鈴木蘭々、母が7月に有料老人ホーム入所 要介護4認定までの経緯と実家の片付けを語る

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
タレントの鈴木蘭々(51)が読売新聞オンラインのインタビューで、母・節子さん(87)が今年7月に有料老人ホームへ入所したことを明らかにした。要介護度は「4」。骨折や脳梗塞を経て在宅での生活が難しくなった経緯と、実家の片付けを巡る母との日々を語った。
母は7月に入所、要介護度は「4」
読売新聞オンラインが連載する介護をテーマにした企画「ケアラーの風景 ささえるあなたへ」は8月30日、鈴木の回を掲載した。聞き手は同紙の長岩真子氏。
節子さんは今年5月、右脚の骨を折った。リハビリは思うように進まず、車いす生活になったという。トイレの失敗が増え、会話も難しくなっていく。要介護度は「4」となり、7月に有料老人ホームへの入所につながった。
鈴木は5年ほど前から、母の自宅での介助や支援先探しに奔走してきたという。物忘れが進み、スムーズな会話が少しずつ難しくなっていく母について、「最大限母の気持ちに寄り添う努力をしている」と述べた。
骨折、脳梗塞、そして要介護4へ
母の要介護度は、当初「1」だった。2021年春、節子さんは背中を圧迫骨折した。当時は鈴木の自宅から電車で1時間半ほど離れたマンションに一人で暮らしていた。骨折後は以前より動作が重くなる。「そろそろ、訪問サービスなど、第三者の見守りが必要だな」。鈴木はそう感じるようになったという。骨折から半年ほどで訪問介護とデイサービスの利用が始まり、このときに要介護1の認定を受けたが、急な呼び出しに追われることはまだなかった。
このころ、鈴木を悩ませたのが母から繰り返しかかってくる電話だった。夕方になると、電話が入る。「あの人の電話番号は何だったかしら」「あの人はいま、何をやっているかしら」。急用でなくても15分ほど話して切り、数分後には再び着信が入る。不在着信が20件たまっていたこともあったそうだ。
転機は2023年夏に訪れる。デイサービスの迎えを待つ時間帯、母から電話が入った。「おかしい。手が動かない」。駆けつけたスタッフの対応で病院へ搬送され、脳梗塞と診断された。幸い後遺症は残らなかったが、鈴木はデイサービスの回数を増やし、週末ごとに母の様子を見に通うようになったという。
今年5月には母が右脚を骨折し、状態は大きく悪化した。この経緯を経て要介護度は「4」となり、7月に有料老人ホームへ入所した。
派手な服や船の模型、母との攻防の末に
鈴木の介護生活は、母が一人で暮らす自宅の片付けから始まった。仕事の合間を縫って通う鈴木はスケジュール通りに進めたかったが、母は簡単には物を手放さなかった。ディナーショーで着るような派手な服や、手つかずの船の模型のパーツを、母は頑として捨てさせない。自分が気に入って買った物を娘に判断されるのが嫌だったのではないか、と鈴木はみている。
イライラして強い言葉をぶつけてしまうこともあった。帰り道、「なんで、ああいう言い方をしちゃったんだろう」と自己嫌悪に陥る日が続いたという。もっとも、母が翌日にはもめた原因を忘れていたことに救われた面もあったそうだ。やがて鈴木は、「ちょうだい」と声をかければ母が快く手放してくれることに気付く。以来、欲しくなくても「もらっていくね」と持ち帰り、処分する方法に切り替えたという。
7月の入所後、鈴木は母が長年暮らした部屋の引き渡しに向けて最後の片付けに取りかかった。それまでにかなり整理を進めていたものの、母の思い入れが深い着物や食器はあえて残していたという。物を急に減らしすぎると物忘れが深刻化したり、自分の家ではないと思って徘徊したりすることがあると聞いていたからだ。部屋の引き渡しを終えた今、「母の生活の痕跡がなくなり、どこかさみしい気持ちがします」と胸の内を明かした。
要介護4とは何か、認定までの仕組み
要介護度は要支援1・2と要介護1〜5の7段階に分かれ、数字が大きいほど必要な介護の度合いが重いとされる。要介護4は、立ち上がりや歩行、排せつなど日常生活の大半で介助が必要な状態を指し、7段階の中でも重い部類に入る。
認定を受けるには、市区町村の窓口や地域包括支援センターに申請し、聞き取りによる認定調査と主治医の意見書をもとに一次判定・二次判定を経て区分が決まる仕組みだ。1カ月に利用できる介護保険サービスの上限額は要介護4で約3万938単位とされ、地域ごとの単価を掛けた金額まで保険が適用される。自己負担は所得に応じて原則1〜3割となる。骨折や脳梗塞など複数の要因が重なると、短期間で介護度が上がることも珍しくない。
鈴木蘭々のプロフィール、母への思い
鈴木は1975年8月、東京都生まれ。中学生の頃にスカウトされて芸能界入りし、89年に資生堂のCMでデビューした。94年からはフジテレビ系の子ども向け番組「ポンキッキーズ」にレギュラー出演し、安室奈美恵とのユニット「シスターラビッツ」で人気に火が付いた。95年には歌手としてもデビューしている。2013年には化粧品会社「ウーレル」を設立し、代表取締役として基礎化粧品ブランドの企画・販売にも携わってきた。
母とは何度もけんかをして、その度に落ち込んだという鈴木。それでも、「今となっては、元気に生きているからこそできることなんだなと思います」と話す。頻繁にかかってきた電話も、今はもうない。会話が難しくなっていく母との向き合い方について、「母の気持ちに寄り添うことを大事にしていきたい」と言葉をつないだ。「母にとって幸せな環境って何だろう」。鈴木は今も、そう自問を続けている。
[文/構成 by MEDIA DOGS編集部]











































































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