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作家・小林信彦さん死去、93歳 江戸川乱歩に見いだされ編集者に、『日本の喜劇人』でビートたけしらを論じ「オヨヨ」シリーズも

作家・小林信彦さん死去、93歳 江戸川乱歩に見いだされ編集者に、『日本の喜劇人』でビートたけしらを論じ「オヨヨ」シリーズも

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作家の小林信彦(こばやし・のぶひこ)さんが10月19日、多臓器不全のため東京都内の病院で亡くなった。93歳だった。23日、新潮社が発表した。江戸川乱歩に見いだされて編集者の道に入り、評論『日本の喜劇人』でエノケンからビートたけしまでの喜劇人を描いた。小説「オヨヨ」シリーズや「唐獅子株式会社」でも知られる。

10月19日に死去、葬儀は近親者で

新潮社によると、小林さんは10月に入って体調を崩し、入院して治療を受けていた。亡くなったのは19日午前11時31分。

葬儀は近親者ですでに済ませ、喪主は長女が務めた。香典や供花、弔電は遺族の意向で辞退し、お別れの会も予定していないという。新潮社は「長きにわたり上質な作品を生み出し続けて下さった」ことへの感謝と、冥福を祈るコメントを出している。

乱歩の勧めで「宝石」へ、「ヒッチコックマガジン」初代編集長に

1932年12月12日、東京・旧日本橋区米沢町(現在の中央区東日本橋)の和菓子屋の長男として生まれた。幼いころから多くの舞台や映画に触れて育ち、その記憶が後の仕事の土台になる。

早稲田大学文学部英文科を卒業後、推理作家の江戸川乱歩に見いだされ、1958年に宝石社へ入社した。乱歩の勧めで推理小説誌「宝石」に翻訳小説などの批評を寄せ、翌59年には創刊された「ヒッチコックマガジン」の初代編集長に就いた。映画や演劇、テレビの評論では中原弓彦(なかはら・ゆみひこ)の筆名も使った。

編集者の時代は長く続かなかった。1964年に長編小説『虚栄の市』で作家としてデビューし、創作のかたわらテレビの世界にも足を踏み入れる。

きっかけは、日本テレビのプロデューサー・井原高忠に声をかけられたことだった。坂本九や植木等が出演するバラエティー番組の構成に加わり、映画の製作にも関わった。喜劇人を客席からだけでなく、作り手の側からも見た経験。それが、のちの評論に生きてくる。

『日本の喜劇人』とビートたけし

1972年に刊行した評論『日本の喜劇人』で、芸術選奨新人賞を受けた。古川緑波(ロッパ)や榎本健一(エノケン)から森繁久彌、渥美清、クレイジー・キャッツへと続く系譜を、実際に見た舞台や画面の記憶をもとにたどった一冊だ。

その後も書き継がれ、新潮文庫版の内容紹介では「エノケン、ロッパから萩本欽一、たけしまでの喜劇人たち」を描いた「喜劇人の昭和史」と位置づけられている。2021年の『決定版 日本の喜劇人』では加筆と改稿を重ね、タモリ、ビートたけし、明石家さんまの”BIG3″や志村けん、大泉洋に触れた新稿と著者インタビューを加えた。新潮社は決定版の紹介で、それまでの論評は「登場した頃のタモリ、たけしまで」だったとし、令和まで更新したと説明している。

この本は、のちに笑いの世界を担う芸人たちにも読まれていた。新潮社は同じ書籍ページで、本書を読んだ後に北野武氏が浅草での修業に入り、太田光氏も戦前の喜劇人・高勢実乗に関心を持ったと記している。喜劇人を描いた本が、次の世代の芸人の背中を押していたことになる。

決定版が出た2021年、著者は88歳。初版から半世紀を経て、令和の喜劇人までを自分の目で見直した一冊になった。

親交の深かった渥美清については評伝『おかしな男 渥美清』を書き、この作品はNHKでドラマ化された。

「オヨヨ」シリーズから『うらなり』まで

小説では、1970年の『オヨヨ島の冒険』に始まる「オヨヨ」シリーズが代表作となった。「合言葉はオヨヨ」「秘密指令オヨヨ」など、ユーモアの効いた作品が続く。

1978年のパロディー小説『唐獅子株式会社』は映画にもなり、ミステリー『紳士同盟』も映画化された。直木賞の候補には3度、芥川賞の候補にも3度挙がったが、いずれも受賞には届かなかった。

70代に入っても筆の勢いは衰えなかった。夏目漱石の『坊っちゃん』を下敷きにした小説『うらなり』などで、2006年に菊池寛賞を受けている。90歳を迎えた後も、映画文化への功績から第96回キネマ旬報ベスト・テン(2023年2月表彰)の特別賞に選ばれている。

主な作品を整理すると、次のとおりだ。

分野主な作品
小説『虚栄の市』『オヨヨ島の冒険』ほか「オヨヨ」シリーズ、『唐獅子株式会社』『紳士同盟』『夢の砦』『うらなり』など
評論『日本の喜劇人』『世界の喜劇人』『おかしな男 渥美清』『テレビの黄金時代』『黒澤明という時代』など
コラム「週刊文春」の連載(「本音を申せば」など)

23年続いた「本音を申せば」と晩年の闘病

もう一つの顔が、コラムニストだった。「週刊文春」での連載は1998年に「人生は五十一から」の題で始まり、2004年に「本音を申せば」と改題。2021年7月まで23年間続き、誌面の名物コラムとして長く読者に親しまれた。

2017年には脳梗塞を発症し、左半身にまひが残った。それでも筆は置かなかった。約半年の休載を経て連載に戻った。入院からリハビリ、転倒による再入院までの日々は、2019年刊の『生還』にまとめている。

編集者、構成作家、小説家、評論家、コラムニスト。いくつもの肩書きに共通していたのは、自分の目で見てきたものを書き残すことだった。エノケンからBIG3まで、約80年にわたる喜劇を見届けた書き手が、93歳で世を去った。

[文/構成 by 飯田タツヤ]

寄稿者

飯田タツヤ
時事ニュースを中心に、社会の動きから芸能・スポーツの話題まで幅広く書いているWebライターの飯田です。ライター歴は6年。心がけているのは、発表や報道で確認できたことと、まだ分かっていないことを分けて書くこと。「何が起きて、暮らしにどう関わるのか」を最初に整理しています。休日はラジオを流しながらの散歩とサウナ。

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