊雄(85)がチームへの感謝を口にした。

宮本茂は欠席、7人が陛下から勲章を受ける

親授式は11月3日の午前、皇居・宮殿の「松の間」であった。今年のノーベル化学賞に決まった東京理科大栄誉教授の硤合憲三(76)ら7人が出席し、天皇陛下から勲章が手渡された。「スーパーマリオ」シリーズなどを手がけた宮本は、この式を欠席した。

陛下は受章者に「長年努力を重ね、大きな業績を収められ、文化の向上に尽くしてこられたことを誠に喜ばしく思います」と言葉をかけた。体を大切にし、それぞれの分野の発展に力を尽くしてほしいという願いも添えている。

受章者を代表してあいさつしたのは、照明デザイナーの石井幹子(88)だった。「それぞれの分野において一層精進を重ねる決意でございます」と述べ、日本の明かりの文化を受け継ぎながら、美しい光で未来を照らしていくことに力を注ぐ考えを示した。式の後には宮殿の東庭で、出席した7人が記念撮影に臨んでいる。

2026年度の受章者と、親授式への出欠は次のとおりだ。年齢は親授式の時点の報道による。

氏名(年齢)分野親授式
石井幹子(88)デザイン(照明)出席
伊東豊雄(85)建築出席
黒岩常祥(84)生物科学出席
塩川徹也(81)フランス文学出席
都倉俊一(78)大衆音楽・音楽著作権出席
長田重一(77)免疫学出席
硤合憲三(76)有機合成化学出席
宮本茂(73)メディア芸術(ゲーム)欠席

デザイン(照明)とメディア芸術(ゲーム)は、文化勲章で初めて対象になった分野だ。8人の顔ぶれと文化勲章の仕組みは、受章が決まった10月23日の記事にまとめている。

関連記事:任天堂・宮本茂氏ら8人に文化勲章、ゲーム界初 年金はいくら?文化功労者との違いと2026年の受章者一覧

都倉俊一が名前を挙げた「尊敬する先達」

式の後、7人は宮内庁で記者会見に臨んだ。

ピンク・レディーの「ペッパー警部」などを作曲した都倉は、戦後にアメリカのジャズやロックを取り入れ、日本のポピュラー音楽を育てた「尊敬する先達」が多くいると話した。今日の栄誉はそうした人たちを代表して受けたものだ、というのが都倉の受け止め方になる。

この考えは、受章の発表に合わせて10月23日に東京都内で開いた会見から変わっていない。そこで都倉は、中村八大さん、筒美京平さん、三木たかしさんら、すでに亡くなった作曲家の名前を挙げ、多くの先達の努力と活躍があったからこそ、その人たちを代表して自分が栄誉を受けたのだと感謝していた。

都倉は東京都出身。4歳でバイオリンを始め、小学生と高校生の時期をドイツで過ごし、学習院大学在学中に作曲家としてデビューした。作詞家の阿久悠さんと組んだピンク・レディーの「ペッパー警部」(1976年)や「UFO」(1977年)、山口百恵の「ひと夏の経験」(1974年)など、手がけた作品は1100曲を超え、レコードの売り上げは6000万枚を超える。

音楽の外での仕事も長い。2010年から2016年まで日本音楽著作権協会(JASRAC)の会長を務め、2021年からは文化庁長官として文化行政を率いた。長官は2026年3月末まで務めた。

10月の会見では、自分の作品で気に入っている曲を問われ、そういうことは考えないようにしていると答えた。大ヒットしても気に入っていない曲もあり、それは「職業作曲家の宿命」だという。日本の文化芸術が世界へ羽ばたくような土壌を作るのが自分の仕事だと考えていることも明かしている。

伊東豊雄「大変素晴らしいチームに恵まれ」

伊東は会見で、建築の設計は1人ではとてもできないと切り出した。「大変素晴らしいチームに恵まれ」たことで受けられた勲章だとし、チームでもらったものだと理解している、と受章を受け止めた。

