任田幾英さん、8月に死去 宝塚歌劇団の衣装デザイナー、『ベルサイユのばら』『ウエストサイド物語』など手がけた経歴

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宝塚歌劇団の衣装デザイナーとして半世紀以上にわたって舞台を彩った任田幾英(とうだ・いくえい)さんが、8月に亡くなった。訃報は10月9日に共同通信が伝え、年齢は公表されていない。1966年に入団し、『ウエストサイド物語』『ベルサイユのばら』などの衣装を担当。2016年からは「宝塚歌劇の殿堂」に顕彰者として紹介されている。
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8月に死去、10月9日に訃報
共同通信が10月9日夕方に配信した訃報によると、任田さんは8月に死去した。死去の日付、死因、葬儀の詳細は伝えられておらず、年齢も非公表だ。10月10日時点で、宝塚歌劇団の公式サイトに任田さんの死去を知らせる告知は見当たらない。
訃報は「66年に宝塚歌劇団に入団」「ウエストサイド物語」「ベルサイユのばら」などの舞台衣装を手がけた、と経歴を短くまとめている。功績が評価され「宝塚歌劇の殿堂」入りしたことにも触れた。
パリで見たタカラジェンヌが出発点
任田さんは1939年(昭和14年)、大阪生まれ。過去の産経新聞の取材記事によると、桃山学院大経済学部を卒業後に就職した企業を1年半で辞め、1965年にパリへ渡った。
もともとは絵より文学が好きな青年だった。2006年の産経新聞の連載インタビューで、任田さんは太宰治や坂口安吾が好きで、やがてフランス文学に出合ってサルトルに夢中になったと明かしている。古いフランス映画にもひかれ、たまらずパリへ向かったという。
転機はパリで訪れる。ちょうど宝塚歌劇団がパリ公演中で、クリスチャン・ディオールの店に招かれたタカラジェンヌたちを偶然見かけた。フィナーレ用の真っ白な衣装に少し舞台化粧風のメークで、その姿に心を奪われた。阪急電鉄が2015年に出した資料では、任田さんはパリの「エコール・ドゥ・ラ・シャンブル・サンディカル・ドゥ・ラ・クチュール・パリジェンヌ」で服飾を学んだと紹介されている。
翌1966年に帰国すると、知人を通じて宝塚の大御所演出家・白井鐵造と出会う。当時はまだ宝塚の舞台を見たことがなく、白井に叱られて2本を観劇。日本物の「紫式部」の美しさに驚いたものの、別の道も考えていた。白井から「試験だけでも受けろ」と言われて論文を書くと、そのまま採用された。
入団翌年にデビュー、手がけた作品は450超
1967年、『アディオ・アモーレ』で衣装デザイナーとしてデビューした。入団1年目という異例の早さだった。以降は1年に10数作品を担当するペースで仕事を続けていく。
初期の仕事で任田さんが「大変でした」と振り返ったのが、宝塚で1968年(昭和43年)に初演された『ウエストサイド物語』だ。ニューヨークの下町が舞台の作品だが、舞台稽古では出演者全員がまっさらな衣装を着ていた。来日した演出家サミー・ベイスは、これを見て「何だ、この衣装は!」と言ったという。宝塚ではスターに合わせてすべての衣装を新しく仕立てるため、使い込んだ服の質感が出ない。
どう解決したのか。
任田さんは、阪急電鉄の線路の周辺から鉄粉をドラム缶いっぱいに集めてもらい、歌劇団の屋上に新品の衣装を並べた。鉄粉と水をかけてみんなで踏みつけ、汚れた衣装を洗って、徹夜で翌日の本番に間に合わせた。2006年のインタビューで任田さんが明かした舞台裏だ。
その後も担当作は増え続ける。2004年の産経新聞の記事では、1993年の『グランドホテル』、2000年の『凱旋門』、2001年の『ベルサイユのばら』、2003年の『レヴュー誕生』などが代表作として並ぶ。阪急電鉄の資料には『源氏物語 あさきゆめみし』の名前もあり、ショーと芝居、日本物と洋物の区別なく仕事の幅は広い。同じ2004年の記事の時点で、大劇場以外の公演も含めた担当作は年末までに450作に届く見込みだった。2006年のプロフィールでは宝塚大劇場285作、バウホール157作、その他28作と紹介されている。
『ベルサイユのばら』は1974年に月組で初演された宝塚の代表作で、任田さんは2001年の上演で衣装を担当し、その後も関わった。初演から45年を記念して2019年に東京国際フォーラムと梅田芸術劇場で開かれた『ベルサイユのばら45~45年の軌跡、そして未来へ~』では、衣装監修として名を連ねた。
デザイン画は手描き、こだわりは色の透明感
描いたデザイン画は、2006年の時点で約5万枚にのぼる。パソコンで色を塗り替える時代になっても、任田さんは手描きを続けていた。何色も混ぜて色を探す時間を大切にし、実際の照明に当てて色味を確かめていた。
仕事の起点は脚本だ。作品全体で何を伝えたいかを読み取り、登場人物の性格や時代背景を調べてからデザインに取りかかる。産経新聞のインタビューで、任田さんは舞台衣装を「デザインというよりメッセージ」と表現した。セリフがなくても心情が伝わるよう、衣装で語る作業が含まれるという考え方だ。
2004年の記事では、大きな劇場と宝塚独特のメークに合うこと、生活感を出さないことを重視し、とくに色の透明感と組み合わせにこだわっていると説明している。阪急電鉄の資料も、娘役はより女らしく、男役はより凛々しく見せることを心がけ、クラシックスタイルの上品なデザインに定評があると紹介する。
着こなしの名手として名前を挙げたのは鳳蘭だった。好きにやっていい、何でも着こなす、と任せてくれたという。
「宝塚歌劇の殿堂」に名を刻んだスタッフ
阪急電鉄は2015年10月2日、宝塚大劇場内の「宝塚歌劇の殿堂」に新たに加わる4人の顕彰者を発表した。卒業生から高峰妙子と剣幸、スタッフから任田さんと舞台装置の大橋泰弘が選ばれた。2014年4月に宝塚歌劇100周年を記念して開いた施設で、それまでは卒業生とスタッフの計100人を紹介していた。
紹介ブースは2016年1月1日に公開され、同じ月の12日には宝塚大劇場で、任田さんらが出演するお披露目のトークショーが組まれた。衣装デザインの苦労話を語る場として案内され、花組トップスターの明日海りおらもお祝いに駆けつけると発表されていた。
選出にあたり、任田さんは「ひたすら美を求めて創作活動に専念させていただけましたこと、とても幸せであった」とコメントを寄せていた。
2002年には、宝塚の衛星放送チャンネル「タカラヅカ・スカイ・ステージ」の番組「ドリームメーカーズ」で、衣装制作の過程や印象深い作品について語っている。2006年のインタビューの最後に掲げた目標は、21世紀の新しい宝塚の様式美を追い続けることだった。1967年のデビューから半世紀あまり、舞台の上の華やかさを裏から支え続けた。
[文/構成 by MEDIA DOGS編集部]









































































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