チームへの感謝は、受章が決まった10月にも口にしていた。構造の設計者や家具デザイナーなど良いチームに恵まれ、チームでの仕事が評価されたと思うと話し、自分の名前で受け取るのが申し訳ないくらいだと謙遜している。

伊東は長野県下諏訪町の出身で、1965年に東京大学工学部建築学科を卒業した。菊竹清訓建築設計事務所を経て1971年に独立し、事務所を開いている。仙台市の「せんだいメディアテーク」など公共建築の設計で知られ、2013年には建築界のノーベル賞とも呼ばれるプリツカー賞を受けた。

地元の長野県内にも作品が残る。まつもと市民芸術館や、下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館がそうだ。東日本大震災の後には、被災した人たちが集まる場所として「みんなの家」を手がけ、その取り組みは熊本地震の被災地などにも引き継がれた。伊東は震災を、建築家に何ができるのかを考え直す機会になったとしている。

目指す建物について、伊東は自然に近い建築を挙げる。大都市の建物が高層化し、どれも似た姿になっていると指摘したうえで、その地域や自然とどんな関係を持つ建物を造れるかがこれからの課題だと見ている。

硤合憲三はノーベル賞授賞式へ「名誉を背負って」

会見には、ノーベル化学賞に決まった硤合も出席した。勲章を受け取ったときには、日本の長く重い歴史を強く感じたという。

12月にスウェーデンで開かれるノーベル賞の授賞式に向けては、国から顕彰を受けた名誉を背負って臨みたいと気持ちを新たにした。研究を続け、若い人を育てることに一層励む考えも示している。

関連記事:硤合憲三の母校・広島大学附属中・高等学校に横断幕 ノーベル化学賞を祝福

細胞死の一つであるアポトーシスの仕組みを解き明かした免疫学の長田重一(77)は、基礎的な研究がこうした賞を受けたことをうれしく、光栄に思うと話した。同じ分野の研究者や、一緒に研究した学生と喜びを分かち合いたいという。

宮本茂が10月22日の会見で語っていたこと

親授式の場で言葉を聞けなかった宮本だが、受章について語る機会はすでにあった。受章の発表を翌日に控えた10月22日、京都市の任天堂本社で記者会見を開いている。

会見の冒頭、宮本は「照れくさい」と心境を明かし、名誉ある賞に選ばれたことを「本当に光栄」だと続けた。ゲームは1人で作っているものではなく、大勢の人たちと一緒に作ってきた結果であり、その代表として受けるつもりだという。

都倉は先達を代表して、伊東はチームを代表して勲章を受けたと話した。宮本の言葉も、周りの人たちを代表して受けるという点で2人と重なる。

宮本は1952年、京都府園部町(現在の南丹市)に生まれた。金沢美術工芸大学で工業デザインを学び、1977年に任天堂へ入社する。「スーパーマリオブラザーズ」や「ゼルダの伝説」などを手がけ、2019年度にはゲーム業界から初めて文化功労者に選ばれた。

会見では、入社した1977年からすぐにゲームの仕事に関わったため、ゲームを作り始めてもう50年になると話した。先端の街で競争するのではなく、その土地でじっくりものを作ることができたのが京都で、京都にいて良かったという思いも口にしている。ゲームが文化になったのは、ゲームが当たり前になったということだろう、との見方も示した。

1937年に制定された文化勲章が、ゲームの作り手に贈られたのは初めて。11月3日の皇居に宮本の姿はなかったものの、ゲーム分野の初受章という記録は2026年度の受章者名簿に残る。

[文/構成 by Webライター 真柴 ことね]

寄稿者

真柴 ことね
芸能ニュースや音楽、テレビ番組の話題を中心に書いているWebライター。ライター歴は11年。朝は情報番組をはしごするのが日課で、気になった話題はその日のうちに調べ始める。心がけているのは「公式発表を最初に読む」こと。所属事務所やレーベルの発表、番組の公式サイトまで確かめてから書く。ドラマは録画して週末にまとめて観る派。

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